ニューヨーク・メッツ(、略称:"NYM")は、メジャーリーグベースボール(以下、MLB)ナショナルリーグ東地区所属のプロ野球チーム。本拠地はニューヨーク州ニューヨーク・クイーンズにあるシティ・フィールド。のナショナルリーグの球団拡張で誕生した球団で、ニューヨーク・ヤンキースと同じくニューヨークに本拠地を置いている。ちなみに「メッツ」とは1880年代に存在したニューヨーク・メトロポリタンズ(メトロポリタンとは都会人の意)というチームの愛称を元にしている。ヤンキースとの対戦はサブウェイ・シリーズと呼ばれ、MLBで最も熱いカードの一つである。サブウェイとは地下鉄のことで、両チームの本拠地であるシティ・フィールドとヤンキー・スタジアムが地下鉄で結ばれていることに由来する。しかし、常勝軍団といわれるヤンキースに比べ戦力、知名度共に劣っており、、と2度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた時期を除いて、下位に沈むことが多い。近年は積極的な大型補強を行っており、には18年ぶりの地区優勝を成し遂げるなど長年続いた低迷期から脱しつつある。 日本では知名度及びマスコミの報道頻度でヤンキースに比べ地味な印象が否めないが、本拠地ニューヨークではヤンキースに負けず劣らずの人気を誇っている。これまでにから柏田貴史、吉井理人、野茂英雄、新庄剛志、松井稼頭央、高橋建、石井一久、高橋尚成、高津臣吾、五十嵐亮太、松坂大輔といった日本人選手が所属。また柏田と契約した97年にはプロ選手経験皆無の立花龍司もトレーニングコーチとして採用し史上初のMLB球団日本人コーチとなった(これまで最も多くの日本人選手在籍のMLB球団)。また韓国人選手でメッツ在籍と前後してオリックス野球クラブにも在籍した具臺晟・朴賛浩も在籍。かつては前ロッテ監督のボビー・バレンタインが指揮を執り、現在は元オリックス監督のテリー・コリンズが指揮を執っている。日米野球では全米やMLB代表し単一チームで来日しには東京ドームで開幕戦・アジア及び日本初のMLB公式戦を行ったことでも知られ(対戦相手はシカゴ・カブス)、日本でもなじみ深いチームである。も合衆国の自治領プエルトリコで開幕戦開催(メジャーリーグベースボールの海外公式戦一覧)現在は中心選手の多くをプエルトリコ、ベネズエラ、ドミニカ共和国といった中南米出身の選手が占めている。のナショナルリーグ球団拡張を期に誕生。球団名は都会っ子を意味するMetropolitansからとられた。チームカラーのうち、黒とオレンジはジャイアンツ、青はドジャース(いずれもまでニューヨークに本拠地を置いていた)のチームカラーから取ったもので、帽子のNYマークもジャイアンツが使っていたものが取り入れられた。本拠地にはかつてのジャイアンツの本拠地だったポロ・グラウンドを利用していた。初代監督には~にヤンキースの監督を務め、12年間で10回のリーグ優勝と7回のワールドシリーズ優勝を成し遂げた当時72歳のケーシー・ステンゲルが就任した。当時も拡張ドラフトは行われていたが、近年のそれに比べて新規参入球団には不利なため選手層は薄く発足1年目は40勝120敗、20世紀以降のMLBではワースト3位である勝率.250で終えた。その後も成績は芳しくなく、ステンゲルが監督を務めた4年間は、いずれも100敗以上を喫し、最下位に終わった。ステンゲル監督は「皆さん、ぜひメッツの試合に来てください。素人顔負けのプレーが見られますよ!」と呼びかけ、球団幹部から「名セールスマン」と褒め称えられた。1964年に本拠地をシェイ・スタジアムに移した。お荷物球団として扱われていたものの、にトム・シーバーがメジャーデビューを果たし、新人王を受賞。にはかつてのドジャースの強打の一塁手、ギル・ホッジスを監督に迎え、新人のジェリー・クーズマンが19勝を挙げるなど、徐々に力を付けていった。ナ・リーグが12球団に拡張し、東西2地区制となった初年度のには100勝62敗で初の地区優勝。アトランタ・ブレーブスとのチャンピオンシップシリーズを3連勝で勝ち抜いてリーグ優勝、そして不利が予想されたワールドシリーズでも、レギュラーシーズン109勝53敗のボルチモア・オリオールズを4勝1敗で破り、ワールドチャンピオンに輝いた。このお荷物球団のまさかの快進撃は「ミラクルメッツ(Miracle Mets)」と称された。世界一になったことを受け、優勝パレード当日の天気予報はニューヨークの天気を「晴れ、ところにより紙吹雪」と粋に祝福した。にホッジスの死後、ヨギ・ベラが監督となってに再び地区優勝・リーグ優勝を成し遂げるが、ワールドシリーズでは当時三連覇を果たしていたオークランド・アスレチックスに敗れた。その後はしばらく低迷するが、には日本の読売ジャイアンツでもプレーしたデーブ・ジョンソンを監督として迎え、2度目のワールドチャンピオンとなった。安定した投手陣、ソツない打線でぶっちぎりの優勝。エースにはドワイト・グッデン(の新人王)、主砲にはダリル・ストロベリー(の新人王)など若い世代の選手達が活躍した年でもあった。ワールドシリーズでは、ボストン・レッドソックスに2勝3敗、敗北まで「あと1球」と追い込まれながらも逆転優勝を掴み、「ミラクルメッツ」または「アメージング・メッツ(Amazing Mets)」と呼ばれた。その後は、に地区優勝を果たしたものも、リーグ優勝決定シリーズで、大方有利の予想ながらドジャースに敗れた。それ以後はから6年連続で負け越し、には26年ぶりに負け数が100を上回った。シーズン途中からボビー・バレンタインが監督に就任。に7年ぶりに勝ち越し。前々年に同一リーグでノーヒット・ノーランを達成し日米野球第2戦で同時先発出場したソウルオリンピック野球日本代表野茂・2006 ワールド・ベースボール・クラシック・イタリア代表にもなるマイク・ピアザのドジャース多国籍バッテリーを獲得した。野茂が退団、吉井残留したにはシンシナティ・レッズとの相手本拠地リバーフロント・スタジアムでのメジャーリーグベースボールワンゲームプレイオフ5-0で圧勝しワイルドカードでポストシーズン進出を果たし地区シリーズでアリゾナ・ダイヤモンドバックスに破りリーグ優勝決定戦でアトランタ・ブレーブスに敗退、も前年に続きワイルドカードでプレーオフへ進出。順当に勝ち、ワールドシリーズへ進出したが、相手は同じニューヨークの球団・ヤンキースだった。インターリーグにおいてメッツ対ヤンキースの対戦カードをサブウェイ・シリーズと呼ぶが、これがワールドシリーズでは初めてのサブウェイ・シリーズとなった。メッツは全くヤンキースに歯が立たず、敗退した。なお、このシリーズではメッツの主砲ピアザの折れたバットがヤンキースの主戦投手、ロジャー・クレメンスの近くに飛び、クレメンスが拾ったバットをピアザの方に投げたことで両軍騒然となり、以後もこの両者には遺恨が残った。その後には新庄剛志がFAで移籍し、守備力は強化されたが、翌に新庄は放出され(新庄はその翌年のに1年のみ復帰)、逆にモー・ボーン、ロベルト・アロマー、ジェロミー・バーニッツ、ロジャー・セデーニョら大物を続々と補強したが、75勝86敗と6年ぶりに負け越した。大リーグで2番目の年俸総額が揶揄され「1億2,000万ドルの間違い」と酷評された。には前年に10代の若さでメジャーデビューしたホセ・レイエスを二塁へコンバートして松井稼頭央を獲得したが活躍できずに終わりシーズン途中にコロラド・ロッキーズへ放出された。また2004年シーズン途中にスコット・カズミアーをトレードで放出したが、その直後にメジャーデビューを果たしタンパベイ・レイズのエースとなってしまった。一方でデビッド・ライト、ホセ・レイエスの三遊間コンビが頭角を現していった。にGMにオマー・ミナヤが、監督にウィリー・ランドルフがそれぞれ就任し、チームは力をつけていった。FAでペドロ・マルティネス、カルロス・ベルトランを大型契約で獲得、83勝79敗と5年ぶりに勝ち越した。オフにフロリダ・マーリンズからカルロス・デルガドとポール・ロデューカを、フィラデルフィア・フィリーズからビリー・ワグナーを獲得。迎えたは18年ぶりの地区優勝を果たしたが、リーグチャンピオンシップシリーズでセントルイス・カージナルスに敗れ、ワールドシリーズ進出はならなかった。前年の主力の多くが残留し、モイゼス・アルー、ルイス・カスティーヨが加わったは序盤から好調で2年連続の地区優勝が確実視されたが9月の終盤戦で失速、シェイ・スタジアムで行われたレギュラーシーズン最終戦でマーリンズに敗れ、1ゲーム差でフィリーズに地区優勝を奪われた。残り17試合で7ゲーム差を付けながら逆転で優勝を逃したのはMLB史上初の出来事だった。2月にヨハン・サンタナを6年総額1億3750万ドルと球団史上最高金額で獲得し、巻き返しが期待されたが序盤は低迷、6月17日にランドルフ監督が解任され、ジェリー・マニエルが監督代行に就任した。監督交代後は10連勝を飾るなど巻き返しに成功し、一時単独首位に立つが9月にフィリーズにかわされ2位へと転落した。9月28日、この年限りで閉場するシェイ・スタジアムで行われたレギュラーシーズン最終戦でまたもマーリンズに敗れ、1ゲーム差でミルウォーキー・ブルワーズにワイルドカードを奪われた。2008年シーズン終了後に本拠地シェイ・スタジアムは解体、隣に建てられた45000人収容の新球場のシティ・フィールドが新本拠地となった。同じくヤンキースも2008年シーズン終了後に新球場に移転した。このため、シェイ・スタジアムのラストイヤーとなった2008年は、前年度(約385万人)より大幅にチケットの売り上げが伸び、ナ・リーグの球団としては1993年のコロラド・ロッキーズ以来となるシーズン入場者数400万人(約404万人)を達成することとなった。またレギュラーシーズンにおける平均入場者数も5万人を超え、これもナ・リーグの球団としては1994年のロッキーズ以来のこととなった。2013年のサブウェイシリーズでヤンキースに球団史上初のスウィープ(同一カードを全勝すること)を果たした。2015年シーズンはレギュラーの野手8人のうち、今シーズンの途中にタイガースから新加入したレフトのセスペデスと昨シーズン、サブウェイシリーズのライバル・ヤンキースから加入したライトのグランダーソン以外が生え抜きで構成され、投手に至っては2014年の新人王・デグロームが14勝、2013年のオールスターゲームで先発したハービーが13勝、ルーキーのシンダーガードが9勝と生え抜き投手が力をつけ、42歳のコロンが31イニング連続無失点を記録し、サイ・ヤングの持っていた42歳以上における連続イニング無失点記録を4イニング更新する頑張りと、マイナー時代から培ってきた競争力と団結力を武器に2008年以来の10連勝、さらに4月23日のブレーブス戦にも勝利し、1990年以来25年ぶりで球団史上タイ記録の11連勝を果たしたが、その後やや失速し一時は地区連覇を狙うナショナルズに首位の座を明け渡してしまう。しかし7月31日から行われたそのナショナルズとの首位攻防戦をスウィープするとそこから7連勝。一気に勢いづき、2006年以来9年ぶりのナショナルリーグ東地区優勝を果たした。9年ぶりのポストシーズンではドジャースとのナショナルリーグディビジョンシリーズ第2戦でアトリーの激しい併殺崩しスライディングでセカンドのテハーダが故障で退場するなどもあったが、2015年10月12日の第3戦では13-7と、ポストシーズンにおけるチーム記録の13点を奪い大勝した。リーグチャンピオンシップシリーズでは、ポストシーズンに入るまで1度も勝つ事が出来なかったシカゴ・カブスとの対戦となったが、チームはこれまでとは全く違う勢いで4連勝した。しかも、マーフィーがドジャースとのディビジョンシリーズ第4戦から6試合連続ホームランというMLBのポストシーズン史上最長を記録する等カブスをスウィープし、15年ぶりのワールドシリーズ進出を決めた。中5日で迎えたワールドシリーズでは、カンザスシティ・ロイヤルズと対戦するも、カブスをスウィープした事で試合勘が鈍ったのか中3日で迎えたロイヤルズのホーム・カンザスシティで連敗した。舞台を地元・ニューヨークに移しても第3戦に勝つのが精一杯で、結局は1勝4敗で敗退した。その要因として第1戦ではポストシーズンで5回のセーブ機会を全て成功し、しかも無失点だったファミリアが第1戦の9回裏に1死からゴードンに同点ホームランを打たれ、第4戦では8回表に後述するセカンドのマーフィーに、第5戦ではファーストのデューダにそれぞれ足を引っ張られて被弾しセーブ機会を全て失敗した。カンザスシティでの初戦で延長14回にサードを守るキャプテンのライトが送球エラーでその後のサヨナラ負けに繋がり、ニューヨークでの第4戦では8回にセカンドのマーフィーが同点のタイムリーエラーを犯し、3-5と2点ビハインドの状況だった9回裏1アウト1塁・2塁と一発が出れば逆転サヨナラとなる場面で迎えた5番・デューダの打席で打球はサード・ムスタカスの正面に飛ぶライナー。さほど強くないライナーだったにも関わらずファーストランナーのセスペデスが戻り切れずにダブルプレーを喫してゲームオーバーに。後がなくなった第5戦では9回表の1死3塁の場面で、打球はライトへのゴロ。その際ライトがファーストへの送球態勢に入ったと同時にホズマーがギャンブルスタートを仕掛け、ホズマーを刺そうとしたファースト・デューダが悪送球をしてしまい同点と、ワールドシリーズにおいて守備や走塁でミスを犯す等、リードした時期がありながらそのリードを自ら吐いてしまい4敗全て逆転負けを喫する羽目となった。1981年に設立され、26人が殿堂入りを果たしている。
出典:wikipedia
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