1944年に兵庫県神戸市で県立高等工業学校として創立、同年に県立工業専門学校への名称変更、1946年の姫路市への移転を経て、1949年に姫路工業大学として姫路市において設立され、2004年に神戸商科大学、兵庫県立看護大学と統合し、新たに兵庫県立大学として発足した。姫路工業大学は、1944年創立の旧制兵庫県立高等工業学校の流れを汲む大学である。長らく工学部のみの単科大学であったが、1990年に理学部を、1998年に環境人間学部を設置した。2004年には神戸商科大学、兵庫県立看護大学と統合して兵庫県立大学が発足した。姫路工業大学の3キャンパスは、兵庫県立大学において西地区と位置づけられている。書写キャンパスを中心に行われる学園祭。大学統合後も伝統を引き継ぎ、姫路工業大学の略称を冠している。姫路市街近郊の書写山の麓に位置している。姫路工業大学の本部と工学部が長年に渡って所在してきた経緯から、兵庫県立大学における西地区の中心的キャンパスとなっており、クラブ・サークルの数も比較的多い。西地区の学生は単に「書写」と呼ぶことが多い。理学部と環境人間学部の1年生も通うため学生数が多いが、近隣にコンビニエンスストアがなく飲食店も限られているため昼食時の学生食堂は大変混雑する。地形からキャンパス内に階段が比較的多い。相生市北郊、播磨高原の一部を切り開き造られた播磨科学公園都市に位置し、兵庫県立大学附属中学校・高等学校とも近接している。住所地名から「光都(こうと)」と呼ばれるが、関係する学生は単に「理学部」と呼ぶことも多い。大型放射光施設SPring-8を中心に国や企業の研究機関が近くにある。交通が非常に不便なうえ県外出身者も多いため、自宅外生の比率、自動車所有率が高い。また、近隣に学生向けの住宅がほとんどないため、後述の学生寮に入居していない自宅外生の多くは、姫路、たつの(竜野駅または本竜野駅周辺など)、相生などに居住する。交通が不便なこともあり、姫路工業大学のキャンパスの中で唯一、近接区域に学生寮が設置された(兵庫県立大学にそのまま引き継がれている)。基本的に理学部2年生以上が入寮できる。附属高等学校管理の「黎明寮」(附属高校生と大学生が入寮可)と大学管理の「西播磨学生寮」(A,B棟、大学生のみ入寮可)の2つは寮費は月3000円で風呂・トイレが共同。西播磨学生寮C棟は大学院生専用(学部生でも入寮している人もいる)で風呂・トイレの付くワンルームタイプで寮費は4000円である。入寮に際しては毎年必ず抽選になるが、数ヶ月すると寮生活が合わず退寮する人も少なからずいる。歩いて5分ほどの距離ながらキャンパスの所在地は赤穂郡上郡町光都であるのに対し、寮の所在地はたつの市新宮町光都である。姫路市街、姫路城城下町の一角、新在家に位置する。このキャンパスは非常にまれな変遷をたどっている。もとは旧制姫路高等学校のキャンパスであったが、1949年の学制改革により神戸大学姫路分校となる。その後1965年に分校が神戸大学のある六甲台に統合移転したため跡地に姫路短期大学が移転。附属幼稚園も設置され、幼稚園跡地には環境人間学部のキャンパスとなった現在もその面影が残る。旧制姫路高等学校本館と講堂は、登録有形文化財に登録されている。キャンパス内には姫路市の保存樹となっているユリノキがあり、同窓会名の由来となっている。西地区の学生は新在家または単に「環境」もしくは「環境人間」と呼ぶ場合が多い。
出典:wikipedia
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