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龍隆行

龍 隆行(りゅう たかゆき、1941年11月25日 - )は、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)、プロボウラー。小学生の時に野球をやっていた兄の影響でプロ野球選手を志すようになり、その兄からカーブを教えてもらってから頭角を現し、中学の時に4番で投手を務める程に活躍をしていた。三池高校では、1959年夏の甲子園県予選で準々決勝に進むが、戸畑に敗退し甲子園には届かなかった。決め球のカーブを武器に1試合平均で15奪三振、最高では23奪三振を記録。その後、スカウトからの誘いもあって法政大学に入学。東京六大学リーグでは在学中に4度の優勝を経験。大学同期に山崎武昭がおり、左の二本柱として活躍した。リーグ通算36試合15勝6敗、防御率1.19、138奪三振。サウスポーから繰り出す決め球の大きく曲がるカーブと緻密なコントロールにより、1962年春季リーグ、1963年秋季リーグの優勝に大きく貢献した。1962年の大学3年時は公式戦年間32試合中18試合に登板、防御率0.84という好成績をあげた。同年の全日本大学野球選手権大会でも決勝で駒大を降し優勝。第1回日米大学選手権に出場し、ミシガン大学と対戦している(戦績は2勝3敗)。法大時代に龍の2年後輩だった長池徳士は「龍さんが居なければ連続優勝はできていなかった」と語っている。大学3年時には、中退で読売ジャイアンツ入りと新聞報道されたこともあったが、卒業後、多数の球団がオファーがある中、1964年に東京オリオンズに入団した。入団1年目の1964年はプロの壁を越えられず、不振のまま終わる。1965年に初先発で西鉄ライオンズを相手に7回を投げ、初勝利をあげた。主に中継ぎとして活躍する。1968年のオープン戦で練習時に打撃投手として投げ、直後の試合にも登板させられたことで球団との確執が生まれ、同年限りで退団した。オリオンズを退団後、グローバルリーグの東京ドラゴンズに投手兼コーチとして参加。しかしリーグは破産し、宿賃はおろか帰国する費用も無くなってしまう。当時リーグに参加していた龍を含め26名は路頭に迷う事になるが、日本大使館の援助により事なきを得る。そこで龍は初めてボウリングを目にした。龍は「野球ではなくボウリングで生計を立てられる」と思いプロボウラーになろうと決意、その日からボウリング場で働きながら毎日6時間30ゲームの猛練習を続けた。1970年にボウリングを始め、わずか半年で応募数約7000人の中からプロボウラーのテストに合格し転身、6試合目に初優勝を飾った。1992年から日本シニアチャンピオン大会で2連覇を達成。1994年の第5回大会で準優勝。通算タイトルは17回で歴代6位。日本ボウリング史上ナンバーワンのサウスポーと云われる。現在もプロボウラーとして活動中だが、2007年に心臓弁膜症と直腸癌の手術を受けてからはトーナメント戦から引退状態であり、東京都新宿区高田馬場のシチズンプラザにてボウリング教室の講師を務めていることを明かしている。

出典:wikipedia

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