ライシテ()、あるいは、ライシズム(, )とは、フランスにおける世俗主義(俗権主義)・政教分離の原則・政策のこと。元々はフランス革命以来、主に学校・教育に関するローマカトリック勢力と、共和民主主義・反教権主義勢力との対立・駆け引きを通じて醸成されてきた原則・政策だが、中東からの移民増加とその文化的軋轢が表面化した1990年代以降は、イスラームとの関係で論じられることが多い。ライシテ、ライシズムは、ギリシア語で「民衆・平信徒の」「世俗・非宗教の」を意味する「ライコス」()に由来する語であり、ラテン語で「現世的」「世俗的」を意味する「サエクラリス」()から派生した「セキュラリズム」(, )と共に、「世俗主義」「俗権主義」と訳されたり、「政教分離(原則・政策)」と訳されたりする。この語の対義語は、「聖職者の」を意味する「クレーリコス」()であり、この語から派生した「クレリカリズム」(, )は、「聖職者主義」「教権主義」と訳されたりする。1789年からのフランス革命では、共和制への従属を拒否し、ローマ教皇への忠誠を誓ったカトリック聖職者の多くが処刑された。統領政府期の1801年、ナポレオン1世とローマ教皇ピウス7世の間でコンコルダ(政教条約)が結ばれ、カトリック、プロテスタントのルター派・カルヴァン派、そしてユダヤ教の四教が公認され、信教の自由が認められた。その後、1814年-1830年の復古王政ブルボン朝において、カトリックが再び国教として復活、の期間を通じ、1870年-1940年の第三共和政の初期に至るまで、カトリック勢力と反教権主義勢力の対立は続いた。特にそれは、1833年のギゾー法による公立学校設立、1850年のファルー法による(カトリック勢力が多数を占める)私立学校への財政援助を背景としながら、学校を舞台として、カトリック聖職者教師と、ヴィクトル・ユーゴー、ジュール・ミシュレ、エドガー・キネら反教権主義者達の対立として顕在化した。1850年代には、「リーブル・パンスール」(、自由思想家)と呼ばれる、急進的な反教権主義勢力も生まれた。
出典:wikipedia
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