しなのは、東海旅客鉄道(JR東海)および東日本旅客鉄道(JR東日本)名古屋駅 - 長野駅間を中央本線・篠ノ井線・信越本線経由で運行する特別急行列車(エル特急)である。本項では、名古屋駅 - 塩尻駅間(中央西線)で運転されていた優等列車についても記述する。篠ノ井線・信越本線を管轄する東日本旅客鉄道(JR東日本)管内では唯一のエル特急である。JR東日本管内では信州特急料金回数券を持っている場合は普通車指定席の空席も利用出来る。「しなの」は、1953年に名古屋駅 - 長野駅間で準急列車として運転を開始し、当初は毎日運転の不定期列車であったが、1956年11月に定期列車化された。1959年には新型車両を投入して急行列車に変更され、所要時間も1時間短縮された4時間40分前後になった。1965年頃には、中央西線でも特急列車を運転しても採算がとれるほどの需要があったが、急勾配であるために高出力のエンジンを搭載した気動車の開発が必要なことから、キハ91形が試作されて試験が行われた結果、高出力特急気動車のキハ181系が新製投入され、1968年10月から特急列車化された。1973年5月に中央西線が電化されると、7月からは振り子式車両の381系が投入されて電車化が開始し、1975年3月から全列車が電車で運転されるようになった。1995年からは制御付き自然振り子方式の383系が投入され、翌1996年12月1日には長野駅発着の定期列車は383系に統一された。列車名は、長野県の大部分の旧国名である信濃国が由来となっている。2016年3月26日現在の運行概況は次の通り。定期列車はすべて名古屋駅 - 長野駅間で13往復(名古屋発7時 - 19時台、長野発6時 - 19時台)である。臨時列車では、松本駅発着の列車や大糸線白馬駅発着の列車が運転されることがある。定期列車の列車番号は基本的に1000M+号数である。長野県や岐阜県東部(中央本線中津川駅 - 塩尻駅間と篠ノ井線区間)の山間部を通過するため、山地の局地的な大雨のほか、冬季は積雪の影響で遅延することが多い。またそれ以外の時期でも、単線区間の行き違いや、塩尻駅での中央東線からの列車の接続待ちなどの影響により、数分の遅れが発生することが日常化している。なお、本列車群のみならず、追い越しなどの関係で大雨や積雪などとは直接の関係がない名古屋地区での中央線の快速列車と普通列車や、多治見駅で接続する太多線の列車、さらにはかつて大阪駅直通だった9号・16号の場合は乗り入れ先の西日本旅客鉄道(JR西日本)アーバンネットワーク各線にまでもその遅れの余波が及ぶことが多かった。2016年3月26日のダイヤ改正に伴い、利用が低迷していた大阪駅発着の列車が廃止されて全列車が名古屋駅 - 長野駅間の運転になり、これにより旅客3社を直通する昼行列車は消滅した。主な理由としては、名古屋で東海道新幹線に乗り換える客の増加が挙げられる。名古屋駅 - (金山駅) - 千種駅 - 多治見駅 - (恵那駅) - 中津川駅 - (南木曽駅) - (上松駅) - 木曽福島駅 - 塩尻駅 - 松本駅 - (明科駅) - (聖高原駅) - 篠ノ井駅 - 長野駅愛・地球博期間中は高蔵寺駅にも停車する列車(1日4往復)もあったが、終了後は全て通過になっている 金山駅:下り21~25号、上り2号が停車。 恵那駅:下り3・13・25号、上り2・12・24号が停車。 南木曽駅:下り1・7・17・25号、上り2・16~20号が停車。 上松駅:下り1・25号、上り2・24号が停車。 明科駅:下り1・15・19・23号、上り2・6・24・26号が停車。 聖高原駅:下り21号、上り4号のみ停車。白馬駅発着列車(臨時列車)名古屋駅 - 千種駅 - 多治見駅 - 中津川駅 - 木曽福島駅 - 塩尻駅 - 松本駅 - 豊科駅 - 穂高駅 - 信濃大町駅 - 神城駅 - 白馬駅中央西線を中心に急曲線が多いことから、制御付き自然振り子式車両の383系電車(JR東海神領車両区所属)が使用されている。かつて、東海道本線では、振り子式車両の運転が少なく、架線の張り方が振り子式車両向けにはなっていないため、台車の振り子機能は使われなかった。JR西日本管轄区間では、新快速などとともに130km/h運転を行っていた。383系電車は1995年から使用されており、6両編成での運転が基本で、長野向き先頭車は非貫通・パノラマ形のグリーン車となっている。利用状況に応じて増結されることがあるが、増結用編成は長野向き先頭車が貫通形グリーン車の4両編成と、普通車のみで長野向き先頭車が貫通形の2両編成の2種類があり、最大10両編成で運転される。基本編成との走行距離の均一化を図るため、増結用編成のみ(4両+2両)の定期運用も組まれている。臨時列車には、増結用の4両編成のみの運用もあるが、2両編成単独で使用されることはなく、どの列車にもグリーン車が最低1両組み込まれている。383系を使用する列車は、「ワイドビューしなの」と案内・報道されることが多いが、これは「ワイドビュー形車両を使用するしなの号」の意を表す通称であって、列車名は「(ワイドビュー)しなの」、または単に「しなの」と表記・呼称するのが正しく、これはほかのワイドビューの列車も同様である。いずれの編成も、名古屋向きの先頭車は貫通形の普通車である。特急列車化された1968年にキハ181系気動車が投入され、1973年に中央西線中津川駅 - 塩尻駅間が電化されたことにより、381系電車の運用も開始し、1975年まではキハ181系と381系の両方が使用されていた。181系は食堂車が連結された10両編成で、電車運転を行う381系とサービス面で格差があったが、1975年に全列車が381系に統一された。その後、1995年に383系が導入されて以降は381系の運用を減らし、1996年には臨時列車のみに使用されることになった。2008年5月に臨時列車における381系の運用も終了し、381系「しなの」は35年の歴史に終止符を打った。「赤倉」(あかくら)は1962年に「きそ」の1往復と「あさま」を結ぶ形で名古屋駅 - 新潟駅間を急行列車として運行を開始した。登場時では5本目の急行列車であった。運行区間が名古屋駅 - 長野駅 - 新潟駅間と北陸本線および東海道本線・上越線経由よりショートカットとなるため、他の中央西線急行群とは異なる異彩な1往復として存在した。しかし、1973年の運行区間全区間電化完成時、165系が工面できなかったため電車化ができず、「全区間架線下でのディーゼル急行」としても著名な列車となった。電車化したのは1982年のことで「赤倉」以外すでに中央西線の優等列車はエル特急「しなの」化されており、1985年に名古屋駅 - 松本駅間を廃止。以降「南越後」(みなみえちご)の総称名称で長野駅 - 新潟駅間の急行として運行された。なお由来は新潟県妙高市の赤倉温泉から。→「くびき野 (列車)#信越本線長野以北優等列車沿革」も参照。中央西線で最初の優等列車として、1947年6月に名古屋駅 - 松本駅間で運転を開始した準急列車である。夜行列車として設定され、ビジネス客や観光客からの人気が高く、1958年から1961年にかけて増発されている。増発分の列車は1962年までに「赤倉」や「きそこま」・「おんたけ」に分離されて、1往復のまま1966年に急行列車化された。1968年10月に中央西線の急行列車の統一により「きそ」に統合されて一挙に7.5往復にまで増加した。1972年からは下り列車の一部が直江津駅まで普通列車として直通運転が行われ、1973年に名古屋駅 - 塩尻駅間の電化が完成すると「きそ」の削減が始まり、1982年11月には1.5往復にまで減少して1985年3月に廃止された。1998年開催の長野オリンピックに合わせ、1往復運転された。列車名の長野県南西部の木曽地域が由来となっている。「きそこま」は木曽地域から長野市への利用客の不便を解消するために、運転を開始した列車で1962年12月に準急列車として運転を開始した。当初は下り列車のみであったが、1966年3月に急行列車化され、同年10月から1年間は上り列車も運転されていた。1968年10月に中央西線の急行列車の統一により「きそ」に統合された。列車名は、「きそこま」は木曽山脈(中央アルプス)の最高峰である木曽駒ヶ岳の通称から。「つがいけ」は名古屋と大糸線沿線を結ぶ不定期列車として1966年10月に名古屋駅 - 信濃森上駅間で運転を開始。1968年10月に中央西線の急行列車の統一により「きそ」に統合されたが、「つがいけ」の人気は高く1970年7月に再び名古屋駅 - 南小谷駅間で不定期列車であるが「つがいけ」1往復が運転開始され、翌年1971年には2往復に増発された。1973年に「つがいけ」の1往復に165系を投入して定期列車化され、グリーン車も連結されるようになったものの、1982年11月に廃止された。列車名は、「つがいけ」は長野県北安曇郡小谷村に広がる栂池高原が由来となっている。名古屋駅 - 長野駅間で1961年10月から1966年3月まで運転されていた急行列車で、1961年10月に「しなの」の姉妹列車として運転されていた。1963年10月に「しなの」に統合されて廃止。名称は信越本線系統の急行列車に転用された。
出典:wikipedia
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