主権(しゅけん、、、、)とは、「主権」という用語・概念は、主として憲法・国際法などで用いられるものである。もともともは、イタリア語のSovranitàやフランス語の souveraineté は 「至高性」を指す用語・概念であり、フランス国王の権力が、一方ではローマ皇帝や教皇に対し、他方で封建領主に対して、独立であったり最高の存在であることを示すための用語として登場した。その後、近代国家が形成され発展する過程で、さまざまな政治的背景を織り込みつつ、様々な意味で用いられるようになった用語である。→#歴史「主権」概念の内容については、一般的には、国家の最高独立性を表す概念で、最高権、統治権、最高機関の地位のおおよそ三つの基本的意義があると理解されている。もともとの意味は「至上であること」ないし「最高であること」である。長い歴史を有する多義的な用語・概念で、論者によってさまざまな意味が盛りこまれることがある。歴史的に、憲法における概念としては、フランスにおける絶対王政の確立に伴い、自己の意思に反して何者にも制限を受けないという君主の神聖ローマ皇帝、ローマ教皇からの対外的に独立した最高権、君主の諸侯に対する自国内における最高の統治権ないし最高決定力を理論的に擁護するための政治的な概念で、国家そのものである君主の有する権力を表す概念として統一的に把握されたが、民衆の政治参加の進展に応じた国家の概念の変化に伴い、自国内における政治の在り方を決定する最高の機関の地位の所在が問題となり、三つの基本的意義に分解された概念である。同様に、国際法における概念としては、ヨーロッパ全土を巻き込んだ宗教戦争の到達点であるヴェストファーレン条約によって確立された概念である。中世のフランスのレジスト(Legisten、レギステン)と呼ばれるローマ法の注釈学者の一派が先鞭をつけ、ジャン・ボダンが理論的に確立した概念である。ホッブスによって社会契約説と結びつき、ロック、ルソーによって人民主権の概念と結びつき、近代国家を形容する概念となった。「主権」の概念の原型は、ローマの法学者ウルピアヌスの「元首は法に拘束されず」(princeps legibus solutus est)、「元首の意思は法律としての効力を有する」(Quod principi placuit、legis habet vigorem)との法解釈に遡ることができるが、1100年頃ボローニャに法学校ができ、やがて大学へと発展して、1240年にローマ法大全の標準注釈が編纂されると、全ヨーロッパから留学生が集まるようになり、ローマ法が普及していった。当時大学はカトリック教会とは切っても切り離せぬ密接な関係にあり、ローマ法が全ヨーロッパに普及するに連れて、カトリック教会は、宗教的権威を背景に、ローマ法の研究を進めて教会法を制定し、独自に教皇領を持って世俗的な権力を行使するようになっていった。そのため、中世ヨーロッパの秩序においては、神聖ローマ皇帝や諸侯は、ローマ・カトリック教会の宗教的権威に従属し(参照:カノッサの屈辱)、世俗的支配関係は、土地を媒介として重層的に支配服従関係が織り成される封建制により規律されていた。例えば、神聖ローマ帝国においては、領邦君主は帝国等族として皇帝に従属し、領邦においては、領邦等族が領邦君主に従属していた。しかし、このような中世的秩序は、以下のような過程を経て、徐々に崩壊し、国内の権力が徐々に君主に集中して絶対王政が確立して近代国家が成立することになる:以上のような宗教的及び世俗的権力の闘争の過程を通して、中世的な王国(regnum)が解体して近代になって生まれたのが国家(state)なのであり、近代国家の成立と共に、あらゆる世俗的及び宗教的権威から超越した理性的かつ絶対・万能であることを特徴とする主権概念が成立したのである。「国家(領土・領海・国民・国家体制など)を支配する権限」であり、次の特質を持つ。「国家が外に対して独立している」ということが、「主権」の内容として語られる。国家は互いに平等であり、その上に存在する権威はないため、「最高独立性」といわれることもある。近代国家である以上、対外的に独立していなければならず、逆に、対外的に独立していない場合は、それは国家ではない(国際法上の国家の要件が欠缺している)ということになる。「国家が内に対して最高至上である」ということが、「主権」の内容として語られる。近代国家においては、国家は、自らの領土において、いかなる反対の意思を表示する個人・団体に対しても、最終的には、物理的実力(physische Gewalt)を用いて、自己の意思を貫徹することができる。この意味で、国家は対内的に至高の存在であり、これを「主権的」と表現するのである。この意味で用いる場合には、「主権」という語は、領土に対する統治権、即ち「領土高権」とほぼ同じ意味内容を持つ。ある国家のうちで、「国政の在り方を最終的に決定する最高の地位にある機関は『誰』なのか?」あるいは「実際に最終的に決定する『力』を持っているのは『誰』なのか?」という帰属主体の問題も「主権」の問題として語られる。その場合の「最終的に決定する『力』」とは何かという問題もあるが、一般には、最高法規である憲法を制定する権力、即ち、憲法制定権力(独:erfassunggebende Gewalt, 仏:pouvoir constituant)であるとされている。ただし、その性質については、本当の「力」であるという実力説、機関としての権限であるという権限説や監督権力説など諸説がある。ドイツ流の議論では、君主主権説と人民主権(Volkssouveränität)説が対立し、その帰属主体をあえて問わないという問題回避的な国家主権説が唱えられていた。この論争は、明治憲法の解釈として、日本に輸入されて、いわゆる天皇機関説論争となった。フランス流の議論では、君主主権説の前提が存在しなくなったので、ドイツ流の三者間の対立とは異なり、プープル主権(souveraineté du peuple)論とナシオン主権(souveraineté nationale)論の二者の対立となる。プープル主権論は人民主権説に相似し、ナシオン主権論が国家主権説に相似するといえる。プープル主権においては、具体的なプープル(peuple、人民)こそが主権者であり、具体的な人民の具体的利益こそが政治に反映されるべきであり、命令委任は肯定すべきと考えられることになる。これに対して、ナシオン主権論は、抽象的なナシオン(nation)、人格化された国家が主権者であり、ナシオンが授権した代表者はナシオン(の利益)を代表するのであるから(「純粋代表制(régime représentatif pur)」という)、選挙民による命令委任(mandat impératif)は否定すべきであると考えられることになる。フランスの憲法学者であるレオン・デュギー (L.Duguit)は、主権概念抹消ないし不要論の立場から、その帰属主体をあえて問わないという問題回避的な法主権説を唱えた。これらの論争も、日本国憲法の解釈として、日本に輸入され、前者が杉原・樋口論争、後者がノモス主権論となった。先に述べたように、近代国際法においては、国家間の「主権平等の原則」が認められており、国際連合もまた、この原則によって立つものとしている(:「The Organization and its Members, in pursuit of the Purposes stated in Article 1, shall act in accordance with the following Principles. [/] 1. The Organization is based on the principle of the sovereign equality of all its Members.」)。この法的認識枠組によれば、カトリックローマ教皇庁もまた、バチカン市という領土を統治するひとつの「国家」(バチカン市国)であり、他の国家と平等の存在でしかないということになる。ここに中世の法秩序との大きな違いがある。いうまでもなく、この「主権」概念は、対外的な最高独立性という意味で用いられており、そのコロラリー(帰結)として、一国一票(one state, one vote)の原則が導かれる。日本においては、実定法上「主権」という概念が頻出し、しかも、それらが異なる意味で用いられているために、混乱の原因となっている。整理すれば、以下の通りとなる。三つ目に掲げられた条文により、日本国憲法は国民主権原理を採用したと解されている。主権はしばしば、国際的事件において問題となってきた。以下にそのうち日本が関係したものを例示する。戦後は、平和主義と国際協調主義の下、主権を制限し、または国際機関に委譲できる旨の規定を有する憲法が増えているが、これが伝統的な絶対性を特徴とする主権概念の相対化を示すものであるかどうかは議論がなされている。
出典:wikipedia
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