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コンパイル (企業)

株式会社コンパイルは、かつて存在した日本のソフトウェア開発会社。コンピューターゲームの制作会社として知られ、1990年代に落ち物パズルゲーム『ぷよぷよ』で一世を風靡したことで知られるが、放漫経営が祟り後に経営破綻した。実質的な後身企業として、コンパイル丸が千葉県に創業者により設立された。仁井谷正充によって1982年に広島市南区大須賀町に設立され、後に広島県佐伯郡大野町(後の廿日市市)を経て埼玉県所沢市に移転、2002年に解散している。キャッチコピーは「の〜みそ コネコネ コンパイル」であった。1982年、広島電鉄社員だった仁井谷正充が、コンピューターソフトの開発・情報誌の企画などを行うベンチャー企業として設立。古くはセガの下請けでの作品開発や移植、コンシューマゲーム機への移植やゲーム開発を行なった。1983年に『BEE&FLOWER』を開発した際は、「真紅ソフト」というブランド名を使ったが、以後は使用していない。1980年代中盤には、『ザナック』『アレスタ』など良質なシューティングゲームで名を馳せ、1988年に発刊したMSX向けの『ディスクステーション』はディスクマガジンとして十三年続くこととなった。その後は、1992年にアーケード版が発表された『ぷよぷよ』シリーズで、一般にも知られる。ブームが追い風になって、カーバンクルなどゲームに関連したキャラクターグッズや、広島名物のもみじ饅頭を基に作った「ぷよまん」などの販売に手を広げ、一世を風靡した。また、1996年に開催した自社主催イベント「全日本ぷよマスターズ」では幕張メッセに18,000人を集めるなどユーザーとの親和を図るイベントも積極的に展開し、事実上のイベント業としての様相も見せ、1997年3月期には売上高約69億円を計上した。「ぷよぷよシリーズ」の大ヒットを追い風に、1996-1997年にかけて大量の新入社員を採用し新社屋に移転し本社を拡大、韓国にも関連企業コンパイルコリアを設立するなど、会社規模を急激に拡大していった。コンピュータソフト関連のメーカーということもあり、地元である広島県では注目のITベンチャー企業として頻繁に報道された。また、ビジネスソフト分野への進出も目論んで、グループウェア『パワーアクティ』の開発にも乗り出した。広島を拠点に拡大してゆくコンパイルは、全盛期にはいわば地方ゲームメーカーの雄とでもいうべき存在であり、株式上場や店頭登録などの噂も立つほどの勢いであった。また、1995年にはオートバイチーム「コンパイルレーシングYAMAHA」を結成し、全日本ロードレース選手権にプライベーターとして参入(1998年和議申請の際に解散)。レースクイーンのコスチュームが同社のキャラクターである「カーバンクル」を模した、黄色を主体とした派手なものであったことでも知られる。だが、内実を見ると、この時点のコンパイルは『ぷよぷよ』シリーズ以外に目立った看板商品が無く、その『ぷよぷよ』も仁井谷が思い描いた会社の急激な規模拡大を支えきれるほどのものではなかった。また、巨額の開発費用を投入した『パワーアクティ』の販売不振や、他にも広島市中心部での数度にわたる本社移転、企業体力を省みない人材の大量採用、過剰な宣伝広告費など、いわゆる倍々ゲームを超えるペースで繰り広げられた性急過ぎた事業拡大路線の反動が起き、1997年度下半期から急激に資金面で経営を圧迫し始めたが、それはコンパイルの経営体力を遥かに超える、ひと度何かが狂えば短期間で経営自体を行き詰まらせてしまうほどのものであった。上述の『パワーアクティ』の販売不振の他にも、当初は1997年の年末商戦に投入する大型タイトルとして予定されていたセガサターン向けの『わくわくぷよぷよダンジョン』が開発難航により1998年春期に発売延期に追い込まれたことはコンパイルの財務に大打撃を与えた。ついには、1998年3月に入ると資金面で窮し、最終的には3月末決済の約2億円の手形への目処が立てられず、3月18日に広島地方裁判所への和議を申請。負債総額は約75億円で、これは当時としては日本のゲーム業界では史上最大級の経営破綻で、翌1999年に和議を申請したデータイーストの約33億円、ヒューマンの約37億円と比べても2倍以上、2007年に事業停止した日本テレネットの約10億円と比べても7倍以上の規模であった。その後もこれを超える規模のものは2001年にSNKが約380億円という桁違いの大型倒産を引き起こすまで起きておらず、当時のゲーム業界におけるコンパイルの経営破綻の規模の大きさが窺い知れる。和議申請は受理され、大量の新卒者の内定取り消しおよび大々的な社員の解雇を実施した。この時期にコンパイルから離れた社員は数多く、彼らはコンピュータゲーム業界の内外に幅広く散っていった。ケイブやエイティングなどの同業他社に移籍して再起した人物も多いが、一部には数年の雌伏を経て、アダルトゲームや同人ゲームの分野でゲーム業界に復帰して知名度を獲得し、表舞台に登場する様になった人物もいる。なお、『わくわくぷよぷよダンジョン』は和議申請前に完成したものの、発売は和議申請には間に合わず、セガ(後のセガゲームス)の全面的な協力を得て発売されたのは1998年4月2日のことであった。和議成立後のコンパイルは、本社を広島市中心部から郊外部の佐伯郡大野町(後の廿日市市)の食品工場跡地に移転。また、この和議に際して、債務圧縮のために債権の一部放棄を受けると共に、『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権をセガ(知的財産権は2015年4月以降はセガホールディングスが保有)に譲渡。ただし、セガからコンパイルに対して2002年8月まで『ぷよぷよ』の使用許可が与えられ、ひとまず企業再建の道を歩むかに見えた。しかし、和議申請と共に元従業員や関係先などの発言や情報から、一連の無茶な経営や社内の問題ある実態が次々と露呈し、いわゆるワンマン社長として知られていた仁井谷の対外的信用が失墜した上に、社内システムの建て直しも不首尾に終わったことから往時の勢いは戻らなかった。そして最後まで『ぷよぷよ』に代わる新しい作品を生み出すことができなかった。後に広島から撤退し、東京都内に残存していた東京事務所を移転集約する形で本社を埼玉県所沢市小手指町に移転。企業規模も縮小を続け、所沢への移転後は実質的にマンションの地下の1フロアに収まるほどになっていた。2002年8月末で『ぷよぷよ』シリーズの知的財産権の使用権を失い、関連商品の販売ができなくなる。同月にタイトーとの業務提携により新たな落ち物パズル『ポチッとにゃ〜』の製作を発表するも、その後、同年12月8日付で会社解散し活動停止。直後の同年12月25日付で本社を東京都台東区に移転した。2003年11月6日には東京地方裁判所より破産を宣告された。この時点での負債総額は約54億円。2004年2月17日、費用不足のため破産廃止。その旨の登記が同年5月12日付でなされ、株式会社コンパイルなる法人は完全消滅した。破産宣告と前後して同社のメンバーにより新会社として有限会社アイキが設立され、倒産後の『ぷよぷよ』シリーズを除いたコンピュータゲーム関連の知的財産権・営業権は同社に引き継がれ、仁井谷もアイキに合流した。『ポチッとにゃ〜』は紆余曲折を経てアイキが製作を引き継いで、アーケード版はエイブルとビスコによるMulti Video Systemへの移植協力によりタイトーから、PlayStation 2版はバンダイから発売されることになり、その他ジー・モードとの提携により過去のコンパイル作品の携帯電話アプリ版の製作も行っていた。そのアイキも経営が芳しくなかったのか2007年に破産廃止。かつてコンパイルおよびアイキが所有していたゲームコンテンツの知的財産権は(既にセガへ譲渡されていた『ぷよぷよ』シリーズを除き)、2005年11月にD4エンタープライズに商標が継承されており、同社が運営するデジタルコンテンツ配信事業の一環として、ウェブサイト「コンパイルステーション」や「プロジェクトEGG」などでゲームコンテンツが配信されている。2006年、元データイースト社員の桑名真吾によって、アイディアファクトリー株式会社の関連子会社としてコンパイルを社名に冠したコンパイルハートが設立され、仁井谷が開発の監修を行うとして旧コンパイルのキャッチコピーを冠したパズルゲーム『のーみそコネコネパズル たころん(発表当時の仮題)』が発表された。しかし仁井谷とコンパイルハートの関係は年内に解消され、それと同時期に同作も『のーコネパズル たころん』へと改題されている。仁井谷と決別後、当時のコンパイルハートはかつてのコンパイルとはほとんど関係のない会社となり、『アガレスト戦記』、『超次元ゲイム ネプテューヌ』などコンパイルに頼らない独自の展開を行っていた。2010年、コンパイルハートはD4エンタープライズより旧コンパイル作品にまつわるコンシューマの営業権を取得し「旧コンパイルの版権を活かした展開を行う」との発表を行った。同社の公式サイトでは旧コンパイルの社ロゴがコンパイルハートと並んで表記されている。2013年にはコンパイルの代表作のひとつであった『魔導物語』シリーズの最新作として、キャラクターを一新した『〜聖魔導物語〜』を発売した。一方、仁井谷はコンパイルハート決別後も活動を続けており、2016年にコンパイル丸を設立している。コンパイルも、後を継いだアイキも完全消滅し、コンパイルは完全に終焉したかのように見えた。しかし、近年ぷよまん販売騒動や、D4エンタープライズのEGG MUSICから「田中勝己RARE TRACKS」「魔導物語音楽館 RETURNS PLUS」をリリース。その後、同時期にイラストレーター壱による新たな形の『魔導物語』のコミックを発表。『魔導物語』や、『ZANAC × ZANAC』の復刻販売も開始した。また、2010年末にはコンパイルハートが、コンパイル作品の営業権利を取得。そして、2011年1月にはファンによるイベントが開催され北出和彦(北出マン)、やなせなつみ、小沢ミナコのラジオコンパイルパーソナリティーがイベントの司会を勤めた。さらに翌月、長い間公から姿を消していた仁井谷正充がTwitter上に現れ、また、Twitterには、多くの元コンパイル社員が登録している。2011年6月16日には、iTunesで田中勝己(Minus Attack名義)の新曲が発売されるなど、当時の関係者の対外的な活動が徐々に見られる様になっている。

出典:wikipedia

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