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L'Arc〜en〜Ciel

リーダーはtetsuya。プロダクションはMAVERICK、レコード会社はソニー・ミュージックレーベルズ (Ki/oon Music) にそれぞれ所属する。公式ファンクラブ名は「LE-CIEL」(1995年設立)。1991年2月頃、大阪市でtetsuyaを中心に結成される。グループ名はフランス語において「虹」を意味する "l'arc〜en〜ciel" ( ラルカンスィエル、ラフカンスィエル)。グループ名決定の経緯は諸説あり、阪急梅田駅前に存在した喫茶店の名前をtetsuyaが気に入り、そこから取ったという説が有力であるとされてきたが、tetsuyaによって否定された。正確には、当時本屋などで資料を探していたtetsuyaがこの言葉をたまたま見つけ、見た目や響き、さらには様々な色を表現する「虹」が「音楽」の表現という点で共通していると感じたため、この名前をつけたという。また、tetsuyaは「長くて覚えにくいけど、ローマ字表記にしたらインパクトがあると思った」とも語っている。当時のメンバーはtetsuya (ベース・当時は「tetsu」)、hyde (ヴォーカル・当時は「Hide」)、hiro (ギター)、pero (ドラムス)の4人で、インディーズ時代は関西を拠点に活動した。ちなみに、L'Arc〜en〜Cielを結成する前にhydeとperoの2名は「Jelsarem's Rod」で共に活動しており、Jelsarem's Rodとして参加したセッション大会で偶然tetsuyaと遭遇して以降、tetsuyaがhydeに対し「バンドを作ろう」と電話などで誘い続け、結果tetsuyaらとセッションを行った。その後、Jelsarem's Rodのメインコンポーザーも兼ねていたhydeが「活動の行き詰まりを感じて」解散。セッションの縁からL'Arc〜en〜Cielに加入することとなった。結成後、5月30日に当時のホームグラウンドとしていた難波ロケッツで行ったファーストライブは、いわゆる対バン形式ながらも100人以上を動員。また、9月27日に同所で行われた初のワンマンライブでは300人以上の動員を記録するなど、結成間もなくのインディーズバンドとしては異例の動員数を誇っていた。1992年に入り、3月にはオリジナルのビデオプレゼントライブを大阪の他に東京でも行い、関東地方にも活動拠点を広げるが、6月にhiroが脱退。後釜にはtetsuyaと学生時代に親交のあったkenが加入する。直後から1stアルバムのレコーディングを行い、完成直前まで漕ぎ着けたものの、メンバー曰く「出来映えが気に入らなかった」ため全曲をボツにしアルバムを発売しない意向を取った。しかし、この一件で当時所属していた事務所との間に軋轢が生まれ、レコーディングに掛かった経費などの支払いを命じられたが、これとほぼ同時に、デンジャークルー (現:マーヴェリック・ディー・シー・グループ) 社長の大石征裕から「うちの事務所に来て欲しい」と誘いがあり、そのままデンジャークルーへ移籍。この時の金銭問題は、事務所間での話し合いで全て白紙となった。1993年1月、前年12月のライブで脱退したperoに代わってsakuraが加入。この後に約1ヶ月間のレコーディングに入り、アルバム『DUNE』を発売。限定リリースのCDを除く初の公式発売音源となった。5月10日付のオリコンインディーズアルバムチャートでは1位を獲得し、インディーズでの人気を不動のものとする。この年の夏、当時CDショップでアルバイトをしていたtetsuyaが「店に来た担当の人間を気に入った」という理由から、1992年にソニー・ミュージックエンタテインメント内で新規レーベルとして設立されたばかりの「キューン・ソニーレコード」と契約を結ぶ。1994年7月1日、ビデオシングル『眠りによせて』でメジャーデビュー。デビュー直後はインディーズ時代からのファンも多かったが、デビュー後初めて行った全国ツアーの東京ベイNKホール公演などではチケットがソールドアウトしないという事態が発生し、以後は「スタッフに全て任せきり」だったコンサートの会場決め、プロモーションなどを自分たちで行うようになった。10月21日には1stシングル「Blurry Eyes」を発売、メジャーレーベルでの本格的な活動を開始した。1995年以降は積極的にライブ活動を行い、同年の12月27日には初の日本武道館コンサートを、1996年には2年前の「リベンジ」として東京ベイNKホールでの公演を開催。その後も徐々に人気を広げ、12月発売のアルバム『True』がデビュー後初のオリコン1位を獲得。『True』はその後発売6週目でミリオンセラーを記録した。この時期には初のアリーナツアーを開催するなど人気は過熱しはじめ、ヒット街道を驀進するものと思われたが、1997年2月にドラマーであるsakuraが逮捕され、活動予定を全て白紙化して完全な休止体制へ突入した。sakuraの逮捕後、「曲作りとリフレッシュ」の名目で渡英し、レコーディングを含めた数ヶ月間の滞在をする。この間にサポートドラムとして元、DIE IN CRIESのドラマー・yukihiroが参加したセッションなどが行われ、同年10月に長い休止から復活。直後発売したシングル「虹」は当時の自己最高初動・最高売上を記録。12月23日に自身初となる東京ドームで行った復活コンサートでは公演チケットが当時の最速記録である4分で完売と、当時絶頂にあったバンドブームと重なり休止前までには無かったほどの爆発的人気を得ることになった。翌1998年にはyukihiroがドラマーとして正式加入。シングル「winter fall」の発売を皮切りに、連続かつ集中的なリリースパターンを取り、7月に「HONEY」「花葬」「浸食 〜lose control〜」の3枚同時シングル発売や、それによるオリコンシングルチャート1位と2位の独占 (発売2週目)、10月には「snow drop」「forbidden lover」の2枚2週連続シングル発売による2度目のシングルチャート1位と2位の独占、1999年7月には『ark』『ray』の2枚同時アルバム発売によるオリコンアルバムチャート2週連続1位と2位の独占などで大きな注目を浴びた。1998年から2000年の3年間でシングル13作、アルバム3作がリリースされており、その内の8作がミリオンセラーを記録した (内2作がダブル・ミリオン)。ライブはyukihiroが正式加入して初となるツアーとして、1998年に自己最長となる全国45都市56公演にも及ぶホールツアー「Tour'98 ハートに火をつけろ!」を敢行。翌1999年には初の野外ライブツアー「1999 GRAND CROSS TOUR」を行い65万人を動員した。また、8月21日・22日に行われた同ツアーの東京・東京国際展示場 駐車場特設ステージ公演では、自己最多動員数となる12万5千人 (両日25万人)を記録した。以後もライブハウスツアー、ドームツアーといった多彩なステージで公演を行っている。また、同時期からフリーの映像ディレクター・箭内道彦が主なディレクションを担当した、藤原喜明の起用を始めとするバラエティに富んだ広告展開を行うようになる。テレビCMでは「グループ名『L'Arc〜en〜Ciel(ラルク・アン・シエル)』の正しい読み方を広く認知させる」ものや「記者会見風の『活動予定告知』告知」を流し、新聞広告では「新曲の着信メロディの作成方法」や、コンピュータグラフィックスで作成した「坊主頭のメンバーの写真」などのような、それまでにはない奇抜なものを掲載するなどして注目を集めていった。2001年、シングル「Spirit dreams inside -another dream-」の発売前後から、tetsuya・yukihiro・hydeが相次いで個人活動を開始。実質的な活動休止状態に入る。前述のように、1998年以降のL'Arc〜en〜Cielは活動が集中的に行われていたため、急な活動の沈静化に一部では解散説も流れ、「もうL'Arc〜en〜Cielとしての活動は無いのではないか」と思われていた。この活動休止に関してtetsuyaは、「どれが本当の理由か分からなくなるほどたくさんの理由があった」と語っている。ソロの開始から2年が経った2003年、国立代々木競技場でバンド名に沿った7日間のライブ「L'Arc〜en〜Ciel Shibuya Seven days 2003」を開催。最終日には2004年3月のアルバム『SMILE』発売と4月からのツアー開始を発表、それまで流れていた解散説を一蹴する。翌年2月4日にシングル「READY STEADY GO」を発売し活動を再開させ、2004年・2005年でシングル7作、アルバム2作をリリースした。活動再開以降は各メンバーのソロ活動と並行してL'Arc〜en〜Cielの活動を行うようになっている。また、2004年には、初となる海外公演を「 2004」の一環として、アメリカ・ボルチモアので開催した。さらに、翌年には「ASIALIVE 2005」を開催し、ソウル、上海においてライブを行い、東アジアを中心として海外においてもライブ活動を開始した。結成15周年となる2006年には「Blurry Eyes」から「forbidden lover」までの14枚のシングルと、未発売だったシングル「the Fourth Avenue Café」の12cmCD盤および、1999年に2枚同時発売されたアルバム『ark』、『ray』に特典DVDを付属した15周年記念盤が発売された。また、同年11月25日・26日には結成15周年記念ライブ「15th L'Anniversary Live」が東京ドームにて開催された。2007年にはシングル4作、アルバム1作がリリースされ、9年ぶりとなるホールツアー「Are you ready? 2007 またハートに火をつけろ!」も開催された。翌2008年には東京ドーム3公演、京セラドーム大阪2公演を含め、上海、台北、パリ、ソウル、香港という世界7都市を廻るライブツアー「L'ArcenCiel TOUR 2008 L'7 Trans ASIA via PARIS」を開催。同年5月9日にはフランス・パリのにおいて自身初のヨーロッパでのライブを行った。また、同年5月13日の読売新聞朝刊記事で、シングル「NEXUS 4/SHINE」の発売および同ツアー終了を持って結成20周年となる2011年までライブ活動を休止することが発表された。以後2011年まで各メンバーの個人活動の期間に充てられたが、ライブ活動休止中においても新譜および映像作品はリリースされており、2010年にはバンクーバーオリンピック・パラリンピックのNHK放送テーマソングに起用された「BLESS」がシングルでリリースされている。2011年1月1日にニューイヤーライブ「L'Arc〜en〜Ciel 20th L'Anniversary Starting Live "L'A HAPPY NEW YEAR!"」を開催し、L'Arc〜en〜Cielとしての活動を本格的に再開。同年5月28日・29日には結成20周年ライブ「20th L'Anniversary LIVE」が味の素スタジアムで行われ、9月10日からはアリーナ、ドーム公演を含む3年ぶりとなるライブツアー「20th L'Anniversary TOUR」が開催された。また、同年にはシングル3作、翌年には4年3ヶ月ぶりとなるアルバム『BUTTERFLY』がリリースされた。2011年10月12日に発売された結成20周年第二弾シングルとなる「X X X」では、ロックバンドとして史上3組目となる1990年代・2000年代・2010年代の3つの十年代連続でのオリコンシングルチャート1位獲得を記録した。2012年3月3日からは、香港、バンコク、上海、台北、ニューヨーク、ロンドン、パリ、シンガポール、ジャカルタ、ソウル、ホノルル等、世界10カ国14都市を廻るワールドツアー「WORLD TOUR 2012」が開催され、日本公演含め45万人を動員した。 3月25日には、アメリカ・ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいて、日本人ミュージシャンとして初となる単独公演を行われた。さらに、同ツアーの追加公演として、横浜、大阪、東京の国内3都市で野外ライブツアー「20th L'Anniversary WORLD TOUR 2012 THE FINAL」が行われ、 5月26日・27日には、ミュージシャンとしては史上4組目、ロックバンドでは初となる国立霞ヶ丘陸上競技場公演が開催された。ワールドツアー後約2年間はL'ArcenCielとしてのライブ活動は行われなかったが、2014年3月21日・22日に1年10ヶ月ぶりとなる国立競技場でのライブ「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2014 at 国立競技場」が開催された。前回の公演と異なり、フィールドに設置される花道を排除し限界まで座席を敷き詰め、スタンド、フィールド含め8万人(両日16万人)を動員、ライブにおける国立競技場史上最多動員数を記録した。翌年には「L'Arc〜en〜Ciel LIVE 2015 L'ArCASINO」を開催し、4年ぶりとなるシングル「Wings Flap」のリリースを発表した。結成25周年となる2016年9月に新曲「Don't be Afraid」の完成を発表。また、本楽曲と発売20周年となるゲーム『バイオハザード』のコラボ企画となるPlayStation VR向けミュージックビデオ「Don't be Afraid -Biohazard×L'Arc-en-Ciel on PlayStation VR-」の配信が併せて発表された。1999年4月19日、NHKの音楽番組『ポップジャム』の5月1日放送分の収録にメンバーが参加した。その日の収録では、L'Arc〜en〜Cielは2曲演奏する予定であったが、当日は1曲演奏終了時点でメンバーが演奏を中止、そのままステージを去るといった事態が起こったことが後日報じられた。事の発端は、当時番組のMCを務めていたお笑いコンビ・爆笑問題がメンバーに対して「ヴィジュアル系」と発言したこと。そのトーク後に「HEAVEN'S DRIVE」の演奏を行ったが、tetsuyaは本来担当するはずのコーラスパートを無視し、演奏を終了。ステージから捌けていく際には「ベースをぞんざいに扱う」など不機嫌な様子だったとされた他に、「本来は2曲撮影する予定だったところを1曲で切り上げた」とも伝えられた。また、tetsuyaが事件の数ヶ月後に受けた雑誌インタビューでは「(怒って帰ったのは) 俺がファンなら格好いいって言う」「(『大人げないか正当か』の議論に対し) 俺は大人だなんて一言も言ってないし、自分が大人だなんて思ってない。(中略) 大人げなくて結構」と発言するなど、行動に対して議論を呼んだ。tetsuya自身は、今回の出来事を後年に「元々2曲を別々に収録する予定であり、楽器をぞんざいに扱い、キレてそのまま帰ったというのは間違い」と否定しており、実際は、番組に出る時点で要望などを事務所、レコード会社を通して番組に伝えていたが、それが司会の爆笑問題まで伝わっていなかった。 また番組の構成等においても番組側とL'Arc〜en〜Ciel側のスタッフとの間でちゃんと打ち合わせがなされていなかったとしている。その結果NHKとL'Arc〜en〜CielのメンバーおよびL'Arc〜en〜Ciel側のスタッフが話し合った結果、気持ちよく仕事をする環境が整っておらず、このまま収録を続行することができないという結論に達したため、スタッフ、爆笑問題等に挨拶をし次の仕事へ向かった」といった内容を語っている。「司会の爆笑問題やNHK側のスタッフに責任がある訳ではなく、メンバーの意思を相手側に伝えなかったラルク側のスタッフに責任がある」「うちのスタッフに対してもっとちゃんとやってくれという意味での行動だった」とした。tetsuyaは「『ヴィジュアル系』というのは人を見た目で判断する差別用語」「音楽のジャンルではなく、楽曲をきちんと聴いてもらっていない証拠」と、自分たちを『ヴィジュアル系』というくくりに包括されることを頑なに否定し、『ヴィジュアル系』という呼び方、ジャンル分けを批判している (ただし、『ヴィジュアル系』と呼ばれるバンドや音楽、ファッションは批判していない)。「例えばファッションショーとかで、すごく前衛的なファッションでメイクも濃かったり、字を書いてたり、髪型もすごかったりするモデルさんが出てくるじゃないですか。それに近い感覚で俺はやってたつもりなんですけど、たまたま世間でヴィジュアル系って言葉がハヤってて、そういう音楽ジャンルもあるらしいから、そういうのと一緒にされたんだろうなとは思います。リスナーもそういう人たちとダブってると思うから。でも面白いですよ。『ハハハ』って感じ」と発言している。また、2016年のYOSHIKI主催による、ヴィジュアル系バンドが集うフェス「Visual Japan Summit 2016」には、tetsuya以外のメンバーが各日に出演している。hydeはイギリスのニュー・ウェーヴやゴシック・ロック、アメリカのハードロックやヘヴィメタル、ハードコアなどが好きなジャンルだと語っている。具体的にはデペッシュ・モード、The Mission、ザ・キュアー、GBHを好きなバンドとして挙げている。また、DEAD ENDから大きな影響を受けている。その他にバンドとしてはレディオヘッド、デヴィッド・シルヴィアン、デヴィッド・ボウイ、ガンズ・アンド・ローゼズ、ジェフ・バックリィ、ナイン・インチ・ネイルズ、U2、デュラン・デュラン、モトリー・クルー、ニルヴァーナ、ザ・スミスなどの影響が垣間見える事が多い。L'Arc〜en〜Cielの楽曲の作詞の殆どをhydeが担当しており、特にシングルの表題曲は「New World」を除いた全ての楽曲において作詞を担当している。しかし、アルバム曲では他のメンバーも作詞を担当することが多くなってきており、アルバム『KISS』では初めてメンバー4人とも独自で作詞作曲を担当した楽曲が収録されている。作曲はメンバー全員が担当しており、コンポーザーが4人いる故にそれぞれの楽曲が独自の個性を持っている点がL'Arc〜en〜Cielの楽曲の最大の特徴であり、ハードロック、ポストパンク、ニュー・ウェーヴ、インダストリアル、パンク・ロック、ヘヴィメタル、オルタナティブ、ダンス・ミュージックなどの要素を自由に取り入れた多種多様な楽曲が存在する。メンバーであるkenも「L'Arc〜en〜Cielは4人の作曲者がいて、それぞれにいろんな匂いがあるっていう面白さがあると思う」と語っている。楽曲のアレンジは結成初期からデビュー後しばらくまではメンバー自身が行っていたが、シングル「Vivid Colors」以降はシングル曲のみ、4thアルバム『True』からは、全曲が西平彰を筆頭とするアレンジャーとの共同アレンジとなった。1998年からは元PINKのベーシスト・岡野ハジメがプロデューサーとして参加し、2005年まで岡野とメンバーが共同でアレンジを担当した。2007年以降、セルフアレンジが多くなっているが、曲によって岡野・西平がアレンジを担当することもある。また、過去には以下の楽曲において岡野・西平以外のアレンジャーと共同でアレンジを行っている。L'Arc〜en〜Cielはカップリング曲をアルバムに収録しない方針を取っており、シングル「DIVE TO BLUE」までは「表題曲+カップリング曲 (+表題曲のインストゥルメンタル)」という形態で発売していた。2003年にはアルバム未収録だったカップリング曲を収めたベスト・アルバムとして『The Best of L'Arc〜en〜Ciel c/w』が発売されている。しかし、1998年のシングル3枚同時発売時からあまりその形態にこだわらなくなった。以降、カップリングに過去の楽曲のアレンジやセルフカバーを除いた未発表曲を収録することは極めて少なくなった。シングル「浸食 〜lose control〜」からは、ドラマーyukihiroによる過去の楽曲のリミックス音源が主にカップリング曲を担当しており、2000年にはカップリングに収めた楽曲の別アレンジバージョンを収録したリミックス・アルバム『ectomorphed works』が発売されている。活動を本格的に再開した2004年からのシングルではメンバーのパートチェンジバンド"P'UNK〜EN〜CIEL"によるセルフカバー楽曲とのスプリットシングルという形態で発売され、一時期には収録されていなかったインストゥルメンタルも復活している。このスプリットシングルという形態でのリリースは、シングル「GOOD LUCK MY WAY」までの12作品で行われた。2012年にはそれまでにリリースした全楽曲を収録したアルバム『P'UNK IS NOT DEAD』が、L'Arc〜en〜Cielの12作目のアルバム『BUTTERFLY』の完全生産限定盤の特典CDとして発売されている。これをもってP'UNK〜EN〜CIELとしての活動は一旦の区切りとなった。シングル「X X X」からは、過去の楽曲にアコースティックアレンジを施した「L'Acoustic version」が収録されている。楽曲のアレンジはP'UNK〜EN〜CIELのときと同様にメンバーが持ち回りで担当することになっている。L'Arc〜en〜Cielではバンド内の遊びも兼ね、不定期でメンバー間のパートチェンジを行うことがある。またそこからの発展型として、過去KIOTO (キオト)、D'Ark〜en〜Ciel (ダーク アン シエル)、P'UNK〜EN〜CIEL (パンク アン シエル) の3つのパートチェンジバンドが存在した。この3バンドの共通項として、メンバー構成が同一という点がある (tetsuya…ボーカル、yukihiro (sakura)…ベース、hyde…ギター、ken…ドラム)。また、その他のパートチェンジとしてインディーズ時代では「Ber:Sati」というバンドとセッションした時にそのセッションバンド名を「B'Erc〜en〜Ciel」にしたことがある。その時はD'ERLANGERの「1999-shyboy story」、「DEAR SECRET LOVER」とLUNA SEAの「SHADE」を演奏した。1991年1992年1993年1994年1995年1996年1997年1998年1999年2000年2001年2002年2003年2004年2005年2006年2007年2008年2009年2010年2011年2012年2013年2014年2015年2016年出典:「Official Fun Club Magazine『Ciel』 Vol.10」4頁22. READY STEADY GO (2004年)23. 瞳の住人 (2004年)24. 自由への招待 (2004年)25. Killing Me (2005年)26. New World (2005年)27. 叙情詩 (2005年)28. Link (2005年)29. the Fourth Avenue Café (2006年)30. SEVENTH HEAVEN (2007年)31. MY HEART DRAWS A DREAM (2007年)32. DAYBREAK'S BELL (2007年)33. Hurry Xmas (2007年)34. DRINK IT DOWN (2008年)35. NEXUS 4/SHINE (2008年)36. BLESS (2010年)37. GOOD LUCK MY WAY (2011年)38. X X X (2011年)39. CHASE (2011年)限定. EVERLASTING (2014年)40. Wings Flap (2015年)ラルクはインディーズ時代にデモテープを配布・販売はしていないが、音源が流出し、ファンや関係者によって勝手にタイトルが付けられジャケットも作られ、デモテープとして出回っているものが存在する。もちろん全て非公式品であり、本物は存在しない。「I'm in pain」については、歌詞カードのみライブで公式に配布されたことがある。他にもアルバム『ark』、『ray』などに収録された楽曲など、メジャーで発売された曲のデモ音源もネットを中心に流出している。

出典:wikipedia

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