印西市(いんざいし)は、千葉県北西部に位置する面積123.8km², 人口約9万1千人の市。印西市と周辺2市に広がる「千葉ニュータウン」があり、市民の約6割がこの地域に住む。東京都特別区部への通勤率は24.2%(平成22年国勢調査)。東京の都心から約40km、千葉市から約20km、成田国際空港から約15kmに位置する。面積は123.80km²。三方を利根川、印旛沼、手賀沼に囲まれた水と緑豊かな市。周辺の佐倉市、四街道市、白井市、八街市、成田市、富里市、酒々井町、栄町と合わせて「印旛地域」と称される。千葉県北部に位置し、標高20から30メートル程度の平坦な下総台地と利根川、印旛沼、手賀沼などからなる周辺の低地により構成されている。台地と低地部の境には、低地部から台地に入り込む浸食谷や、谷津と呼ばれる地形が広がる。地質は、台地上は洪積層に属し関東ローム層からなっており、低地部は沖積層に属し一般に肥沃な土地が広がっている。土地利用は台地上は主に畑や山林として利用されてきたが、近年は強固な地盤であることから、千葉ニュータウンをはじめとした市街地が広がっている。低地部は豊かな水に恵まれ水田として利用されてきた。現在も谷津田など、緑豊かな田園風景が見られる。全て利根川水系の河川であり、本流は市北端を流れている。池沼隣接する自治体のうち、利根町とは直接的な往来はできない。我孫子市または栄町を経由する必要がある。千葉県で他県と接していながら直接的な往来ができない自治体は印西市のみである。また、千葉ニュータウン中央駅の西隣の小室駅が船橋市にあるため船橋市と隣接していると思われがちだが、実際には白井市を挟んでいるため隣接していない。江戸時代は利根川の水運が盛んで、物資移送や香取神宮、鹿島神宮、息栖神社の三社詣などで木下街道付近にあった木下河岸が栄えた。市長 : 板倉正直(いたくら まさなお)、2012年7月28日就任(1期目)初代市長は、伊藤利明(元印西町長、1983年 ‐ 1996年、1期{町長時代を含めると4期}、市制施行直後の1996年6月に在職のまま急逝)。2代目市長は、海老原栄(1996年 - 2004年、2期、市長退任後に急逝)。3代目市長は、山﨑山洋(やまざき・さんよう、﨑の正字は『崎』)(2004年 - 2012年、2期)。2012年7月8日、印西市長選挙の投開票が行われ、市(町)議を10期務めた板倉が現職の山崎を破り初当選、4代目市長となる。初登庁は同月30日。2003年、印西市・白井市・印旛郡印旛村・本埜村の2市2村の合併が検討され、2003年4月1日には「印西市・白井市・印旛村・本埜村合併協議会」が設立されていたが、2004年7月の白井市で行われた住民投票で反対票が過半数をしめ、合併計画は白紙となった。詳しくは、北総市を参照。その後、2008年に印西市・印旛村・本埜村の1市2村の枠組みで、市町村の合併の特例等に関する法律(新合併特例法)の期限である2010年3月末までの合併に関する話合いを行うために、2008年10月24日に合併問題懇談会が、それぞれの市村の長および議会議員の代表により構成され設置された。そして、2009年1月9日には合併協議会が設置された。合併の期日は2010年(平成22年)3月23日、合併方式は印西市に印旛村・本埜村を編入する編入合併、新市の名称は「印西市」とすることで合意したが、本埜村の小川利彦村長(当時)が、「現時点で合併の必要を感じていない」などと発言し、実現性が不透明な状態となった。混乱の末、2009年12月に小川村長のリコールが成立し、これを受けて合併申請が行われ、2010年3月5日総務省告示第73号で合併が決定した。これにより、予定通り2010年3月23日に「新・印西市」が誕生することになった。2008年1月15日歩行喫煙、ポイ捨て等防止条例が施行となり、千葉ニュータウン中央駅周辺が重点区域に指定された。指定喫煙場所以外の喫煙・空き缶などのごみのポイ捨ての違反者に対し命令に従わない場合、同年4月1日から過料徴収を実施している。印西市議会※2011年の選挙の直後の同年5月11日、市議の出山国雄が公職選挙法違反で逮捕される。出山は5月18日に辞職し、次点の上條公司が繰り上がり当選した。2012年7月8日の印西市長選挙に、市議の板倉正直が出馬し当選。2013年3月19日、自治会費横領の疑いで刑事告訴されていた市議の齋藤光彦が辞職。※2014年4月1日現在、板倉と齋藤の辞職により市議会は「欠員2」である。千葉ニュータウンの開発により多くの企業が進出した。千葉ニュータウン中央駅および印西牧の原駅周辺は、印西市における経済・産業の中心地となっている。また、関東平野の中で活断層が無く岩盤が強固とされることから、防災上の理由で多くの金融機関が千葉ニュータウン内に事務センターを配置している。UR都市機構(旧住宅・都市整備公団)により開発された住宅団地のほか、民間のデベロッパーにより複数の大規模住宅団地が開発されている。全3校全2校全9校全20校※このほかにも、千葉ニュータウン21住区(牧の原地区)に小学校が開校される予定である。印西市立図書館年報 平成20年度-平成19年度より(2008年3月31日現在)※千葉ニュータウン中央駅が市内で最も乗降人員が多いがJTB時刻表には木下駅が中心駅として記載現在の北総線「印西牧の原駅」付近に位置する印旛郡船穂村草深(そうふけ)には、1938年(昭和13年)に逓信省航空局航空機乗員養成所が創設され、民間搭乗員として大空に憧れる青年を募集した。教練、学科、体育、滑空機による操縦法を学び、初等機、中等機、高練へと進んで巣立って行った。1944年(昭和19年)には陸軍飛行第二十三戦隊印旛飛行場となった。今でも飛行機を格納する掩体壕跡を見ることが出来るが、近年の千葉ニュータウンの開発により姿を消していっている。なお西の原公園には逓信省印旛地方航空機乗員養成所跡地、陸軍飛行第二十三戦隊印旛飛行場跡地を示す平和の碑が建てられている。付近には、印西空港農園という名称が付いた農園があるが、羽田国際空港などに植物を供給する目的の農園であり、これとは関係がない。市内ではらーばんねっとがケーブルテレビを運営している(印旛地区・本埜地区を含む)。※ブラックジャックによろしく、コード・ブルーはいずれも旧印旛村時代
出典:wikipedia
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