邱 永漢(きゅう えいかん、1924年3月28日 - 2012年5月16日)は、日本および台湾の実業家、作家、経済評論家、経営コンサルタント。株式会社邱永漢事務所代表取締役。旧本名は邱炳南、帰化後の本名は丘永漢。初期の筆名は邱炳南および丘青台。株の名人で「金儲けの神様」と呼ばれた。当時まだ金銭について語るのを賤視していた日本の社会風潮に抗して、みずからの経験に基づき『金銭読本』『投資家読本』など蓄財に関する実用的評論を発表した。1960年頃には200万円の元手で株を始めて1年で5000万円に増やしたこともある。しかし作家としての邱永漢は、小林秀雄ら文壇の芸術至上主義者からは徹底して白眼視された。1971年には、ニクソンショックによる台湾の政情変化を受けて国民党と和解。台湾政府に乞われ、経済建設を支援すべく台湾に帰って国家事業を指導。このため一部の人々から「カネ欲しさに国民党に魂を売った」と非難された。台北に今なお残る邱永漢ビルはこの時期に建てたものである。やがて事業が不振になったので再び日本に移住。第一次石油危機では大損害を蒙り、胃を患い入院したことがある。1980年3月、家族と共に日本国籍を取得。その直後に参議院全国区選挙に無所属で立候補したが15万票しか取れず下位落選。1993年11月4日、台北から香港(当時は啓徳空港)まで乗っていたチャイナエアラインのジャンボ機が空港の滑走路をオーバーランする事故を起こすも、生還(ちなみにこの事故は全員が生還している)。1998年の香港返還を目前に、香港に移住。のち中国に移り、雲南省でコーヒー栽培事業を営んでいた。実業家としてはドライクリーニング業・砂利採取業・ビル経営・毛生え薬の販売など多方面に活躍。しかし毛生え薬は自身が禿げてしまい失敗に終わる。東京には邱永漢経営の中国語教室も存在する。日本におけるビジネスホテル経営の元祖でもある。また中国ではコーヒー栽培事業のほか、建設機械販売、高級アパートメント経営、パン製造販売、レストラン経営、漢方化粧品・漢方サプリメント販売、人材派遣業などの事業を営んだ。大の食通としても有名。美食家ゆえか若い頃から糖尿病を患っており、病気との付き合い方を巡る文章も多い。夫人の潘苑蘭は広東生まれの中国人で料理研究家。実の姉の臼田素娥も料理研究家。素娥の娘の臼田幸世も料理研究家でNHKの「きょうの料理」などテレビの料理番組に出演。素娥の夫の臼田金太郎は元オリンピックボクシング日本代表選手で元プロボクシング日本王者。長女の邱世嬪(きゅう さいぱん、1952年12月21日 - )は占星術研究家でエッセイスト。長男の邱世悦は不動産会社を経営、次男の邱世原(きゅう せいげん、1957年1月8日 - 2006年4月8日)はビデオアーティストとして著名。2015年4月、遺族3人が東京国税局から遺産20数億円の申告漏れを指摘された。また2013年までの2年間に配当約10億円を所得として報告していなかった。
出典:wikipedia
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