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高田みづえ

高田 みづえ(たかだ みづえ、戸籍名:日高 みづえ(旧姓:高田)1960年6月23日 - )は、相撲部屋の「おかみ」で、元歌手・元タレント。鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・南九州市)出身。血液型はA型。夫は元大関の大相撲力士で、現・二所ノ関親方の若嶋津六夫(本名:日高六男)。長男は元俳優の勝信。長女はタレントのアイリ。1976年、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で第18代グランドチャンピオンとなり、1977年3月25日に「硝子坂」でアイドル歌手としてデビュー。「硝子坂」「だけど…」「ビードロ恋細工」「花しぐれ」と4曲連続でヒット、1977年に第19回日本レコード大賞・新人賞、日本歌謡大賞・放送音楽新人賞、FNS歌謡祭・最優秀新人賞などの新人賞を受賞した。同期デビューには清水健太郎、狩人、太川陽介、榊原郁恵、清水由貴子、荒木由美子らがおり、特に榊原・清水(由)と共に当時「フレッシュ3人娘」とも呼ばれていた。年末恒例の『NHK紅白歌合戦』にはデビュー時の1977年に初出場、翌1978年にも2年連続で出演。1979年は落選するが、その後1980年から1984年まで5年連続出場を果たし、過去8年間の歌手生活において合計7度紅白に出演した。1978年3月27日にフェスティバルホール(大阪)、同30日に東京渋谷公会堂でファーストコンサートを開催。8月17から19日にかけては、出身地鹿児島の鹿児島文化センター、指宿市民会館、川内市民会館で凱旋コンサート、同21日には大阪フェスティバルホール、31日には中野サンプラザでサマーコンサートを、それぞれ開催した。またこの年には、「花しぐれ」でデビューから4曲連続オリコンベスト10入りを果たす。通算ベスト10入りは6曲。1979年には『第30回NHK紅白歌合戦』を出場を逃すが、「子守唄を聞かせて」のB面に収録された「潮騒のメロディー」がロング・ヒットを果たし、TBSの『ザ・ベストテン』の「スポットライト」コーナー(1980年2月21日出演)では、高知県桂浜からの中継で歌唱披露した。1980年7月発売の「私はピアノ」で再ブレイクし、日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞。『第31回NHK紅白歌合戦』にも2年ぶりに出場した。その後、発売した「愛のイマジネーション」のB面に収録されたカバー曲「真夜中のギター」がヒット。1982年には、音つばめの曲をカバーした「愛の終りに」および、アリスの谷村新司作詞・作曲で谷村自身がバックコーラスも担当した「ガラスの花」を発売した。1983年には横須賀恵(山口百恵のペンネーム)作詞の未発表曲「通りすぎた風」をカバー、同年「そんなヒロシに騙されて」がヒット。翌1984年には競作曲の「秋冬」を発売する。当時の所属事務所はバーニングプロダクション、レコード会社はテイチク(現在はJVCケンウッド傘下)/UNIONで、レコードはすべて廃盤になったが、CDでシングルAB面収録ベスト盤やアルバム曲も収録した6枚組全集が発売された。歌手業のほか、TVタレントとしても活躍する。特にTBSの『8時だョ!全員集合』や、フジテレビの『ドリフ大爆笑』等のゲスト出演時は、毎回のようにザ・ドリフターズのメンバーと水を掛け合ったり、物を投げ合うなどのコントを演じて、お茶の間の人気を博した。また、日本テレビの『カックラキン大放送!!』でも、新御三家の3人(野口五郎・郷ひろみ・西城秀樹)や研ナオコらとともにコントを演じ、観客の笑いを誘った。1985年2月に当時大関で大相撲人気力士だった、若嶋津六夫との婚約発表と同時に、歌手活動を含めた芸能界引退を表明する。その前1984年暮れの『第35回NHK紅白歌合戦』では、自身最後の紅白出演と密かに決意して「秋冬」を歌唱するも、感極まって涙声となるシーンを見せた。1985年6月1日に東京厚生年金会館で、6月2日に大阪フェスティバルホールでファイナルコンサートを開催。6月5日に結婚前の若嶋津と共に出演した『夜のヒットスタジオ』では、「高田みづえサヨナラ企画」として自身のヒット曲メドレー等を涙ながらに歌唱。同番組登場を最後に、芸能活動を停止した。同年9月27日に高田と若嶋津の結婚式・披露宴が行われ、ホテルニューオータニで行われた披露宴の模様は、ゴールデンタイムに生放送された。独占放送権を獲得したのは、当時『大相撲ダイジェスト』等で相撲界との繋がりが強かったテレビ朝日である。司会は『大相撲ダイジェスト』でも実況を勤めた銅谷志朗が担当した。30.2%(ビデオリサーチ・関東地区)の平均視聴率を記録し、話題を呼んだ。若嶋津が1987年7月場所に現役引退後は松ヶ根部屋のおかみさんとなり、自ら相撲部屋の切り盛りをしている。1985年に芸能界を引退した高田みづえであるが、その後も松ヶ根部屋(現・二所ノ関部屋)の女将として、特別番組などで稀にテレビ出演している。1988年2月には、高田と親交が深かった芳村真理が『夜のヒットスタジオ』の司会を勇退する際、花束贈呈のために夫の松ヶ根親方とともに特別出演した。また、同フジテレビのクイズ番組だった『なるほど!ザ・ワールド』特番時には、親方と夫婦でのコンビや、花田憲子(当時・現藤田紀子)とのおかみさん同士のコンビで、それぞれ出演したこともある。なおかつて高田はタレント時代、明石家さんまとよくペアを組んで解答していたものの、高田の結婚引退後のさんまは、工藤夕貴とのコンビを組んでいた。しかし、工藤のトンチンカンな解答の多さに呆れ返ったさんまは、「みづえカムバック!」と思わず叫んだことがあった。2007年5月11日放送の『Dのゲキジョー』(フジテレビ)にて、高田はほぼ20年ぶりのスタジオ収録でのテレビ出演を行い、大相撲同年3月場所千秋楽後に行われた松ヶ根部屋の慰労パーティーの席上で、自身のデビュー曲の「硝子坂」をカラオケで披露するビデオなどが紹介された。その他、『速報!歌の大辞テン(日本テレビ)』では、1980年ヒット曲の「私はピアノ」を紹介された時に、司会者・徳光和夫との電話で、声だけの出演を果たしている(テレビ画面には高田本人と勝信・アイリ達らとの写真が映された)。2009年9月24日放送の『JNN50周年記念 ハイパーバラエティウィーク・8時だョ!全員集合』(TBSテレビ)では、アイドル歌手時代に出演した頃の懐かしのコントを振り返るコメントが、松ヶ根部屋からのVTRで放送された。翌2010年5月4日放送の『カスペ!・芸能界の告白大ヒットに隠された壮絶人生SP!』(フジテレビ)にもVTRで出演、松ヶ根部屋から10年ぶりに新十両昇進を決めた松谷(のち松鳳山)裕也の苦労話や、自身の若嶋津との結婚・芸能界引退のエピソードなどを語っている。2012年5月29日は『火曜サプライズ』(日本テレビ・録画収録)にて、福留功男・山瀬まみ・ウエンツ瑛士が松ヶ根部屋を訪問し、おかみさんの高田や松ヶ根親方らと対面。その後ウエンツ瑛士が部屋の現役力士との猛稽古に恐々参加する場面や、部屋のちゃんこ鍋を共に食事するなどの光景が放映されていた。2014年1月5日放映の『行列のできる法律相談所・明石家さんま2時間スペシャル!』(日本テレビ)にゲスト出演、司会のさんまと約30年ぶりのテレビ共演を果たしている。2015年8月3日、「私の何がイケないの?」へ実娘のアイリと共にスタジオ出演。同年8月8日放送のNHK総合テレビ『思い出のメロディー』に生出演。音楽番組の登場は、1985年の歌手活動停止以来丁度30年ぶり(NHKのステージは1984年末の『第35回NHK紅白歌合戦』以来31年振り)で、自身のヒット曲「硝子坂」と「私はピアノ」の2曲を披露した。2016年2月22日、「徹子の部屋」へ娘・アイリとスタジオ共演。番組冒頭では31年前の芸能界引退後、当時大関・若嶋津との結婚披露宴パーティーのVTR映像などが流されていた。◆レギュラー◆ドラマ◆ゲスト出演

出典:wikipedia

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