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はやぶさ (探査機)

はやぶさ(第20号科学衛星MUSES-C)は、2003年5月9日13時29分25秒(日本標準時、以下同様)に宇宙科学研究所(ISAS)が打ち上げた小惑星探査機で、ひてん、はるかに続くMUSESシリーズ3番目の工学実験機である。イオンエンジンの実証試験を行いながら2005年夏にアポロ群の小惑星 (25143) イトカワに到達し、その表面を詳しく観測してサンプル採集を試みた後、2010年6月13日22時51分、60億 kmの旅を終え、地球に大気圏再突入した。地球重力圏外にある天体の固体表面に着陸してのサンプルリターンに、世界で初めて成功した。はやぶさは2003年5月に内之浦宇宙空間観測所よりM-Vロケット5号機で打ち上げられ、太陽周回軌道(他の惑星と同様に太陽を公転する軌道)に投入された。その後、搭載する電気推進(イオンエンジン)で加速し、2004年5月にイオンエンジンを併用した地球スイングバイを行って、2005年9月には小惑星「イトカワ」とランデブーした。約5か月の小惑星付近滞在中、カメラやレーダーなどによる科学観測を行った。次に探査機本体が自律制御により降下・接地して、小惑星表面の試験片を採集することになっていた。その後、地球への帰還軌道に乗り、2007年夏に試料カプセルの大気圏再突入操作を行ってパラシュートで降下させる計画であったが、降下・接地時の問題に起因する不具合から2005年12月に重大なトラブルが生じたことにより、帰還は2010年に延期された。2010年6月13日、サンプル容器が収められていたカプセルは、はやぶさから切り離されて、パラシュートによって南オーストラリアのウーメラ砂漠に着陸し、翌14日16時8分に回収された。はやぶさの本体は大気中で燃えて失われた。カプセルは18日に日本に到着し、内容物の調査が進められ、11月16日にカプセル内から回収された岩石質微粒子の大半がイトカワのものと判断したと発表された。小惑星からのサンプルリターン計画は国際的にも例が無かった。この計画は主に工学試験のためのミッションであり、各段階ごとに次のような実験の成果が認められるものである。はやぶさの地球帰還とカプセルの大気圏再突入、カプセルの一般公開、その後の採取物の解析などは日本を中心に社会的な関心を集めた。はやぶさがミッションを終えてからもブームはしばらく続いた。イトカワ探査の終了後、JAXAでははやぶさ2をミッションとして立案しており、応援を呼びかけていたが、2011年5月12日、JAXAは「はやぶさ2」を2014年に打ち上げる予定であると発表した。2013年1月30日に、JAXAがこれまでに蓄積した膨大なデータを広く一般に公開するための実験の一つとして、はやぶさのAPIが構築された。このAPIは多摩美術大学と東京工科大学に公開され、同大学の学生がはやぶさのAPIを使用したアプリケーション開発を行う。ISASでは探査機の名前は、関係者同士の協議によって命名されてきた。MUSES-Cの場合、「はやぶさ」の他にも「ATOM」(、アトム)という有力候補が存在した。この名は的川泰宣を中心に組織票が投じられていた案であった。一方「はやぶさ」は上杉邦憲と川口淳一郎によって提案され、小惑星のサンプル採取が1秒ほどの着地と離陸の間に行われる様子をハヤブサに見立てた案であった。他にも「はやぶさ」の名には、かつて東京から西鹿児島を走った『特急はやぶさ』や、鹿児島県の地名でもある『隼人』の面もあった。協議の際に的川は「最近の科学衛星は『はるか』とかおとなしい感じの名前や、3文字の名前が多いので、濁点も入った勇壮な『はやぶさ』もいいね」と語り、また「ATOM」は語意の原子から原子爆弾が連想されるとして却下され、結局「はやぶさ」が採用された。小惑星の名前が「イトカワ」であることから「戦闘機と宇宙機の両方分野で著名な糸川英夫氏に縁の深い、戦闘機『隼』にちなんで命名された」と言われることもあったが、本探査機の打上げ日に初めて「はやぶさ」という正式名称が発表され、それから3か月後にその目標である小惑星が「イトカワ」と命名されたので、誤解であると川口は説明している。後に「はやぶさ」に至る小惑星サンプルリターン計画の検討は、日本で初めて惑星間空間に到達することになった「さきがけ」の打ち上げが成功裏に行われ、「すいせい」の打ち上げを控えた1985年6月、ISAS教授(当時)鶴田浩一郎が主催する「小惑星サンプルリターン小研究会」として始まった。その成果として翌1986年には1990年代を想定し、化学推進を用いてアモール群に分類される小惑星である「アンテロス」を対象とするサンプルリターン構想が纏まる。しかし、要求を満たす能力を持つロケットが存在しないなど、時期尚早であるとしてプロジェクトの提案はなされなかった。M-Vロケット開発を受けて検討は再開され、1989年秋から1990年春にかけて行われた宇宙理学委員会において、M-V 2号機のプロジェクトとして提案された。だが、LUNAR-A計画に敗れ採用されなかった。その後はランデブーとホバリングによる超接近観測を目的とした工学衛星計画に方向性を改めて再検討が進められることになった。1991年1月時点において、MUSES-C計画は光学観測による自律航行、三軸姿勢制御、ターゲットマーカーを用いた自律運用、X線分析装置と質量分析器の搭載などが検討されており、1997年5月に二段式キックモーターを装備したM-Vで打ち上げられ、1998年6月にアンテロスに到達するという計画であった。その後も検討は進められ、1995年に小惑星サンプルリターン技術実験探査機として宇宙工学委員会で選定、1996年に宇宙開発委員会の承認を経て正式にプロジェクトが開始された。小惑星サンプルリターン計画と並行して、彗星サンプルリターン計画の検討も行われていた。1987年のハワイにおけるISY会議の席上で、低価格な彗星サンプルリターン計画「SOCCER」の検討をジェット推進研究所 (JPL) とISASとの合同で開始することが決定された。M-Vによる打ち上げや、マリナーMarkII計画の「CRAF」との連携を視野に入れたデルタロケットの使用も検討され、1992年のディスカバリー計画ワークショップにおいて提案されるが、採用されなかった。その後、1994年にISASはMUSES-C計画に注力することを決定、SOCCER計画から外れる。その後、JPLによって検討を続けられたこの計画は、「スターダスト」としてディスカバリー計画に採用された。1994年に本格化した計画当初、目的地の小惑星は (4660) ネレウスであった。しかしM-Vロケットで打ち上げ可能な探査機の能力から見て、ネレウスへ向かうことが難しいと判断され、第2候補である (10302) 1989 ML という小惑星に変更された。しかし2000年2月10日のM-Vロケット4号機の打ち上げが失敗、2002年初頭に予定されていた打ち上げ計画が延期となって、1989 ML へ向かうことが出来なくなった。その結果、(25143) が3つ目の候補として浮上、目的地として決定することになった。はやぶさ命名3か月後の2003年8月、目的地の小惑星は、(探査対象となったことから)日本の宇宙開発の父、糸川英夫にちなんで、「イトカワ」と命名された。糸川は中島飛行機出身であり、設計に参加した飛行機としては「戦闘機」が著名であるが、先述のとおりこれが小惑星の名前の由来となったわけではない。本エンジンは燃料としてキセノンを用いており「イオン生成」「静電加速」「中和」という3段階を経て、キセノン・イオンが約30km毎秒ほどの加速を受けて真空の空間のほぼ一定方向へ放射する仕組みになっている。この陽イオンの放出による反動が、1基あたり8ミリ・ニュートンの定格推力を生む。宇宙機でのミッション系に相当する探査機器類は、受動的なセンサ系と能動的なサンプル採取関係のものに大きく分けられる。センサ系は小惑星への接近時に用いられる純然たるミッションの誘導用と、ミッション内容によらず宇宙空間内での位置や方向などを知るための航法用のものがあり、両方を兼ねるものもある。。MINERVA(ミネルバ)は、当初、はやぶさへの搭載が予定されていたアメリカ航空宇宙局 (NASA) のローバーがキャンセルされたため、それまでゆっくりと開発されていたものが、急遽準備された日本の小型ローバーである。プロジェクトマネージャーの川口淳一郎が日本独自の子探査機を搭載することを提案し開発された。名称は "MIcro/Nano Experimental Robot Vehicle for Asteroid" の略である。カウンターバランスの代わりに搭載することが前提となっており、分離機構を含めた質量を1kg以内に収めることが条件となっていた。NASAのJPLによってMUSES-CNの開発が進められていたことから正式なプロジェクトとしては扱われておらず、開発費は技術研究費用から捻出された。民生品や宇宙仕様品の廃棄部位の使用、宇宙仕様品のメーカーによる無償提供などで開発コストが大幅に削減されている。当初は正4面体の頂点にハエタタキのような構造を取り付け、それをモーターで駆動するという方式が考えられたが、駆動部位の露出や消費電力の面で問題があり、最終的には完全密閉の正16角柱形の外形に、内部のモーターを駆動してその反力でホップするという方式に決定した。打ち上げ後2年を経て2005年11月12日に探査機から分離されたが、分離時に探査機が上昇中であったため、イトカワに着陸することはできず、史上最小(当時)の人工惑星となった(後にIKAROSのDCAM2により更新)。分離後の状態は良好であり、探査機の太陽電池パネルを撮影した他、通信可能限界距離を越え通信が途絶するまで18時間に渡ってデータを送信し続けた。"MUSES-CN"は質量1kgを目標として開発される予定の小型ローバーだった。この着陸探査機は、NASAジェット推進研究所のディープスペースネットワークを利用する対価として「はやぶさ」に搭載される予定だったが、重量過多と開発費の高騰によって2000年11月3日に開発計画は中止された。カメラや近赤外分光器の搭載を予定していた。はやぶさでは、光学複合航法と地形航法が採用されていた。光学複合航法は主に宇宙空間での軌道を決定するためのものであり、地形航法はイトカワへ正確に着地するためのものであった。(時刻はすべてJST)(時刻はすべてJST)(時刻はすべてJST)はやぶさはカプセルを分離した後、最後に地球を撮影するミッションを行った。イトカワの観測終了後、カメラとその保温ヒーター電源は長時間切られたままで健全性が不明だった。また、カプセル分離まではそれに適した姿勢に保つ必要があり、分離機構が不調の場合にはカメラを地球に向けての写真撮影はできないと思われていた。しかし、カプセルの切り離しに順調に成功したため、カプセル取り付け面に対して側面にある広角カメラ (ONC-W2)を地球方向に向くよう姿勢を変更した。カプセル分離の反動でふらつく機体の姿勢を、イオンエンジンの推進剤の直接噴出と1基だけ残ったリアクションホイール (RW-Z) によって立て直し、2時間かけて機体を回転させた。そして13日22時2分頃までに地球を5 - 6枚撮影し、データを地上に送信した。そのほとんどは真っ暗なものでしかなかったが、送信の最中に通信が途絶して写真の下部が欠けていた最後の1枚の写真が、ぎりぎりで地球の姿を捉えていた。2003年5月9日の打ち上げから7年。姿勢制御用のリアクションホイールは3基中2基、化学燃料スラスタはすべて故障。バッテリは放電しきっているため、太陽電池パネルが太陽方向から逸れると即座に電源断となる状態。故障したスラスタ同士を繋いで復活させたイオンエンジンもいつ止まるかわからず、搭載されたコンピュータすらビット反転を起こし始めているという、まさに満身創痍の帰還であった。実際に使用されることはなかったが、最後のリアクションホイールが故障した場合の対策も用意されていた。6月13日22時51分頃惑星間軌道から直接12km/sの相対軌道速度で、はやぶさ本体およびカプセルは大気圏再突入した。流星のように輝きながら無数の破片に分解し、燃え尽きていくはやぶさ本体と、一筋の光の尾を曳いて飛び続ける再突入カプセルは、南オーストラリア州においては数十秒間にわたり地上から肉眼でも観測され、満月の倍の明るさに相当するマイナス13等級の輝きを発し、人の影が地面に映るほどの明るさとなった。事前の予想では、大気圏再突入時の光跡は最大でマイナス5等級程度と報道されていたが、後の記者会見では、この予想ははやぶさ本体を含まない、再突入カプセル単体の明るさを指した予想であったと訂正された。22時56分、カプセルからの電波信号(ビーコン)が受信され、パラシュートが開いたことが確認された。カプセルは23時8分頃に着陸したと推定される。着陸予想地点の周囲に展開した方向探測班がビーコンの方向から落下位置を推定し、発熱による赤外線を頼りにヘリコプターによる捜索が行われ、13日23時56分、再突入直前の予想地点から1キロほどのウーメラの北西約200キロで目視により発見された。現地の砂漠一帯は先住民アボリジニーの聖地でもあるため、14日午前にアボリジニーの代表がヘリで現場を視察し、了解を得た後、宇宙機構のチームがカプセル回収に向かった。カプセルに付いている火薬などの危険物が安全な状態かどうかを調べた後、カプセル回収作業開始し、約4時間後に回収を完了し、専用のコンテナで現地の拠点施設まで移送された。また、探索されていたヒートシールドも14日14時頃に発見され、翌日に回収された。なおこれ以前にも日本の宇宙機が自力で大気圏再突入に耐えた例はいくつかあるが、回収まで予定通りに成功したのは2003年に回収されたUSERS回収カプセル以来7年ぶり2度目。旧ISASが打ち上げた衛星・探査機としては初の回収成功となった(失敗後に偶然回収されたEXPRESSを除く)。大気圏再突入時の最大減速率は50G程度で、再突入から約150秒後には秒速数十メートルまでの減速がおこなわれた。NASAはJAXAなどと共同で、観測用航空機「DC-8」から19台のカメラで「はやぶさ」の大気圏再突入を撮影した。はやぶさは惑星間航行をしていたので、歴史上2番目の速度で大気圏再突入が行われ、カプセルは1万 - 2万度の高温にさらされた。NASAの支援としてはこのほかに、ディープスペースネットワークによるはやぶさの追跡支援、エイムズ研究センターの大型加熱風洞を用いた再突入カプセルの耐熱シールド試験があった。発見されたカプセルは、ウーメラ施設内のクリーンルームで爆発の危険性がある装置と電子回路を取り除いた後、窒素を満たしたポリエチレンの袋に入れた上で内箱に収納。さらに衝撃吸収用のボールを並べた免震箱に入れて熱シールドと共にチャーター機で日本に輸送され、17日深夜に羽田空港に到着した。18日2時にトラックでJAXA相模原キャンパスのキュレーションセンターに搬送された。カプセルはX線断層撮影 (CT) 検査を行うため一旦JAXA調布キャンパス飛行場分室に移送され、検査の結果容器に亀裂などがないことが確認された。昼夜連続でカプセルの清掃が行われ、20日にはサンプルコンテナがクリーンチェンバーに導入された。22日にサンプルコンテナが開封され、内部から微量のガスが採取されたが、大部分が地球大気由来の気体であった。24日には、サンプルキャッチャーA室の開封作業に着手した。7月5日、JAXAはカプセル内のサンプルコンテナから肉眼で確認できる直径1ミリメートルほどの微粒子十数個と、サンプルキャッチャーA室の内壁から直径10マイクロメートルほどの微粒子2個を顕微鏡で確認したと発表した。その後、調査範囲を広げるにつれて発見される粒子の数も増えていった。カプセル内の微粒子はマニピュレーターで1粒ずつガラス容器に移して詳細に検査する予定だったが、事前に行ったリハーサルより粒子が小さく効率が悪かったことから、電子顕微鏡で観察できるサイズのテフロン製ヘラを開発し、容器の壁面をこすって微粒子を採取するようにしたところ、10マイクロメートル以下の微粒子を約3,000個捕獲することができた。11月16日までにA室内から回収した微粒子のうち約1,500個が岩石質であった。回収された微粒子が地球上で混入したものなのか、イトカワ由来なのかはキュレーションセンター内での簡易分析だけでは判断できないと考えられていたが、X線分光分析の結果、組成が地球上の岩石では見られないLL4-6コンドライト隕石の組成と一致した。イトカワの観測結果から、イトカワはLLコンドライトと近い物質であると推定されていたことから大部分がイトカワ起源と判断され、11月16日に公表された。12月7日にサンプル容器B室を開封した。テフロン製ヘラによる採取では、微粒子がヘラに付着して取れなくなってしまうことから、サンプルキャッチャーをひっくり返して振動を与え、石英ガラス製の円盤に粒子を落下させる方法(自由落下法)が考案され、大きなもので300マイクロメートルを超える粒子を回収することができた。2013年3月15日までに400個ほどの粒子が回収され、元素組成によってカテゴリー別に分類され1つずつ保管されている。回収した粒子は初期分析のため各研究機関に配付された他、NASAや公募によって決まった各国の研究機関でより詳細な分析を行い、さらに一部のサンプルは分析技術の進歩に期待して保存する予定である。粒子の初期分析は当初予定の8月以降から9月以降、さらに12月以降へと延期され、ようやく2011年1月21日にSPring-8で最初の初期分析が始められた。3月にはアメリカで開かれた第42回月惑星科学会議で初期分析の中間報告が発表された。役割を果たした再突入カプセルのヒートシールドやパラシュートなど、および地上試験用のエンジニアリングモデルは、2010年7月末から8月にかけて以下の場所で公開された。一般公開の初日には1万3千人の来場者が詰めかけ、最大で3時間待ちにもなる長蛇の列をつくった。その後も引き続き各地で公開されていたが、ヒートシールドは研究解析に供されるため展示されないこともあった。2010年7月の相模原キャンパス特別公開を皮切りに同年11月からは本格的に各地を巡回し、最後の会場の愛知県刈谷市で2012年4月3日をもって全行程を終了した。全69会場で延べ89万人の来場者数を記録した。これとは別に、再突入カプセルを製作したIHIエアロスペースの工場が群馬県富岡市にある縁で、同社は2010年10月に実物大レプリカを群馬県に寄贈しており、県内で巡回展示された後にぐんま天文台で2011年1月15日から常設展示されている。6月13日を銀河連邦が「はやぶさの日」() に制定し、2012年5月28日に日本記念日協会から認定を受け登録された。以下の表は、開発・運用・回収サンプル解析に関わった企業を中心にまとめられた、主な「はやぶさ」関連企業の一覧である。はやぶさ (MUSES-C) の打ち上げ以前からMUSES-C後継機の構想はあり、小天体探査フォーラム (MEF) では後継機の任務について、同じ小惑星族(コロニス族またはニサ族)に属する複数の小惑星を探査する案や、スペクトルが既知の地球近傍天体 (NEO) 複数を探査する案など、多数の案が検討された。2011年5月12日、はやぶさの改良機「はやぶさ2」が2014年に打ち上げ、地球近傍小惑星リュウグウを探査する計画が発表された。2014年12月3日に打ち上げられ、2018年にリュウグウに到着、2020年に帰還する計画である。「はやぶさ2」以降については、より大型・高性能な「はやぶさMk.II(マーク2)」、「はやぶさMk.II」をヨーロッパ宇宙機関と共同開発するという「」などの構想がある。複数の技術的なトラブルに見舞われ帰還を絶望視されつつも、それを乗り越えて地球への帰還を目指すはやぶさの旅程は、多くの日本人に美談として受け止められ共感を呼んだ。天皇誕生日に先立つ2010年12月20日の記者会見で、今上天皇は「はやぶさ」について次のように述べた。また皇后は、はやぶさが大気圏に突入した時のことを和歌に詠んだ。「はやぶさ」に対する関心ははじめから大きかったわけではない。はやぶさの着陸失敗は非常に大きく取り上げられ、その後実は着陸していたことが取り上げられた。電波を捉えられなくなり、帰還が危ぶまれるようになるとほとんど報道されないようになった。マスメディアが関心を失っていく一方、インターネット上でははやぶさに関する話題の盛り上がりがあり、次第に注目を集めていった(詳細は「#インターネットによる広報と反響」を参照)。2010年6月13日の地球帰還が近付くにつれてニュースやワイドショーで取り上げられる機会も増え、6月10日にはNHKの『クローズアップ現代』で「傷だらけの帰還 探査機はやぶさの大航海」が放送された(JAXAの的川泰宣がゲスト出演)。NHKはウーメラに近いグレンダンボに取材班を送り、大気圏再突入の模様をハイビジョンで撮影して翌14日未明から定時ニュースの冒頭で繰り返し放送したが、NHK・民放各局とも生中継を行わず、NHK広報局はツイッター上で「大気圏突入のタイミングには、ちょうどワールドカップの試合を放送しているので、生中継は難しそうです」などと冷静に理解を求めていたのだが、第一報もやや遅れたため、一部では放送局の反応に対する失望の声も上がった。翌日14日の朝刊各誌は1面トップに写真付ではやぶさ突入の記事を掲載し、民放各局もはやぶさの帰還を報道している。またカプセルが着地したオーストラリアでは、大きな話題として扱ったテレビ放送局もあり、台湾やイギリスなどでも報道された。はやぶさの帰還後は、日本国民の熱狂ぶりや国民的な関心の高さがメディア上でも紹介された。はやぶさのカプセル帰還成功を受け、6月8日に成立したばかりの菅内閣の閣僚たちからは絶賛する発言が相次いだ。これらの発言に対して、読売新聞は鳩山政権下ではやぶさ後継機の予算が削減されていたことを指摘し、「現金すぎ」と民主党政権を批判的に報じた。はやぶさは、「星の王子さまに会いに行きませんか」キャンペーンを実施し、国内外から88万人の署名入りターゲットマーカーを積んでいたことで、投下成功のニュースには多くの励ましのメールがJAXAに届けられた。イトカワ着陸の際は、管制室のインターネット中継や、ブログによる実況が行われた。2度目の着陸の際、栄養ドリンク「リポビタンD」の空き瓶が管制室の机にどんどん増えていく様子がブログを通して紹介され話題になった。後にブログの更新担当者のもとには大正製薬関係者からリポビタンDが2カートン贈られたという。JAXAのwebサイトでは、ミッションの経過を絵本仕立てで紹介した『はやぶさ君の冒険日誌』やペーパークラフトなども公開された。2006年、soyuz project名義で活動する音楽家、福間創は、はやぶさの地球への無事帰還を願い、「swingby」という楽曲を自身のwebサイトで無料配信した。配信後、この曲は相模原のJAXA宇宙科学研究本部の一般公開イベントにおいて、はやぶさコーナーのBGMとして正式に採用された。地球帰還に向けて最後の軌道修正に入った2010年4月には特設ページが作られ、プロジェクトマネージャーの川口淳一郎を始めとする関係者たちのメッセージが掲載されたほか、ブログやTwitterで状況が報告された。Twitterでは「はやぶさ君」“本人”がつぶやいたり、「あかつきくん」や「イカロス君」と会話することもあった。リアルタイムで多くの情報が公開されたことによりネットでの注目を集め、はやぶさを擬人化したキャラクターや、はやぶさをテーマにしたフラッシュ・MADムービー・楽曲などが作られた。ファンによるコスプレや実物大模型なども公開されてブームを盛り上げた。後日、ASCII主催による、川口淳一郎教授と今回のプロジェクトチームを招いて、今回のミッションについての対談が行われた際、Twitterの果たした役割にふれ、またニコニコ動画上のさだまさしの『案山子』や『宇宙戦艦ヤマト』などをモチーフにしたFLASHムービー作品について、とてもよく出来ていて気に入っているという感想を述べて、「はやぶさ」とネットとの親和性は高いと評価した。2010年6月13日の大気圏再突入の際には、前述のように生中継を行った放送局が皆無であったのに対し、動画配信サイトでは現地からのインターネット中継が行われ、ニコニコ生放送に延べ21万人、JAXAの配信に36万アクセス、和歌山大学の配信に63万アクセスが殺到し、それぞれ視聴者数が制限されたり回線が繋がりにくくなったりする状況が発生した。Twitterでも注目を集め、NECビッグローブによる統計によれば、再突入を捉えた動画や画像が公開された頃を中心に、10分間辺り最大で27,000件を上回る発言がはやぶさの話題に費やされた。これは翌日の同時間帯に放送された2010 FIFAワールドカップ日本対カメルーン戦でゴールを決めた本田圭佑に対する、10分間辺り最大16,000件の発言を圧倒的に上回っている。また「はやぶさ」が地球に帰還した翌日には、オンライン署名サイトで「はやぶさ2予算増額の嘆願署名」が作成されるなど、関係者以外からも注目が集まっている。はやぶさに対する反響の一環として、プラモデルや書籍、果ては日本酒といったグッズも、無人探査機を扱った商品としては例外的な売れ行きを示した。例えば青島文化教材社から発売されたプラモデルは、同社における通常のヒット商品と比べて約4 - 5倍もの受注があり、初回製造分が数日で売り切れるほどの反響があったという。2009年4月1日には、はやぶさの困難な旅程を叙情的に描いたプラネタリウム番組『HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-』が公開され、プラネタリウム番組としては異例の人気があったという。『HAYABUSA -BACK TO THE EARTH-』はDVDおよびBDでも発売され、好評を博したものの、終盤の映像はあくまで予想に基づく制作だったため、はやぶさの地球帰還の後に完全版を求める声が相次ぎ、終盤の映像を事実に基づいたCG映像と差し替えた『HAYABUSA -BACK TO THE EARTH- 帰還バージョン』が制作され、各地で上映中であったプラネタリウムでも随時帰還バージョンへと差し替えられた。はやぶさ帰還後にはJAXAに8社から映画化のオファーがあり、2011年秋期から2012年春期にかけてはやぶさを主題とした映画3作が相次いで公開された。日本国内で同じ題材の映画が3作品重なって競作されることは非常に稀なことである。このうち20世紀フォックスの映画『はやぶさ/HAYABUSA』は、史上初の宇宙試写会という触れ込みで、国際宇宙ステーションに滞在中の宇宙飛行士を対象にした試写会が企画され、2011年7月27日に実施された。映画のほかには、映画の原作となった著作や、探査機を萌え擬人化した漫画作品などが出版されている。下の三つの映画作品についての批評の例 。

出典:wikipedia

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