スティング(、本名:ゴードン・マシュー・トーマス・サムナー 、1951年10月2日 - )は、イギリスのニューカッスル・アポン・タイン出身のミュージシャンである。1977年にポリスを結成。1978年にA&Mより「ロクサーヌ」でデビュー。ベーシスト兼ボーカルとして活躍した。ポリス自体は1984年に活動休止し、ソロ活動をしていたが、2011年に復活し、東京と大阪を含むワールド・ツアーを決行した。妻は女優トゥルーディー・スタイラー()、息子はフィクション・プレイン()のボーカル担当ジョー・サムナー()、娘は歌手エリオット・サムナー(デビュー時の名はアイ・ブレイム・ココ)()。ニューカッスルのカトリック系男子校、セント・キャスバート・グラマー・スクールを卒業後、ウォーリック大学に通っていたが卒業はしていない。なお実家は牛乳屋であり、兄が継いでいる。1971年から1974年の間、イングランド北部教員養成大学(現ノーザンブリア大学)に通い、卒業後はニューカッスル北部にあるセント・ポール小学校の国語教師として5歳から9歳までの児童を受け持った。「高校教師」という邦題の曲のために高校教師だったと誤解されることが多いが、この歌は教育実習で15歳の生徒を担当した経験を元にしたものである(ただし、実体験を表したものではなく、彼によると、人気絶頂のロック・スターと若い女性ファンとの関係を暗喩として表したもの)。ビートルズ、キンクスで音楽に興味を持ち、ボブ・ディラン、セロニアス・モンク、チャーリー・ミンガス、マイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンの影響を受けて育つ。教員養成大学在学時、毎夜地元のジャズ・セッションに参加した。ニューカッスル・ビッグ・バンドにベーシストとして参加、1972年、スティングにとってはじめてのアルバム『Newcastle Big Band』をリリース。1974年ジャズ・ロック・バンドラスト・イグジットを結成して活動していたところスチュワート・コープランドに誘われて1976年にロンドンで活動することを決め、ヘンリー(アンリ)・パドゥバーニと共にポリスを結成する。ポリス結成以前のライブなどで、蜂を連想させる黄色と黒の縞の上着を愛用していたことからスティング(sting=「ちくりと刺す」の意味)と呼ばれるようになった。その後、アンディー・サマーズが加わり4人編成となったが、ヘンリーが脱退しトリオとなる。1985年、ソロ活動を本格的に開始。ジャズ・ミュージシャン(ケニー・カークランド、オマー・ハキム、ブランフォード・マルサリス他)を起用してアルバムを制作し、注目を浴びた。第一次スティング・バンドの練習など「バンドが生まれる時を記録した」模様はVHSビデオに収めて公開(「ブルー・タートルの夢〜 A Band Is Born」)されている。また、同年にはスティングがゲスト参加したマイルス・デイヴィスのアルバム『ユア・アンダー・アレスト』や、ダイアー・ストレイツの楽曲「マネー・フォー・ナッシング」も発表された。日本のキリンのビール「トゥギャザー」のCMソングを依頼され、「We'll be together」を作曲し、CMにも出演したが、本人はあまり気に入っていないらしい。1994年には、宮崎シーガイアのCMに出演し、キャンペーンソング『Take Me to the sunshine』を提供し、また、別テイクのタワーホテルのCMでは、『When we dance』を提供し、同施設のこけら落しライブも行っている。しかし、その後、来日時に受けた共同記者会見の席上で、宮崎シーガイアが地域の自然を破壊し問題視されているという主旨の質問を記者より受け、急遽、CMを降板するに至る。1999年に発表した『ブラン・ニュー・デイ』は、第42回グラミー賞を2部門で受賞。熱帯雨林の保護活動家、国際的な人権保護運動家の側面を持つ。ベーシストとしても一流であり、ポリスのアンサンブルを語る上で欠かせないものである。アコースティックで培ったダイナミズムをエレクトリックに反映させた骨太の音で、時にはテクニカルにビートの隙間を縫うようなフレーズを歌いながら難なく弾きこなす。エレクトリックベースの奏法については、米国のセッションベーシスト、キャロル・ケイの教則本から多くの事柄を学んでおり、後年、彼女のサイトに「ベースが本来、なすべき以上のことを教えてくれた」と賛辞を送っている。スティングのベースプレイでは、古典的なソウルやラテンロックを踏まえつつ、レゲエ、ジャズのテイストがより大胆に取り入れられている。2005年にはベーシストとしてt.A.T.u.のセカンドアルバムにスポット参加している。また、ドラマーのヴィニー・カリウタなどとも共演している。2002年に開催された冬季オリンピックのオープニングでは、世界的チェリストのヨーヨー・マと Fragile を共演。911テロの直後でもあり、大勢に感動を与えた。最近はクラシック音楽への傾倒が注目される。2006年にはジョン・ダウランド作品を集めた『ラビリンス - Songs From The Labyrinth』を名門クラシックレーベルのドイツ・グラモフォンから発表し、クラシック界からも注目を浴びた。また、2009年にも、パーセルやシューベルトなどの作品を集めたクラシック・テイストの『ウィンターズ・ナイト If on a Winter's Night』を、2010年には、自身のヒット曲を、クラシック・アレンジのもとオーケストラ伴奏でセルフ・カバーした、『シンフォニシティ Symphonicities』を、いずれもグラモフォンから出した。代表曲に「"Every Breath You Take"」(ポリス時代)、「"Roxanne"」(ポリス時代)、「"Fields of Gold"」、「"Fragile"」、「"Englishman in New York"」、「"Shape of My Heart"」(映画『レオン』主題歌)等がある。映画の主題歌や挿入歌に使用される事が多く、それらの一部を集めた、全17曲のアルバム「"Sting at the Movies"」(1997)がある。その後、同アルバムは、映画「阿修羅城の瞳」公開時に使用された「"My Funny Valentine"」を収録し、半分近くを差し替えた「"My Funny Valentine at the Movies"」(2005)へと更新されている。等(※スティング以外のメンバーの作曲は除く)1980年代から、社会活動に熱心なミュージシャンの一人として知られる。1985年のバンド・エイドに参加。さらに1987年発表の『ナッシング・ライク・ザ・サン』収録の『孤独なダンス』(原題:"They dance alone(Cueca Solo)")では、当時のチリ・ピノチェト軍事独裁政権の人権抑圧を批判。反体制者として逮捕され行方不明となった配偶者・息子の解放を訴える女性たちが、路上で形見の衣服を抱き一人一人踊るさまを歌った。また、妻トゥルーディー・スタイラー、ブラジル先住民カイヤポ族らとともにレインフォレスト・ファウンデーションを設立し、熱帯雨林保護活動を行っている。また、アムネスティー・インターナショナルを支持している。またイルカ漁を題材とした映画「ザ・コーヴ」の出演者リック・オバリーと親交があり、オバリーの活動を全面的にサポートしている。スティングは来日公演中にオバリー夫妻と再会、オバリーと同席にてインタビューも応じ、「リックが今後も積極的に活動を継続すること」と述べた。また、イルカ漁に対しては、「話し合いが必要」「引き続き、この問題が取り上げられていくことを見守っていきたい」と述べた。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。