


無断リンク(むだんリンク)とは、リンク先のウェブサイト等の管理者に連絡や許可申請をせずにリンクを張る行為(ただし本来許可は必要ない。後述)、またはその状態を表す考え方である。ここでいうリンクとは、HTMLによるハイパーリンクである。リンク先のウェブサイト等の管理者に連絡や許可申請をせずに無断でリンクを張ると言う意味で「無断」という言葉が使われている。「無断」という否定的な意味合いの強い単語が含まれている理由は、この言葉の登場した時期には“リンクするには被リンク側のウェブサイトの管理者に断りを入れるべき”という主張が強かったからである。現在でもネチケットにおいて「無断リンクはマナー違反」と見なす意見は存在する。そしてリンクフリーという和製英語が無断リンクの許可を意味する言葉として用いられる。リンクを張る行為は、閲覧を希望するものが、発表済みの情報にたどり着けるように、情報のウェブ上の位置を示すことであり、World Wide Webの性質からこれを制限したり禁じたりするような法律は無い。従って、リンクされる側の意向をくむかくまないかは、リンクを張る側の判断に任されている。Webの設計者ティム・バーナーズ=リーの発言があるように、元々Webには無断リンクという考え方はない。東北大学のページにティム・バーナーズ=リーの発言が一部翻訳されている。2003年前後に、無断リンクを控えるべきだという無断リンク否定派の立場と、そのような主張は無効であるという無断リンク許容派の立場がブログなどを舞台として論争を巻き起こした。否定派はインターネット上での儀礼的無関心の一環として無断でリンクをはられることを拒んでいるならそっとしておくべきだと主張し、肯定派はそもそもインターネットの設計思想からしてリンクするにも許可を要するのはナンセンスであると主張した(特に技術的な設計思想を過剰に強調する立場は俗にモヒカン族などといわれる)。騒動の発端となったのは、松谷創一郎が「人目につくことを好まないAさんがひっそりとネット上で執筆している日記に、アクセス数の多いBさんの日記から無断でリンクが設置され、その影響でAさんの日記のアクセス数が激増し嫌気がさしたAさんは日記を削除し執筆をやめてしまった」という状況を想定し、通常は物理的な公共空間で要求される儀礼的無関心がインターネット上でも求められてもいいのではないかという問題提起を行ったことによる。セキュリティ研究者の高木浩光によれば、無断リンク肯定派が挙げる根拠は以下のようなものである。高木浩光は、無断リンクの是非の議論ではこれらが根拠が混同してしまっており、個人のサイト(私的領域)で無断リンクを拒む場合とマスコミや官庁など(公的領域)で無断リンクを拒む場合について論点を分けて議論すべきであると述べている。上で挙げた以外の肯定派の意見としては、「そもそもリンクの許可をいちいちとることのほうが迷惑である」というものもある。社会学者の北田暁大によると、例えばアカデミズムにおいて他の研究者の論文を引用する際に出典を明示するといった制度では「固有名・公開性・公共性」の理想的な関係性が共有されているが、ネット文化ではそれら三者の関係が共有されていないことが問題を発生させているのだという。そして、ネット上での儀礼的無関心の問題はいくら技術的進歩やメディアリテラシー教育が盛んになってもついて廻る問題になるだろうと述べている。批評家・社会学者の濱野智史は、一連の議論により儀礼的無関心とは「他人の日記をこっそり盗み見たい」という欲望に支えられたものであることが提示され、本来の論点ではなくこのような欲望を肯定できるかどうかというところに議論が収束してしまったと指摘している。また、無断リンクを忌避する儀礼的無関心に近い事例として、電子掲示板2ちゃんねる上における「(hを抜いて)ttp://…から始まるURLを書いて直接リンクを避ける」という暗黙の風習(h抜き)や「URLをクリックするといったん広告バナーを含むページが中間に挟まれる」というシステムを挙げている。リンクに関して法的な強制力はないが、サイトによって様々な指定がなされている場合がある。また、リンクに関する個人の主張や考えも様々である。山形浩生のように、むしろ、いちいち断りを入れられることを嫌っている場合もある。リンクする場合に法律上制限はされていないが、特定のリンク方法の場合(直リンク、ディープリンク)、著作権上問題が発生する可能性がある。直リンク(ホットリンク)と呼ばれるHTML文書やXHTML文書以外のwmvやswf、jpegなどの画像や動画ファイル、音楽ファイルに対してなどの埋め込み型のタグによりリンクを張る行為や
出典:wikipedia
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