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始祖鳥

始祖鳥(しそちょう、学名: )は、ジュラ紀に生息した現在発見されている中で最古の鳥類である。 始祖鳥化石として産出している物は全て 一種に属するとされることが多かったが、後述のようにいくつかの種に分けるべきだという意見も大きくなってきている。始祖鳥の最初の化石は1860年、ドイツのバイエルン州ゾルンホーフェン()地域のジュラ紀後期(キンメリッジアン、1億4600万年~1億4100万年前)の地層から発見された。この地は古生物の化石の名産地として有名であり、始祖鳥以外にも、この地でしか発見されていない多数の化石種がある。なお、種小名の "lithographica" は、ゾルンホーフェンがリトグラフ(石版画)に用いられる石材の名産地である事に由来する。始祖鳥の大きさや概形はカササギに近く、前足に羽根が並んで幅広で曲線的な翼を形成し、後足は基部には羽根を密生するが半ば以上はそれを欠く。また全身に羽根が生えており、体長は長い尾も含めて大きな標本で50cm程度であり、胴体部はその半分程度である。標本によってはさらに小さい(右図)。これらの特徴は現生の鳥類に似ているが、鋭い歯を備えた顎を持つ点、鉤爪のある3本の指を持つ点、そして長い尾部に骨を持つ点などが明らかに異なる。1862年、ダーウィンの『種の起源』の出版より僅か2年の後には始祖鳥の完全な化石が記載された。始祖鳥の最初の骨格化石の発見後、初めて鳥類と恐竜類の類縁関係を主張したのは、ダーウィンのブルドッグ(番犬)としても有名なトマス・ヘンリー・ハクスリーで、1860年代後半のことであった。しかしその後、多くの恐竜が発見されその多様性が非常に大きいことが明らかになるにつれハクスリーが指摘した類似点は曖昧になり、さらに発見された全ての恐竜について鎖骨が退化消失していたことから恐竜という生物の共有形質として「鎖骨の消失」が共有認識となり、鎖骨(叉骨)を持つ鳥類が鎖骨の消失した恐竜類から進化したという説は支持者を失っていった。多くの研究者は鳥類と獣脚類に類似があることを認めつつも、鳥類の祖先は恐竜の祖先でもあるがまだ鎖骨を失っていない槽歯類 (Thecodont) であり、類似は収斂進化にすぎないという意見がその後百年近く主流となる。その現状を覆し、鳥類は獣脚類から進化したという説を甦らせたのがジョン・オストロム () であり、1973年のことであった。彼は獣脚類にも鎖骨を持つ者がいること、すなわち恐竜の鎖骨は全て消失していたわけではないことを明らかにし、獣脚類起源説の最大の障害を取り除いただけでなく、鳥類と小型獣脚類のみが共有する特徴を20以上も挙げた。鎖骨の有無という問題が消失した今、鳥類の特徴(叉骨、羽毛、翼、部分的に保存されていた親指)と恐竜類の特徴(長く突き出た距骨、歯間中隔の存在、坐骨の閉鎖孔突起、尾の血道弓)を兼ね備える始祖鳥は、この主張を裏付ける決定打となった。後の研究では中国のゴビ砂漠から羽毛恐竜が発見されるなど、始祖鳥と恐竜をつなぐ更なる証拠が見つかっている。また、この過程からジョージ・オルシェフスキーのBCF理論が生まれているが、現在の主流の学説にはなっていない。ただし、鳥類は恐竜から進化したとする説には、現在確認されている中で最古の鳥類である始祖鳥の化石(ジュラ紀後期の約1億5000万年前年前)が、最古の羽毛を持つ恐竜の化石(白亜紀前後の1億2500万年前頃を中心に発見されていた)よりも古いという問題が残されていた。それを解決する化石が2009年に発見された。中国東北部のジュラ紀後期(1億6100万年~1億5100万年前)の地層から、トロオドン類の化石が発見された。これは、鋭いかぎつめを持ち全長約50センチのトロオドンと呼ばれる肉食恐竜の仲間である。羽毛を持った恐竜前後の脚に風切り羽があるが、鳥類や白亜紀の羽毛恐竜の羽の、先端に向かって細くて左右非対称である羽とは異なり、それは団扇のような左右対称系である。そのため、恐竜は最初に前後の脚に原始的な羽を持ち、やがて前脚の翼が発達して飛翔能力を身につけ、鳥類に進化したと考えられる。始祖鳥は現生の鳥類の祖先に近い生物であるものの、直接の祖先では無いと考えられている。始祖鳥が栄えた当時の鳥類にどれほどの多様性があったのかについては、今なお議論の余地がある。始祖鳥の化石の注目すべき点は、よく発達した風切羽にある。これは羽軸に対して著しく非対称で、現生鳥類の翼に見られる3部構造 - 羽枝、小羽枝(羽枝に生じる小毛)、小鉤(小羽枝に生じる小突起)- をとっている。尾羽もやや非対称形であり、硬い羽板を持つなどやはり現生のものに類似している。親指部分は羽毛を纏っていなかったとされる。体毛に関する記述は少なく、保存状態の良いベルリン標本(Berlin specimen、後述)の研究がなされているのみである。従って、以下の記述は必ずしも始祖鳥全体にあてはまるものではない。一般化するには複数標本の検討が必要である。ベルリン標本では、脚部を覆うまるでズボンのような発達した羽毛が残っている。この羽は基本的な大羽の構造をとっているが、部分的に分解が進んでいる(例えば平胸類のように小鉤が失われている; Christiansen & Bonde 2004)。とは言え、部分的にはしっかりとした羽が残っており、従ってこれらの羽にも飛翔をサポートする効果があったと考えられている(Longrich 2006)。また、始祖鳥の背側に沿っては大羽がパッチ状に分布している。これは左右対称の硬い羽(しかし飛翔に直接関与する羽ほど丈夫ではない)で、現生の鳥類に見られる下羽に類似している。それ以外の部分に関しては、ベルリン標本に見られる羽の痕跡はいわゆる「原始羽毛」に限られ、これは恐竜であるシノサウロプテリクス("Sinosauropteryx")に見られる構造とさほど違わない。標本のものは既に分解が進んで明瞭さを欠いているが、始祖鳥が生きていた時には羽根というよりもむしろ毛皮のようなものであったと考えられる。この毛皮は、保存状態の良い胴体から首にかけて見られる(Christiansen & Bonde 2004)。一方で、頭部を含む首より上の部分に関しては、羽毛があったという手がかりは無い。近縁な恐竜類の状態の良い標本から類推するに、恐らくは頭部に羽毛は無かったであろうと考えられている。しかしながら、頭部の羽毛の喪失は化石化の過程で生じた後天的な物である可能性もある。主な始祖鳥の化石は、始祖鳥の死体が海を漂った後に嫌気的環境の堆積物中に取り込まれてできたと考えられている。化石の頭部や首、そして尾部は往々にして下向きに曲がっている(これは筋肉が弛緩した時の典型的な形状である)が、これは死体が埋まった時には既に腐敗が始まっていた事を示唆している。従って、皮膚は既に軟化して失われていた可能性が高い。実際に、いくつかの標本では堆積物中に羽根が抜け落ちているものがある。また、死体が浅い水場を漂っているうちに頭部や首部の羽根が擦れて脱落し、強く結合している尾部の羽根のみ残ったという意見もある(Elżanowski 2002)。なお最初に記載された羽根の標本は、大きさや形状の特徴から"Archaeopteryx" 以外の未発見の鳥類の物とする説もある(Griffiths 1996)。始祖鳥の風切羽は現在の鳥類と同様に非対称で、尾羽はやや幅広になっている。したがって、主翼と尾翼は揚力を生じていた事が示唆される。しかしながら、グライダーのように単に滑空するのみであったのか、それとも羽ばたき飛行が可能であったのか、という点に関しては明確な答えは出ていない。始祖鳥が骨太の胸骨や(胸筋の起点となる)竜骨突起を欠く事は、始祖鳥の飛翔能力がさほど高くなかった事を示唆している。しかし、胸筋は厚いブーメランのような形状の叉骨や平板状の烏啄骨(前烏啄骨)、もしくは軟骨様の胸骨に連結していた可能性もある。始祖鳥において、肩甲骨・烏啄骨・上腕骨の各部を連結する肩関節窩が横を向いている事は、始祖鳥は翼を背面まで持ち上げられなかった事を示唆している。羽ばたき飛行が可能な現生の鳥類では、肩関節窩は背側に向いており、打ち上げ (upstroke) 時には翼を背面まで持ち上げている。したがって、始祖鳥は現生の鳥類と同じようには羽ばたけなかったであろうと考えられている。ただし、打ち下ろし (downstroke) のみによる補助のもとで滑空を行っていたことは考えられる (Senter 2006)。始祖鳥の翼は比較的大きいため、失速速度 (stall speed) は小さく、旋回半径も小さかったであろう。翼平面形は、翼幅が短く翼端が丸い、すなわちアスペクト比が小さいため、海鳥のような細長い(アスペクト比の大きな)翼に比べると抗力は大きい。しかしながら同時に、このような翼平面形は、灌木や茂みのような障害物の多い環境中を飛行するのに向いていたとも考えられる。実際に、現代の地上でそういった場所に生息するカラスやキジは、同じような翼平面形をしている。また、脚部から生じる非対称の「後羽」は、ミクロラプトル ("Microraptor") のような小型獣脚類()に見られるものに似ており、空中での機動性向上に寄与していたと考えられている。Longrich (2006) によって後羽に関する詳細な研究が初めてなされ、これが始祖鳥の有効翼の12%を占める事が示唆された。この脚部の羽が飛翔にどの程度貢献していたのかは定かでないが、主翼や尾翼の補助として、最大で失速速度を6%・旋回半径を12%程度小さくする事ができたと考えられている。R. L. Nudds1 & G. J. Dyke(2010)によれば、始祖鳥および孔子鳥は羽ばたいて飛ぶことはできず、滑空したという。2004年、始祖鳥の頭蓋骨のCTスキャンが行われ、それによれば始祖鳥の脳は主な恐竜よりもかなり大きく、飛行に要する処理が可能であっただろうと結論付けられた。脳全体の再構築も行われ、視覚を司る部分が脳全体の1/3に達する事も明らかとなった。他に飛行に際し発達すべき部分として、聴覚及び筋肉制御関係が挙げられる(Winter 2004)。CTスキャンによって内耳の構造も明らかとなったが、これは爬虫類のそれよりも現生の鳥類のものに似ているという。これらの事実を併せて考察すると、始祖鳥は飛翔に必要な鋭敏な聴覚と空間認識能力、それに姿勢制御能力を兼ね備えていたと考えられる(Alnso et al. 2004)。始祖鳥は鳥類の起源と進化に関する議論において、重要な位置を占めている。研究者によっては、マーシュなどによる鳥類が樹上から滑空するタイプの動物から進化したという考えを受け、始祖鳥を半樹上性の動物とみなす向きもある。他方では、始祖鳥は地上をすばやく疾走していたであろうと考え、サミュエル・ウェンデル・ウィリストン() 提唱の説である鳥類の飛翔が地面を走る事から発達した事の傍証であると位置付ける研究者もいる。さらには、始祖鳥は現在のカラスのように樹上と地上の双方を住処としていたとする意見もある。この意見は、形態形質に基づく考察としては最尤とされている。つまり始祖鳥は、樹上にも地上にも特化した生物ではないという事である。近年の知見に基づけば、Elżanowski(2002)に概説されるように、始祖鳥は捕食者から逃れるべくより高い木へ移動するため、あるいは崖や木の頂上からより長い距離を飛行するために翼を使っていたと考えるのが妥当とされている。但し、その後2005年に発見された状態の良い標本の分析によると、始祖鳥の足は現在の鳥類とは違い第1指が他の指と対向していないこと、すなわち枝を掴んで樹上に止まる事が困難であることが判明している(Mayr et al. 2005)。この事実は始祖鳥が地上生活者であった可能性を支持している。始祖鳥の化石標本は複数個が発掘されているが、それらの関係については問題が残る。大部分の標本は、各々が独自の種名を与えられているからである。例えばベルリン標本は "Archaeornis siemensii" 、アイヒシュテット標本は "Jurapteryx recurva" 、ミュンヘン標本は "Archaeopteryx bavarica" 、そしてゾルンホーフェン標本には "Wellnhoferia grandis" の名が与えられている。近年、これら全ての標本を単一の種として扱う意見も提唱された(New Scientist, 17 April 2004 p17)。しかしながら、各標本はそれぞれに興味深い差異がある事もまた事実である。特にミュンヘン、アイヒシュテット、ゾルンホーフェン、サーモポリスの4標本は、ロンドン、ベルリン、ハールレムのものとはサイズが異なり、指の長さの比率や鼻筋、歯の形状、胸骨の有無などの各所にも相違が見られる。これらの相違は、現生の鳥類において異種の成鳥間に認められる差異と同じ、もしくはそれよりも大きなものである。しかしこれらの差異を、同種の鳥における成長段階の違いとして説明する事もまた可能なのである。これまでに始祖鳥の骨格の化石は10個発見されている。全ての化石はドイツのゾルンホーフェン近郊の石灰岩堆積物中から出土している。始祖鳥 "Archaeopteryx lithographica" のシノニムは、混乱があった。少数の標本に対して数十の学名が記載・出版されていた(大部分は誤記であるが)。元々 "A. lithographica" の名前は、1860年に発見された一枚の羽根に対してヘルマン・フォン・マイヤーが命名したものである。1960年、学名 "Archaeopteryx lithographica" を担名する標本を、羽根の標本からロンドン標本へ正式に移す事をSwinton が提案し、翌年に動物命名法国際審議会(ICZN)は最初の骨格標本に対して与えられ氾濫していた学名を廃止(ICZN 1961)した。また、未知の翼竜に付けられていた "Archaeopteryx" の名も後に廃され(ICZN 1977)、この学名がいわゆる始祖鳥のものとして整理された。

出典:wikipedia

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