別海町(べつかいちょう、べっかいちょう)は、北海道根室振興局管内の野付郡にある町。町名の読みについては古くから「べつかい」と「べっかい」が混在していた。1971年(昭和46年)の町政施行を機に「べつかい」で統一され、公的な文書や放送各局では「べつかい」の読みが使われており、国道の案内標識も「Betsukai」となっている。しかし、町議会では議決されておらず、「べっかい」の読み方をする町内や町外の住民も多く、「べつかい」と「べっかい」のどちらが正しいのか長期間にわたって議論になっていたが、2009年(平成21年)3月10日の町議会で、水沼猛町長は「べつかい」と「べっかい」の双方の読み方を認めると宣言した。(町として公的表記を求められた場合は引き続き「べつかい」とする)町名の由来は、アイヌ語の「ベッ・カイェ」(川の折れ曲がっているところ)から。択捉郡留別村、北見市、足寄郡足寄町、釧路市、紋別郡遠軽町に次ぎ、道内の市町村で6番目に面積が広く、町役場は別海に位置しており、別海、中西別、中春別、西春別、西春別駅前、上春別、上風連、本別海、尾岱沼等集落が点在し、西部の地区は別海市街よりも標茶町の市街の方が近い。町の大半は原野を切り開いた丘陵地帯で北海道的な牧場風景が広がり、東部は野付水道に接し、北方領土を望む。南西部には防衛省陸上自衛隊別海駐屯地(航空自衛隊計根別飛行場)と矢臼別演習場が置かれる。その面積は17,192ha。沖縄県金武町県道104号線越えで行われていた砲撃訓練の移転を1997年(平成9年)から受け入れており、年に数回、アメリカ軍による大規模な射撃訓練が行われる。最も開拓が早かったのは東部沿岸部で漁業が中心におこなわれていたが、明治30年代から内陸部への入植がはじまり、こちらでは畑作農業が中心におこなわれていた。農業は昭和に入ると酪農への転換が進むが土地が広大な故開拓は遅れていた。1956年(昭和31年)からは世界銀行の融資を受け根釧パイロットファーム方式が導入、機械による開拓がおこなわれ、1973年(昭和48年)には新酪農村の建設に着手、現在の広大な酪農地帯を形成した。開拓当初は、沿岸の本別海地区(当時は別海地区)に役場を置いていたが、内陸の入植者増加により、1933年(昭和8年)に別海地区(当時は西別地区)に移転した。平野部では酪農、本別海・尾岱沼等の沿岸部では漁業(サケ、コマイ、ホッキ、アサリ、ホタテ、ホッカイエビなど)が盛ん。全国1位の生乳生産量で、年間生産量は43万t。高級アイスクリームの原料供給地として有名。中標津警察署管轄各学校の通学区域が広いため21台のスクールバスが運行されている。別海町では概ね地域ごとに小学校と中学校が1校ずつ置かれるため、たとえば上春別小の児童は全員上春別中に入学することになる。過去に中春別中のみ、中春別小・美原小・豊原小の3校からの入学であった。平成23年度現在、人口1.6万人の町に18の小中学校が設置され、多学年学級を持つ小学校は9校中4校である。一方1学年あたり2学級の学校は、別海中央小、別海中央中のみである。また、特別支援学級は18校中15校、障害種別で40学級設置されている。町内を通っていたJR北海道の標津線は1989年(平成元年)4月30日に廃止された。別海町内には以下の駅が設置されていた。泉川駅 - 光進駅 - 西春別駅 - 上春別駅現在、町内に鉄道路線はない。以下の駅が最寄駅である。また、別海村時代には別海村営軌道が存在したが、1971年(昭和46年)に廃止された。 生乳生産量の高さを生かした「福祉牛乳給付事業」が行われており、一定の条件を満たす住民に対して牛乳の200mlパックを1週間ごとに5個、町より無料で給付している。給付される製品はべつかい乳業興社が供給している。
出典:wikipedia
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