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BURRN!

BURRN!(バーン)は、ハードロック/ヘヴィメタル、その中でも洋楽を中心に紹介する音楽情報系専門月刊誌。編集・販売はシンコーミュージック・エンタテイメント。毎月5日発売。1984年9月5日、日本初のヘヴィメタル専門誌として創刊。創刊当時は「別冊ミュージック・ライフ」として刊行されていた。創刊号の表紙は、オジー・オズボーンとジェイク・E・リーだった。初代編集長は元ミュージック・ライフ副編集長だった音楽評論家の酒井康。国内外の“ヘヴィメタル”全般を扱っているものの、洋楽雑誌という体裁をとっていることから、2014年11月号で30周年を迎えた後も日本のバンドやミュージシャンが表紙になった事は1度も無かったが、2016年1月号で日本人アーティストとしてLOUDNESSの高崎晃が初めて表紙を飾る事が発表された。1990年代前半より発行及び編集は酒井の会社であるバーン・コーポレーションが手がけていたが、2013年11月号より元のシンコー・ミュージックによる発行となった。それに伴い、関連ラジオ番組の『Heavy Metal Syndicate』もBURRN!の手から離れ、誌面上から(発行人としての)酒井の名もBURRN!から消え、発行人に現シンコー・ミュージック社長の草野夏矢の名が記載されている。編集部の奥野によると酒井の会社は2013年9月下旬の時点で無くなっているとの事で、酒井が2011年頃に出した誌の改革案に対しても否定的な意見を残すなど、編集部内で今後の方針に関する確執があった事をTwitter内で明かしている。1986年5月号で編集顧問の伊藤政則の事務所に当時所属していたANTHEMの「VICTIM IN YOUR EYES」がソノシートとして付録として収められていたことがあり、以降2014年まで音源が付録として付属されていなかったが、2014年9月号でMr.Bigの未発表曲CDが付録として収められる事が発売前に公式にアナウンスされた。創刊時のキャッチコピー:「日本初のヘヴィメタル専門誌、BURRN!」現在のキャッチコピー:「THE WORLD'S HEAVIEST HEAVY METAL MAGAZINE, BURRN!」80年代後半頃には、『METALLION』、ジャパニーズ・メタルを扱った別冊『BURRN! JAPAN』も出していたが、90年代に入った頃に休刊。『METALLION』は90年代後半から復活し現在も不定期で発行されている。レビューでの最高得点は99点を獲得したアルバムは、『KAIZOKU-BAN』(1986年、アクセプト)、『5150』(1986年、ヴァン・ヘイレン) 、『WILD FRONTIER』(1987年、ゲイリー・ムーア)、『HYSTERIA』(1987年、デフ・レパード) 、『IOWA』(2001年、スリップノット)の5作。最低点の0点を出したアルバムは、『聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる』(1985年、聖飢魔II)、『I LIKE IT WHEN YOU DIE』(1997年、A×C×)。レビューが原因で、アーティストとトラブルが起きた事もある(例:ストラトヴァリウス)。ラジオ番組『Heavy Metal Syndicate』(全国27局ネット、1991年~2014年)。パーソナリティを編集部が担当(2006年から最終回までのBURRN!編集部関係者は前編集長の酒井康のみ)、下記のお家騒動があるまではBURRN!がメインスポンサーであった。なお、スタート当初の番組テーマ曲はディープ・パープルの「BURN(紫の炎)」であった(雑誌名『BURRN!』はこの曲名に由来しており、創刊当初から本誌CMソングとして使用している)。 また、かつてはテレビコマーシャルも放送していた(関東地区では、「ベストヒットUSA」の番組終了後に放送されていた)。酒井時代のBURRN!の特徴として「日本のバンドを載せない」「お笑いは許さない」と言う決まりがあった。1989年から2012年まで「ROCKOMANGA!」を連載していた喜国雅彦によると、漫画を連載する条件の一つとして酒井から「日本のミュージシャンはダメ」と言われたとの事である。但し、編集長が広瀬に変わってからは日本のバンドインタビューもBURRN!誌上に増え、喜国も日本のバンドのネタ(主にライブレポ)を執筆する様になった。酒井時代の方針の一つであった「お笑いは許さない」に関して、ギャグ漫画家である喜国をBURRN!編集部(増田勇一)に紹介したのは喜国の友人である当時ZIGGYのベーシストであった戸城憲夫との事で、戸城はZIGGYのライブ後の楽屋で喜国、増田との会話で「BURRN!は誌面が固すぎるから喜国さんの漫画みたいなくだけた物があった方がいい」と増田に進言し、増田はその後酒井に交渉。その後上記の条件で連載が決まった。2012年5月号でページ数の削減、コラムの殆どが終了している。発売と同時に、Twitterアカウントを取得している。1989年当時の酒井のコラムやインタビューによれば、創刊号の初回発行部数は45000部で、発売と同時に売り切れた事により新たに10000部を再版。1989年の時点で国内発行部数107000部、海外輸出部数35000部で合計142000部。広瀬によると日本市場でのBURRN!の発行部数やヘヴィメタルバンドのアルバムの売り上げピークは1997年との事である。一般社団法人 日本雑誌協会によれば2013年~2014年にかけての発行部数は100000部であると発表されている。2013年10月、編集部の前田、奥野のTwitter上及び同年10月5日発売の「BURRN!」11月号の巻末の編集後記にて発行もシンコー・ミュージック一本になった事が発表される。前田や奥野の証言によれば、2012年に多くのコラムを終了させた原因は社長であった酒井の改革案であるとし、前田、奥野の二人は酒井から呼び出しをくらい、この酒井の案が受け入れられない場合、今後の身の振り方を考えろと釘を刺された事を明かしている。酒井自身は社長業だけでなく上記の改革案を元に再び「BURRN!」の編集長に返り咲き、自身の掲げる改革案の元に賛成できない人物を左遷させ、それでも部数が伸びないのなら休刊にしようという考えを持っていた。しかし、この酒井の考えた自分勝手な改革案に編集部内で反発が起き、2012年に藤木が一時的に編集部から外された件に関しても人員削減と称して酒井個人が気に入らない部員を外した事、日本のバンドの扱いが悪かった事も酒井の方針であった事を暴露。結果として2013年9月にはバーン・コーポレーションが閉鎖、酒井及び『Heavy Metal Syndicate』も「BURRN!」とは無関係な立ち位置となり、酒井はシンコーの社員として勤務しているという。前田曰く酒井の改革案をそのまま受け入れていた場合、雑誌は確実に休刊していたと酒井の改革案を批判、他にも酒井がTwitterで『Heavy Metal Syndicate』のアカウントを取得しておきながら番組の宣伝もせず、突如鍵をかけたり、リツイートする者はブロックするなどと発言した事に関して批判的なコメントを残し、ブロック対象者はリツイートした番組のリスナーだけでなく「BURRN!」編集部員にまでブロックしていた事を暴露している。こうした酒井への批判は前田、奥野だけでなくかつて編集部員だった増田も「BURRN!」2013年10月号での広瀬との対談で酒井の事をあえて“先代”と呼び、表紙にするアーティストのルックスに関しても酒井が好む“正しいヘヴィメタル”像でないと納得しないと言う物があったとし、例として当時パンテラのフィル・アンセルモに柔道着を着用させた表紙に関しても酒井が短髪・短パン姿のメタルバンドを認めたくなかったが為に苦肉の策として柔道着を着させた事を明かし、酒井を満足させる為に作っていた側面があった事も明かしている。また、酒井の名が消えた2013年11月号の編集後記内に記載された広瀬の選曲リストの中にNoGoDの「愚かな王」、クイーンズライクの「」、レインボーの「Kill The King」、アイアン・メイデンの「Hallowed Be Thy Name」が挙げられている。なお、酒井は「BURRN!」編集部から追い出された事に関するコメントを一切残しておらず、唯一のメディア出演となっていた『Heavy Metal Syndicate』も2014年の6月を最後に23年5か月の歴史に幕を降ろした。広瀬和生(編集長)、大野奈鷹美(副編集長)前田岳彦、藤木昌生、奥野高久、幅由美子、箭内史子、伊藤政則(特別顧問)BURRN!ではヘヴィメタル以外のコラムも扱っていたが、上記の説明通り酒井の改革案により2012年5月号でページ数の削減に伴い大半のコラムが終了した。しかし、酒井が完全に去った現体制になってからいくつかのコラムを復活させる検討をしており、2013年10月下旬には喜国雅彦の「ROCKOMANGA!」の復活が本人から発表、2014年1月号から古屋美登里、岩沢房代のコラムが復活している。など多数。

出典:wikipedia

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