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T-55

T-55(ロシア語:)は、ソビエト連邦で開発された中戦車である。戦後第一世代の主力戦車とも分類される。史上最も生産台数が多い戦車といわれており、ほぼ同じ形状のT-54も含めると、その数は10万輌を超えるといわれている。1958年に登場し、1970年代後半まで生産された。冷戦時代に他国へ供与・輸出された数も多く、未だに多くの国で使用されている。T-54とひとまとめにされてT-54/55と表記されることも多い。ハリコフ設計局により作られたT-44をベースに、100mm砲を無理なく搭載できる新型砲塔を装備したものがT-54である。試作に終わったT-43以来の大直径転輪+トーションバーサスペンションの足回りと、前作T-44同様の車体上部とシャシが一体の箱型車体を持つ。1946年に完成した試作車の砲塔はそろばんの弾がゆがんだような形状で、砲塔下部に被弾すると弱い砲塔リングや車体上部に命中弾を導く「ショットトラップ」となる点が問題だった。先行生産型の1948年型では砲塔が大きくなり、後の量産型のようなお椀形に近づいたが、まだ後部にせり上がったショットトラップを残していた。1950年型よりよく知られる量産型の砲塔となり、以後T-54A、B、M(以上、NATOでの分類)と改良され、主力戦車の座についた。T-55はT-54を改良したもので、NBC防御用のPAZシステムを標準装備し、エンジンの馬力も向上、クラッチ操作を空気圧で助けるサーボ機構が追加されている。燃料(軽油)と砲弾の搭載量も増し、砲塔下部には装填手のためのターンテーブルが増設された。また対空機銃(速度の高いジェット機時代となり、命中させにくい)とT-44以来の車体前方固定機銃(実用性に乏しい)の二つは、前者は一旦廃止されながらも後に対攻撃ヘリコプター用として有効と判断され、T-55Aから復活、後者は逆に廃止されている。さらにT-55B以降ではアクティブ赤外線暗視装置が標準装備となった。T-54とT-55は外見は良く似ているが、砲塔上の換気扇カバー(ベンチレータードーム)の有無で簡単に識別でき、換気扇カバーがある方がT-54である。T-55には上記PAZシステムの外気取入口として、砲塔の下部に小さなスリットがある。またT-54は車体前面の水切り板の下に、固定機銃を発射するための小穴を持つが、T-55ではこの穴はない。T-54と55は冷戦時代を代表する戦車であり、多くの紛争に用いられた。中東戦争ではソ連が軍事援助していたアラブ側の主力戦車としてチェコスロヴァキア製のT-54/55が使用された。現在では旧式化しているが、10万輌を超える生産台数も相まって相当数が残存し、運用され続けている。特に電子制御化やブラックボックス化されていない分整備や運用が簡単であるため、途上国や武装勢力でも運用が容易であり広く利用されている。第三世界では多くが原型のままで運用されている一方、東欧をはじめ先進諸国では様々な改修が施されている。生産国ソビエトでは、主に財政難からT-72など新型戦車への更新が進まない中、1980年代前期から徐々に近代化改修が進められていった。改修の内容・形態は様々だが、特に大きな泣き所であったFCSの改善と防御力の強化に注力されており、レーザー測遠機や弾道コンピューターの追加、照準器の更新、増加装甲などが主な改造点となっている。一部の派生型(T-55AD)ではアクティブ防護システムドロースト(つぐみ)を追加しており、ロシア側は「世界初のアクティブ防護システム装備車両」と主張している。主砲は換装されていないが、安定装置を改善して行進間射撃を可能としたほか、主砲発射式のレーザー誘導対戦車ミサイルの運用能力を追加し、優勢な相手に対してもアウトレンジ攻撃を可能としている。また、重量増加による機動力の低下を補うため、エンジンの換装・出力強化も施行されている。これらの改修型T-55はソビエト崩壊後もしばらく運用が続けられていたが、多くはヨーロッパ通常戦力条約に基づき廃棄処分とされ、ロシア国内ではほとんど残っていない模様である。イスラエル国防軍は中東戦争で大量に鹵獲したT-55に独自の改修を加え、Tiran-4/5(Ti-67ともいう)として主砲を105 mm L7A1に変更、砲塔上に機銃を増設するなどの改造を加えて使用し、メルカバへの更新後は海外に売却されたり、重装甲のアチザリット兵員輸送車に改修された。近年の改修型としては、ウクライナのT-55AHM(T-55AGM;輸出向け)、スロベニアが自国で運用するM-55Sなどがある。またアフターマーケット向けに、各国から様々な改修キットが提案・販売されている。また、ポーランド、チェコスロバキア、中華人民共和国でライセンス生産がおこなわれている。中国ではT-54の50年型のコピーが「59式戦車」と呼ばれ、後にソ連と対立状態になったことで技術の供与が受けられなくなったことから独自の改修が繰り返され、69/79式戦車へと発展した。また59式戦車をそのままスケールダウンしたような62式軽戦車も開発された。湾岸・イラク戦争でも中国製と合わせイラク軍の主力戦車として使用された。長い間内戦状態にあったアフガニスタンでは、ターリバーンや北部同盟など各勢力が各々T-55/54を運用しており、アメリカのアフガニスタン侵攻の際、メディアに幾度となく登場することとなった。現在も世界各地の紛争地で、T-55の姿を見る機会は多い。低いシルエットと避弾経始の良さ・強力な武装・良好な機動性により、T-54/55は登場当時は世界最強・最優秀戦車と呼ばれて西側諸国から極めて恐れられたが、その評判は一連の中東戦争でイスラエル国防軍が運用する西側戦車に対し苦戦を強いられたことから徐々に低下していき、イスラエルからアメリカなどに引き渡された実物の性能試験によって実際の性能も白日の下にさらされることになった(但し、一連の中東戦争では西側のM48を装備したヨルダン軍がイスラエル軍に敗北した例がある反面、T-54/55の鹵獲・改良型であるTiranを装備したイスラエル軍が一定の成功を収める等の事例もあるため、兵器自体の優劣以上にイスラエル軍とアラブ諸国側の兵士の練度差も大きかったと思われる)。車内が狭いため西側戦車に比べて乗員の疲労度は相当なものであり、砲弾装填速度の低下を招いた。また車内に隙間無く砲弾が納めてあるため、貫通弾により誘爆が発生しやすかった。主砲の100 mm砲は口径では西側の90 mm砲を上回っていたものの威力は同程度であり、さらに光学装置は第二次大戦当時と同じでお世辞にも良好とは言い難く、アラブ側戦車兵の練度不足もあって、遠距離砲撃の命中精度が低かった。工作精度が西側に比べると劣悪で、ギアチェンジが非常に固く、レバーを叩くためのハンマーが車内に装備されている(イギリス・ボービントン戦車博物館で、所蔵車輌の自走中にバックギアの戻しを失敗して駐車場の車を数台踏み潰した事がある)。そのためエンジン等機械の寿命が西側戦車に比べるとかなり短かったが、チェコとポーランドで生産されたものは、ソ連製に比べ工作精度や仕上げが良かったという。ソ連ではT-54/55の失敗から自動装填装置の必要性が認識され、使用する砲弾の威力不足も指摘された。T-55は以下の戦争・紛争でT-54とともに用いられた。かつてタミヤは自社のT-55のプラモデルに「コマンダー」という独自の愛称を与えていた。

出典:wikipedia

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