1998 FIFAワールドカップ()は、1998年6月10日から7月12日にかけてフランスで開催された第16回目のFIFAワールドカップである。決勝戦は地元のフランス代表と前回優勝国のブラジル代表の顔合わせとなったが、フランス代表がジネディーヌ・ジダンの2得点などでブラジル代表を3-0と下し初優勝を果たした。大会最優秀選手はブラジル代表のロナウドが、得点王はクロアチア代表のダヴォール・シューケルが受賞した。この大会より、本大会出場チームが24から32に拡大された。出場選手は1998 FIFAワールドカップ参加チームを参照。参加国数が24から32に増えた最初の大会(本大会出場選手本登録は22人で、1998年6月2日夜が締め切りであった)。グループリーグがそれまでの4チームのA-Fの6グループからA-Hの8グループに増加し、各グループ上位2チーム、合計16チームがノックアウト方式の決勝トーナメントに進む。トーナメント1回戦は、各グループ1位は2位のチームと、グループの対戦はAグループはBグループと、他はCとD、EとF、GとHとなる。大会は、前回大会優勝のブラジル対スコットランド戦でブラジルの2対1の勝利で幕を開けた。いわゆる「パリの悲劇」で、アメリカ大会に出場できなかったフランスが、1978年大会のアルゼンチン以来20年ぶり史上7カ国目の初優勝を遂げた。カントナを代表から外し、ジダンを中心に据えたエメ・ジャケ監督のチーム作りが成功。またユニフォームは代表初戴冠となるUEFA欧州選手権1984時代を模したものにして縁起を担いだ。グループリーグではブラン、デサイー、デシャンといったベテランがチームをまとめ、ジダンを中心に、若手の成長株のアンリやトレゼゲといったストライカーが得点を重ねる、理想的なサッカーを展開した。決勝トーナメントに入り、その世代交代の過渡期だったストライカーが力不足を露呈して得点力不足に苦しんだが、1回戦ではDFブランがゴールデンゴールを挙げ、準決勝ではそれまで代表戦でゴールのなかったDFテュラムが同点、そして逆転ゴールを挙げる活躍でそれをカバー。決勝戦においては下馬評ではブラジルが有利と言われていた。しかし、決勝当日の朝、泡を吹いて卒倒しているブラジルのエース、ロナウドが発見された。ブラジルはチーム全体がパニック状態に陥ることになる。発作が治まったロナウドは結局先発出場するのだが、怪物の抜け殻であり、エースを失ったブラジルは砂上の楼閣さながらだった、結果はフランスが3対0とフランスのサッカーを思う存分見せつけた試合と言える(決勝戦でもMFのジダンが2ゴール、同じくMFのプティが1ゴールと、ストライカー以外のプレーヤーが得点を挙げている)。大会自体は、下馬評通りに、優勝候補と目されていたブラジル、フランス、オランダ等が順当に勝ち進んだ。バティストゥータ、シメオネを中心にしたアルゼンチンはベスト8まで進んだが、オランダ戦ではオルテガの退場もあり敗退。一方で、スペインのグループリーグ敗退や、クロアチアの躍進は観客に驚きを与えた。また、前述のアンリ、トレゼゲを含め、イングランド代表のベッカムやオーウェン、ブラジル代表のロナウド、イタリア代表のデル・ピエロ、スペイン代表のラウルといった初登場の若手が活躍した大会でもあった。アジア勢は不振で、4カ国いずれもグループリーグで敗退した。前回アメリカ大会で初出場ながらベスト16に入り、旋風を起こしたサウジアラビアは1分2敗、韓国も1分2敗だった。イランはアメリカに2対1でワールドカップ初勝利を挙げるも、1勝2敗に終わりグループリーグで敗退した。日本はこの大会で初出場を果たしたが、3敗に終わった。本大会前には、ロマーリオ、ガスコイン、カントナ、三浦知良らが代表に選ばれなかったことが話題となった。日本代表が初出場するとあって、多くのサポーターが現地へ観戦に行くため、大手旅行代理店への観戦ツアーの申込は約35,000人となった。しかし開幕となる6月10日直前になっても、日本戦観戦ツアーの申込分の一部のチケットが旅行代理店に到着しない事態が発生。フランス組織委員会(以下、CFOと記述)は当初、「5月中旬までには全てのチケットを発行する」としていたが、チケットの偽物が発見されたり、カメルーンサッカー協会とイギリスの業者(チケット問題発生時には、すでに倒産)によるチケットの横流し事件が発覚したため、CFOがチケットの発券をストップ。その為、公認代理店以外でチケットを注文した旅行会社にチケットが届かない事態となった(なお、チケットの不足は、イングランド、スコットランド、ブラジル、ドイツ、オランダの試合でも起きている)。このため旅行会社ではチケットが手元に無いため、ツアーの実施、中止への対応を余儀なくされた。またツアー参加者は、出発の集合場所にて「チケットが届かない」旨の説明を受けたりしたため、参加者が突然の事態に泣き出す、説明に訪れた旅行会社社員に対し怒号が飛び交う等の事態になった(主な旅行会社の対応は、以下の通り)。この事件に対し、CFOは「販売は順当に進んだと認識している。残念だが、こちらとしては何も出来ない。」との見解を示した。これに対し日本旅行業協会がフランス政府に問題の調査を依頼、またCFOへ抗議文書を送った。これに対しまた後日チケットの注文を受けながら入場券を渡さなかったとして、ISLワールドワイド社の子会社「ISLフランス」の役員マルク・ルワゾンが身柄を拘束された。尚、チケットは無くても現地まで行ったサポーターやチケットをより多く確保したい旅行会社等により、ダフ屋が横行しチケットの価格は高騰、1枚36万円で販売するダフ屋まで出現した。挙句の果てには、対アルゼンチン戦にて偽チケットが発見される事態も発生した。このチケット問題に対し、アルゼンチン戦を開催するトゥールーズは、「日本人サポーターに、せめてスクリーンで試合を見て欲しい」と、市内のスポーツセンターと公園に試合を実況中継する巨大スクリーンを設置した。また座席も8,000席用意し、軽食や飲み物を無料配布した。尚、この巨大スクリーンの会場の一角を東急観光が占拠し、自社のツアー客以外を締め出すという事態を起こした。日本政府も藤井孝男運輸大臣(当時)は、遺憾の意を表明。また運輸省は少しでもチケットを確保するよう、FIFAに要請した。この一連の事件により、FIFAは不正を働いた疑いが強いとして、カメルーンとコロンビアのサッカー協会を調査。またFIFAのゼップ・ブラッター次期会長は主催者側の不備を認め、次大会以降のチケット販売は、大会開催国の組織委員会が扱うのではなく、FIFAの直接管理下で販売する方針となった。組み合わせ抽選は、1997年12月4日にマルセイユのスタッド・ヴェロドロームにて行われた。まず、参加32チームを以下のように分けた。これら各ポットから1か国ずつを1グループに割り当てる。ただしポット3は9か国あり、またヨーロッパの国が同一のグループに3チーム入るのを防ぐため、ポット3で最後に選ばれたチーム(この抽選ではノルウェー)は、ポット1でヨーロッパの国が選ばれなかったグループのいずれかに割り当てられる(この抽選では、ブラジルのいるグループAに割り当てられた)。そして、ポット4のチームはそれ以外の7グループに割り当てられる。すべてフランス時刻(CET)準決勝終了後、国際サッカー連盟の技術委員によりオールスターチームが選出された。選出に際し事前に60選手が選ばれ、7月3日に技術部部長のイェルク・ネプファーをはじめとした技術委員により16選手が決定された。選出に際しては正規の16選手のほか、控えの6選手を含む22選手が発表された。フランスの国鳥・雄鶏の、「FOOTIX フティックス」1998 FIFAワールドカップオフィシャルパートナー
出典:wikipedia
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