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stampfactory大百科事典

米(こめ、)は、稲の果実である籾から外皮を取り去った粒状の穀物である。穀物の一種として米穀(べいこく)とも呼ぶ。東アジア・東南アジア・南アジア以外では一般的に主食として特別視することが希薄であり、日本語でいう「米」「稲」「飯」といった、収穫前・収穫後・調理前・調理後などによる区別がない言語が多数ある。例えば英語圏ではすべて"rice"という同一の単語で扱われる。イネ科植物にはイネのほかにも、コムギ、オオムギ、トウモロコシなど、人間にとって重要な食用作物が含まれる。イネはトウモロコシ、コムギとともに世界三大穀物と呼ばれている。イネ科イネ属の植物には22種が知られている。このうち野生イネが20種で栽培イネは2種のみである。栽培イネは大きくアジアイネ(アジア種、サティバ種、"Oryza sativa" L.)とアフリカイネ(アフリカ種、グラベリマ種、"Oryza glaberrima" Steud.)に分けられる。また、両者の種間雑種から育成されたネリカがある。イネは狭義にはアジアイネを指す。アジアイネにはジャポニカ種とインディアカ種の2つの系統があり、これらの両者の交雑によって生じた中間的な品種群が数多く存在する。アジアイネ(アジア種、サティバ種)の米は、ジャポニカ種(日本型米、ジャポニカ・タイプ)、インディカ種(インド型米、インディカ・タイプ)、そして、その中間のジャバニカ種(ジャワ型米、ジャバニカ・タイプ)に分類されている。それぞれの米には次のような特徴がある。なお、日本型とインド型に分類した上で、このうちの日本型を温帯日本型と熱帯日本型(ジャバニカ種)として分類する場合もある。日本においては、農産物規格規程に、品位の規格と、「産地品種銘柄」として都道府県毎に幾つかの稲の品種が予め定められている。玄米は、米穀検査で、品位の規格に合格すると、その品種と産地と産年の証明を受ける。輸入品は輸出国による証明を受ける。日本国内での米の銘柄(品種)の包装への表示は、玄米及び精米品質表示基準に定められている。証明を受けていない原料玄米については「未検査米」等と表示し、品種を表示できない。情報公開より偽装防止を優先しているともいえる。米は各種の観点から以下のように分類される。なお、日本では農産物検査法による公示の「農産物規格規程」や、JAS法に基づいた告示の「玄米及び精米品質表示基準」に一定の定めがある。水田で栽培するイネを水稲(すいとう)、耐旱性や耐病性が強く畑地で栽培するイネを陸稲(りくとう、おかぼ)という。水稲と陸稲は性質に違いがあるが、同じ種の連続的な変異と考えられている。一般的に圃場の整備については水稲の方がコストがかかる一方で、面積当たりの収量が多く、連作障害が殆ど無いなどのメリットと、全国的に水田整備がいきわたったことから、現在、日本の稲作では、ほとんどが水稲である。水稲の収穫量は798万6000tで陸稲の収穫量は2700t(2015年見込み)おおよそ水稲は陸稲の2957倍となっている。また、栽培面積においても水稲が99.9%以上を占めている。日本では水稲と陸稲の区分は農産物規格規程においても規定されている。日本では水稲と陸稲は明確に区別されているが、他の国では明確には区別されていない(世界的に見ると水稲といっても灌漑稲、天水稲、深水稲、浮稲のように栽培の環境は大きく異なっている)。デンプンの性質(糯粳性)により、粳性のものを粳種あるいは粳米(うるちまい、うるごめ、あるいは単に粳〈うるち、うる〉)、糯性のものを糯種あるいは糯米(もちまい、もちごめ)という。日本では玄米及び精米品質表示基準で、「うるち」と「もち」に分けられている。アジアイネではジャポニカ種だけでなくインディカ種にも糯米が存在するが、アフリカイネについては糯性のものは知られていない。なお、糯粳性のある植物としては、イネのほか、トウモロコシ、オオムギ、アワ、キビ、モロコシ、アマランサスなどがある。米は軟質米と硬質米に分けられる。軟質米は食味の点で優れるが貯蔵性の点では劣る。醸造用の酒造米(酒造用米、酒米)は飯用米と区分される。農産物規格規程には、「うるち」と「もち」に加えて醸造用が定められている。酒造が酒税法で規制されている為、個人用には売られていない。米は新米と古米と区分される。新米と古米を参照。黒米、赤米、緑米などを総称して有色米という。野生種に近い米である。古代から栽培していた品種あるいは古代の野生種の形質を残した品種の総称として古代米と呼ばれることもある。強い香りを持つ品種を香り米という。東南アジア、南アジア、西アジアなど、地域によっては香りの少ない品種よりも好まれる。インドのバスマティなどが有名。年間生産量は6億5000万トンを超える(籾。以下いずれも農林水産省「海外統計情報」より、「FAOSTAT」の2007年統計)。米は小麦(年間生産量6億599万トン)、トウモロコシ(年間生産量約7億9179万トン)とともに世界の三大穀物といわれる。1980年代の生産量は4億5000万トン前後であったため大幅に増産されていることが理解される。生産量は増加基調だが、在庫量は需要の伸びを背景に2000年をピークに減少している。在庫率は2006年には20%を割り込んだ。米の9割近くはアジア圏で生産され、消費される。最大の生産国は中国で、インド、インドネシアが続く。日本の農業において、米は最重要の農産物であり、農産物全体に占める生産額の割合は、単一の作目としては最大であり続けている。しかしながら、近年一貫してその比率を落とし、1960年代は50%前後だったものが、2009年(平成21年)には22.3%に縮小している。生産額は、1984年(昭和59年)の3兆9,300億円(年間生産量約1180万トン)をピークとして、2009年(平成21年)には1兆7,950億円(年間生産量約850万トン)程度まで減少し、米、野菜(米、果物を除く耕種)、畜産物、果物の分類においては、2000年前後には畜産物に、2005年前後には野菜に抜かれ、日本の産業としての農業における地位は年々低下している。米は日本の戦後農業政策の根幹であったため、昭和40年代(1965年-1974年)初頭に米の自給が実現できるようになって以降は原則として輸入がなされなかったが、ウルグアイ・ラウンドにおいて、関税化を延期する代償としてコメにおいては他品目よりも厳しい輸入枠(ミニマム・アクセス)を受け入れ、1993年(平成5年)以降、年間77万トンの輸入を行っている。なお、年間20万トン程度の輸出も行っている。米の貿易量は、増加傾向で推移している。最大の輸出国はタイで、アメリカ合衆国、インド、パキスタンが続く。上位四か国で、世界の輸出総量の7割を占める。一方、輸入国はフィリピン、ナイジェリア、イラン、イラク、サウジアラビア、マレーシア等で各国100万〜200万トンを輸入している。米は他の穀物に比べ、生産量に対して貿易量は少ない(生産量の約7%、なお、小麦は約20%、トウモロコシは約12%が生産量に対する貿易量となっている)。これは、米は基礎食料として国内で消費される傾向が強いため、生産量に占める貿易量の割合が低くなっているためである。そのため、小麦やトウモロコシと異なり、国際的な商品先物取引の対象商品となっていない。国際取引指標は、タイ国貿易取引委員会 (BOT) の長粒種輸出価格。なお日本国内では、2011年8月8日より東京穀物商品取引所と関西商品取引所で「コメ先物」として商品先物取引の試験上場が開始、2013年2月12日、名称を関西商品取引所から改名した「大阪堂島商品取引所」が、東京穀物商品取引所閉所に伴い、同所からコメ先物取引(東京コメ)を引き継いだ。なお、現物決済の標準品は、「東京コメ」については茨城県産、栃木県産及び千葉県産コシヒカリ、「大阪コメ」は石川県産及び福井県産のコシヒカリとなっている。米の生産(稲作)には病害虫の防除や稲の生長のため、殺菌剤、殺虫剤、除草剤など各種の農薬が使用される。農薬については玄米中への残留農薬の基準がある。稲は、原産地の中国中南部から北部、南アジアに、そして日本へと伝わった。麦などの他の穀物に比べて栄養価が高く、ほぼ完全食であり、大量に収穫できることから、アジアの人口増大を支える原動力となった。稲作は日本においては、縄文時代中期から行われ始めた。これはプラント・オパールや、炭化した籾や米、土器に残る痕跡などからわかる。大々的に水稲栽培が行われ始めたのは、縄文時代晩期から弥生時代早期にかけてで、各地に水田の遺構が存在する。米は、食料として重要である一方で、比較的長期に保存ができるという特徴から、マダガスカルのメリナ人やタイにおけるサクディナー制など、米食文化においては経済的に特殊な意味を持ち、これは日本でも同様であった。長らく税(租・あるいは年貢)として、また、石高制に代表されるように、ある地域の領主や、あるいは単に家の勢力を示す指標としても使われた。貨幣経済が発達すると、それとの調和を図るべく、札差業が発達、米切手の発生や堂島米会所に代表される近代的商品取引システムの生成が見られ、江戸時代には政治経済の中心に米が置かれていた。そのため日本人の米に対する思い入れは強く、米は最も重要な食べ物とされ主食とされてきた。しかし、階級や貧富、地域などによって大きな違いがあり、戦後の高度経済成長以前は雑穀や芋などを実際の主食にしていた人たちも多く、関東地方の畑作地帯などでは麦が7割から8割の飯を常食としていた。現在は住宅地になっている東京の杉並区では大正時代から少しずつ蔬菜の栽培が増加し、都市近郊の野菜栽培農家に転換したが、それ以前は稗などの穀物を栽培し、日常食は稗と麦で米は少し入れるだけだった。その一方、明治の初め秋田県令島義勇の政府への報告書のなかに、「県民は山間僻地でも白米を食している……」とあり、藩政時代から白米の飯を食べている地域もあった。秋田は日本有数の穀倉地帯であり、雑穀の生産が少ないこともあって、農民に雑穀を食べるよう強要した他の地域とは違い、為政者の締め付けが然程ではなかったことにもよる。また、例えば越後長岡藩の武士によるとされる『粒々辛苦録』文化2年(1805年)は、農民のきわめて厳しい食生活を描いている。これに対し、同じ越後長岡藩の庄屋大平家「農家年中行事記」天保6年(1835年)には、しばしば行事が催され食物や酒がふるまわれ、小作人を含めて自由に食を楽しんでいた様子が窺え、為政者による記述とは異なり農民側からの記述には悲惨さが感じられない。このように、最近、各地域に残された家文書の研究が進み、厳しい制限のもとに雑穀を中心とした食生活を強いられた貧しい農民像が必ずしも実態を示すものではないことが判ってきた。戦後の学校教育などにより「近世の百姓は米を作りながら米を食べられなかった」という「哀れむべき農民像」が半ば常識となっていることについては、これは為政者側が望んだ農民像であり、実際の農民側の記録を分析したところ近世の農民は、1日に4合程度の米を麦飯あるいは雑穀などとかて飯や雑炊にした食事を日常的に摂っていたという。必要な栄養を摂取することによりそれなりの食糧生産ができるわけで、それがかて飯や雑炊であったにしろ食べずに米を作っていた筈はないのである。戦前は米も通常の物資と同じく市場原理に基づき取引されており、相場商品・投機の対象として流通に不安を来すこともあり、しばしば社会問題となった(米騒動、特に1918年米騒動参照)。太平洋戦争開戦に向けての戦時体制整備の一環として、1939年(昭和14年)4月に米穀配給統制法が交付され、米の流通が政府により管理されるようになった。なお、同年9月には戦時の物資不足に鑑み興亜奉公日が設定され、日の丸弁当が奨励されたものの白米は禁止されず、この時点ではまだ米不足は酷くはなかった。だが12月には厳しさを増し米穀搗精等制限令が出され、七分搗き以上の白米を流通に付すことは禁止、1940年(昭和15年)の正月はお餅すら白米は許されなかった。米不足は深刻となり、この年から中国や東南アジアからの輸入米(所謂(いわゆる)外米)を国産米に混ぜて販売することが義務付けられた。更に、日米開戦の2ヶ月後の1942年(昭和17年)2月には食糧管理法が制定され食糧管理制度が確立、米の流通は完全に政府が掌握するようになった。米だけでなく、魚介類や野菜・果物も配給制になり、国民の栄養状態は極度に悪化していった。こうした食糧難に対して、江戸時代のかてものの研究に帰って、食用野草や昆虫食など非常食の工夫が盛んに試みられた。一方米食の習慣がなかった地域や家庭では、配給制になったことで米を食べる機会を得て、そのことが戦後の食生活の変革の一因となったとする指摘もある。1945年(昭和20年)に第二次世界大戦は終結、戦後の食糧難は深刻を極めたが、米は引き続き食糧管理法による政府の固定価格での買い上げだったためヤミ米が横行、ヤミ米を拒否した東京地裁の判事山口良忠が餓死するという事件も起きている。米の生産拡大のための基盤整備事業が国内各地で行われ、肥料の投入や農業機械の導入などによる生産技術の向上から生産量が増加したものの、少なくとも昭和30年代(1955年-1964年)までは、大半の日本人が米飯を常食とすることは出来なかった。そのような中で、ガリオア・エロアの資金援助でメリケン粉が大量に輸入され、アメリカの小麦戦略により、学校給食はメリケン粉を使ったパンが供され、1952年(昭和27年)には栄養改善法が施行され慶應大学医学部教授の林髞の著した『頭脳』(光文社、1958年)が評判となり、「米を食うと馬鹿になる」という説が流布され、頭脳パンなるものが出現するなどし、日本人の食事の欧風化が進行した。米食悲願民族といわれる日本人にとって、米を実際の主食とすることは有史以来の宿願であったが、昭和40年代(1965年-1974年)初頭には、ようやく米の自給が実現でき名実ともに主食となった。しかし、その時既にアメリカの小麦戦略は見事に成功をおさめ、学校のパン給食や厚生省がはじめた栄養改善運動も手伝って、日本人の食事の欧風化が進行し、米離れに拍車がかかっていた。このため全国で米余り現象がおき、食糧管理法下におけるコメ政策は見直しを余儀なくされるようになり、1970年(昭和45年)以降は減反政策といわれる生産調整政策(新規の開田禁止、政府米買入限度の設定、転作奨励金の設定など)がとられた。その結果、水稲の作付け面積は 1969年(昭和44年)の 317万ヘクタールをピークに、1975年(昭和50年)には 272万ヘクタール、1985年(昭和60年)には 232万ヘクタールに減少、生産量も1967年(昭和42年)の 1426万トンをピークに、1975年(昭和50年)には 1309万トン、1985年(昭和60年)には 1161万トンに減少した。生産は減少したものの、米離れに歯止めがかからず、政府備蓄米などに古米、古古米の不良在庫が多く発生、米の消費拡大のために、それまで主食はパンだけであった学校給食に米飯や米の加工品がとりいれられるようになったり、古米をアフリカなどの政府援助に使用したり、その他家畜の飼料などに処分するなど、在庫調整に腐心するようになった。そのような状況の下、流通面においては、縁故米の拡大から自主流通米の承認などにより、食糧管理制度の逸脱を認めるようになった。しかしながら、根本的解決には至らなかったため、食管赤字は収束せず、生産者米価よりも消費者米価が安い逆ザヤだったため、歳入が不足し赤字(食管赤字)が拡大、1980年代には、国鉄、健康保険とともに、日本政府の巨額赤字を構成する「3K赤字」と呼ばれるようになり、行政改革における重要なテーマとなった。供給においても、1983年(昭和58年)の不作時には、政府が放出しようとした1978年(昭和53年)度産の超古米に規定以上の臭素が検出され安全性に問題があるとされたため、翌1984年(昭和59年)に韓国から米15万トンの緊急輸入が行われたり、1993年(平成5年)の全国的な米の不作による平成の米騒動においては、タイなどから米の緊急輸入が行われるなどした。なお、米の消費量は、ピークの1962年(昭和37年)には、日本人一人あたり年間118.3キログラム消費していたものが、その後一本調子で減少 1990年代後半には、ひと頃の半分の60キログラム台に落ち込んだ。家計支出に占める米類の支払いの割合は、10%強だったものが 1.1 - 1.3% と になり、米の地位低下が甚だしい。一方で、1993年(平成5年)ウルグアイ・ラウンド農業合意により、米の義務的な輸入(ミニマム・アクセス)を課せられるようになり、食糧管理制度は本格的な見直しを迫られた。1995年(平成7年)、主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律(所謂(いわゆる)食糧法)が施行され、これに伴い食糧管理法は廃止となり、政府の管理が緩められた。水稲の作付け面積と生産量に関しては、その後も減少し、1995年(平成7年)には作付け面積 211万ヘクタール、生産量 1072万トンに、2000年(平成12年)以降は、作付け面積 170万ヘクタール、生産量 900万トン程度となり、作付け面積は半減、生産量は60%程度を推移している。また、食糧法は、2004年(平成16年)に大幅に改正され、さらに政府の関与度を減らしている。中国は、2000年代後半時点において世界最大の米生産・消費国である。生産は、約7割がインディカ種約3割がジャポニカ種となっている。伝統的な農業地理の理解では、秦嶺・淮河線以南が稲作地域とされてきたが、近年は、農業技術の発展から中国東北部においても稲作が大々的に展開されている。経済発展による所得向上からジャポニカ種の消費増加、地方都市間の人口移動による新たな消費層の発生などを背景に、消費量は増加傾向にある。一方で、1990年代後半に豊作だったことから作付け面積が減少、中国政府は2004年に援助政策に乗り出している。米は、世界中で食用されている。利用例は、以下のとおり。米は稲穂の状態をそのまま食用とはせずに、精製を行って食用とするのが基本である。精製のプロセス(一般にこの作業を調製という)は一般に以下のようになっている。厚い外皮の籾殻を取り去ったものが玄米である。生物学上は果実部分を含み、胚芽・胚乳・果皮から成っている。玄米の表面を覆う糠層(ぬかそう、主として果皮と糊粉層)を取り去ることを精白(精米、搗精〈とうせい〉)という。糠層も胚芽も取り去った米を白米(精白米、精米)といい、糠を除去したものを精米や白米という。収穫した稲穂から、種子(穎果)を取り離すことを脱穀(だっこく)という。脱穀によって取り離した種子を籾(もみ、籾米)といい、籾の外皮を籾殻(もみがら)という。籾から籾殻を取り去ることを籾摺り(もみすり)といい、この籾摺り過程を経たものを米という。精白等の加工による分類。玄米及び精米品質表示基準では、玄米、精米、胚芽精米に分けられている。米は主に水分を加えて加熱調理する。東アジアでは一般に水だけで調理するが、地中海地方など米が常食ではない地域では、肉や魚のストックやバター、スパイスなど水以外の何かを加えることが多い。調理するときに糠を砥ぎ落とすことを洗米という。米一合に対して水一合で米を炊いたものを飯という。広く主食用とされ飯にされるのは、粳米の白米であり、玄米や胚芽米の飯を主食とすることは、あまり多くない。短粒種の白米は、日本等では、ぬかを洗い流した(洗米とか「米を研ぐ」という)のち、調理する。粳米は炊いて飯とし、糯米は蒸して強飯(こわいい)としたり、餅として供される。中国などでは、粳米を蒸す場合もある。インドでは多量の水でコメを煮て、概ね火が通ったところで余分な水を捨てて蒸し煮にする。米を炊くことを炊飯(すいはん)、あるいは炊爨(すいさん)という。「蒸し飯」を、お強(おこわ)、あるいは強飯(こわいい)とも呼ぶ。これは、蒸した飯が炊いた飯よりも「こわい」(「硬い」の古い言い方)ことに由来する。長粒種の粳米は、煮る(湯取)事が多い。古くから、飯を乾燥させたものを「干し飯」(ほしいい)、あるいは「糒」(ほしい)といい、携帯保存食として用いた。現在では、この干し飯と同じ物をアルファ化米(加水加熱して糊化(アルファ化)させた米)といい、同じく携帯保存食や非常食などとして用いる。飯として炊くときよりも多目の水を加えて、米を煮た料理を粥という。このとき加える水の量により、全粥(米1に対して水5〜6)、七分粥、五分粥、三分粥(米1に対して水15〜20)などと呼ばれる。また、粥から固形の米粒を除いた糊状の水を重湯(おもゆ)といい、病人食や乳児の離乳食に用いられる。栄養分をそぎ落とさないように、胚芽部分を残した胚芽米や分搗き米、玄米をそのまま炊いて食べる場合もある。最近では発芽玄米も食べられている。胚芽部分には脚気を予防するビタミンB1が豊富に含まれる。籾殻を取る前に、水に長くつけ、蒸しあげてから籾摺りをしたものを用いる地域もある。タイ、マレーシア、シンガポールなどの国のほか、日本では和歌山県などでこの習慣があった。干し飯のように、熱い湯や茶をかけてやわらかくすることができるほか、炒って食べる場合もある。黒米や赤米は、白米に混ぜて炊くことが多い。研いだ白米に対して3〜10%程度(好みに合わせて分量を調節)を洗わないでそのまま入れて炊く。餅(もち)については、餅の項目を参照。米の調理には次のようなものが利用される(汎用加熱器具を除く)。東南アジアを中心として粉食も一般的で、ライスヌードルとしても広く食用にされる。米を牛乳で煮込んだプディングは、東は南アジアから西は西ヨーロッパまで広く見られるデザートである。例えばドイツでは(主食料理扱いだが)ミルヒライスといい、英語圏ではライスプディング、スペイン語圏ではアロス・コン・レチェまたはアロス・デ・クレマと呼ばれる。インドにはキール、トルコにはストラッチと呼ばれるミルク・ライス・プディングがある。トルコのムハッレビは米粉と牛乳のプディングである。ブラン・マンジェも米粉で作ることがある。東南アジアでは、米をマンゴー、ささげ、緑豆、里芋、スイートコーンなどと煮込んだ粥状のデザートがあり、ココナッツミルクをかけて食べる。ベトナムには、という、もち米の青い未熟米と緑豆餡から作る餅菓子がある。また、タイには、・トードという、バナナともち米の青い未熟米とココナッツを使った揚げ菓子がある。日本には、餅米を蒸して搗いた餅菓子、白玉団子、ぼたもち、あくまき、きりせんしょ、ゆべしなどがある。中国や朝鮮半島には、薬食のように餅米を蒸した菓子や芝麻球やシルトックなど上新粉や白玉粉から作る餅菓子がある。インドのモーダカは米粉の生地でココナッツと黒砂糖のフィリングを包んだ菓子である。空手挌闘家アンディ・フグは生前、日本滞在中に自ら考案したストロベリーヨーグルト練り掻き混ぜ米飯(バナナをトッピング)をとても気に入り、頻繁に作っては喜んで食べていたというエピソードがある。調理再現HPジャガイモやサツマイモを米の形に成形した物。第二次世界大戦中の食糧難の日本で代用食として開発された。これらの材料を加熱して潰して小さな粒状にして、それを核にして、表面にデンプンをまぶして蒸す工程を数回繰り返し、米状の大きさになったら、乾燥させて水分含有量を減らして保存可能にする。食べるときは普通に炊く。製造に非常に手間と時間がかかることと所詮は代用食なため、本物の米が余っている現在では作られていない。現在食糧難の北朝鮮でも代用食として、トウモロコシやサツマイモやジャガイモから偽米が開発・製造されているとのこと。現在の中国ではジャガイモやサツマイモを米の形に成形した物にプラスチックを注入した偽造米(プラスチック米)が作られていると、韓国のメディアが報道されていた。これは代用食ではなく、安く作って本物の米の価格との差額を稼ぐための物である。そのような物は当然硬くて食べられないし、人体にとって有害だが、中国では業者が本物の米に混ぜて水増しするなどして食用に販売しており、かなりの量が出回っているとされる。しかし、報道が言うプラスチックである合成樹脂(synthetic resin)のコストは普通の米の三倍以上となり、その上加工費を考えると普通の稲作りより安く作ることができず、反って赤字になるので、韓国メディアによる報道の真偽が疑われている。更に、プラスチックは米よりはるかに軽く、炊事中水に浸ると浮くなどの問題もある上に、重量で米を売る各国の米市場では本当の米より多くプラスチック米を投入しなければならないという不利益な事実が判明している。それにより、インドネシア国家消費者保護機構(BPKN)主席アルディアンシャ・バルマンとインドネシア警察総長バテロディン・ハイデーなどは「プラスチック米」報道は誤報・虚報であると推測している。古くはイネ科の植物の穀物について広く「米」という単語が用いられていた。古来、稲が生産されていなかった華北(漢字発祥の地)では、長くアワ(粟)に対して用いられていた。中国後漢の許慎が著した漢字の解説書『説文解字』において、「米…粟實也。象禾實之形」(禾=粟)と書かれ、米即ちアワの実であると解説されている。現在の中国語では、イネ科の植物にとどまらず、米粒のような形状をしたものも米と呼ぶ例が多い。例えば、「海米、蝦米」は干した剥きエビ、「茶米」は烏龍茶などの粒状の茶葉などを指す。『米』という漢字自体は籾が四方に散った様子を描いた象形文字である。しかし、この字形から「八十八」と分解出来ると見立てて米寿等の言葉に利用されている。また、日本では水稲を作る際の手間の多さを「籾から育てて食べられる様にするまでに八十八の手間がかかる」とたとえられている。『岩波 古語辞典』は、「うるしね」(「しね」は“稲”の意の古語)の項で、“米”を表す日本語「うる(ち)」(粳)、マレー語 'bəras',アミ語 'fərats'; 'vərats',古代ペルシア語 'vrīzi',古典ギリシャ語 'oryza',イタリア語 'riso',英語 'rice' などを、すべてサンスクリット 'vrīhih' にさかのぼるものとしている。なお、新聞やテレビのニュースにおいては、米国(アメリカ)の略である「米(べい)」との混同を避けるため、「コメ」とカタカナで表記するのが一般的になっている。日本では嘗て栽培されていたが今は全く栽培されていない品種の米が存在する。その米は「チンコ坊主」と呼ばれる品種である。この品種は明治-大正時代に掛けて北海道に在る道央という地域で栽培されていた。名の由来はである。「チンコ坊主」の苗は風に弱い面があり、夏場の強風によって苗が折れたり吹き飛ばされるなどの被害が出易いという弱点がある。当該品種の種子は現在、国立研究開発法人(以前は独立行政法人)農業生物資源研究所にて保管されており、その事がフジテレビの番組「トリビアの泉」で放送されていた。

出典:wikipedia

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