栗橋町(くりはしまち)とは、かつて埼玉県の東部北に存在した人口約2万7千人の町である。北葛飾郡の最北端に位置していた。通勤率は、東京都特別区部へ20.1%、さいたま市へ12.2%(いずれも平成17年国勢調査)。江戸時代には日光街道が利根川を越える要地として栗橋関所がおかれた水陸交通の要衝の宿場町(栗橋宿)であった。現在も、日光や東北へ至る鉄道は栗橋を経由する。埼玉県内有数の米どころで農業が盛んな町である一方、東京より約50キロと比較的近い地点に位置することもあり、都心方面へのベッドタウンでもある。また、優良な物流倉庫地、工業地としても発展している。2010年(平成22年)3月23日、久喜市、南埼玉郡菖蒲町及び北葛飾郡鷲宮町との新設合併により消滅した。現在でも旧栗橋町域を総称して栗橋地区という。農地が広がる一方、東京都心から約50kmに位置し、鉄道の駅が東北線開業時から設置され古くからベッドタウンとしての特徴も有している。江戸時代には日光街道が利根川を越える要地として栗橋関所がおかれた宿場町(栗橋宿)であった。国道4号・国道125号・埼玉県道3号さいたま栗橋線・埼玉県道12号川越栗橋線等の主要道路が交差する交通の節点である。また、歴史的な地名としての「栗橋」には現在の茨城県猿島郡五霞町の一部(元栗橋地区)を含む場合があり、古河公方家の支城・栗橋城は両町の境界線上にある(現在「栗橋城址」とされる史跡は行政区的には五霞町側に所属するが、城の一部は権現堂川右岸である栗橋町側にも及んでいた)。関東平野のほぼ中央部に位置し、利根川・中川・権現堂川の沖積平野にあって中川低地と呼ばれる低地が中心の地形であるが、中心市街地、高柳や佐間などの西部、権現堂川沿い及び南栗橋地区には、自然堤防や旧堤防など微高地になっている場所もある。北葛飾郡の北端に位置する。東武日光線が南東部から北西部へと縦断し、JR東北本線(宇都宮線)が南西部から北東部へと縦断する。両線は栗橋駅で交わり、相互に乗り換えることができる。町域南部を東北新幹線が通過するが、町内に駅はない。町の東端、旧利根川の流路である権現堂川の自然堤防上を国道4号が南北に縦断している。中心市街の東側の栗橋交差点からは国道125号が西の加須市、熊谷市方面に伸びる。また町西部では、国道125号から埼玉県道3号さいたま栗橋線が分岐し南下する。その他、国道125号の北側を平行する形で羽生市に通じる県道が2本ある。中心市街は町の北、栗橋駅周辺からかつての栗橋宿の周辺に広がる。かつての栗橋関所と栗橋宿は、町の北端、利根川に接する位置にあり、栗橋駅はそこから南西に約1キロメートル離れている。一戸建ての住宅が多く、商店街はもとの栗橋宿、駅前、及び両者をつなぐ道路に展開している。栗橋町役場(現:久喜市栗橋総合支所)はこの市街地の南の角にある。南栗橋駅の西側を中心とした地域にも、まとまった住宅地(東武鉄道主導によるニュータウンで計画人口は14000人。豊田土地区画整理事業により整備された南栗橋1丁目〜南栗橋12丁目。)がある。他は水田と住宅が入り混じる。栗橋駅西側は西口が近年の設置ということもあり、栗橋駅西土地区画整理事業は行われているが東口ほどの発展は現状では無く有料駐車場が広がっている。利根川には水位観測点が設置されている。この地点は渡良瀬川と利根川の合流点と利根川と江戸川の分岐点の間に位置するため、台風や大雨の際に警戒水位を超える事があり、テレビのニュースなどで取り上げられる事がある。湖沼注意:ここに記した旧栗橋町は1944年(昭和19年)4月1日合併以前の町域を対象としており、豊田地区および静地区に関しては豊田村・静村の項を参照されたい。地名(小字)栗橋宿(くりはしじゅく、町制後「大字栗橋」)主な商業施設等(全て2006年度のもの)二次医療圏としては埼玉県利根医療圏に属する。栗橋町立私立市外局番は町内全域が「0480」。同一市外局番の地域との通話は市内通話料金で利用可能(久喜MA)。収容局は埼玉栗橋局のみ。郵便番号は町内全域が「349-11xx」である。東武鉄道の始発終着駅があったり道路の名前や案内標識などで遠方の方でも「栗橋」と目にする機会が多いためか、近隣市町村以外やインターネット上からは、しばしば栗橋市などと勘違いされていることもあるようである。その他、東北新幹線が大宮駅 - 小山駅間で当町を通過している。タクシーの営業区域は県南東部交通圏で、春日部市・草加市・越谷市・久喜市・八潮市などと同じエリアとなっている。道路も比較的良好な環境で広域的な交通利便性に富んでいる。南北の物流の大動脈である国道4号が走る。町内は数少ない片側2車線区間となっている。ちなみに新旧の国道4号が並行する区間で両者が最も接近するのが東隣の茨城県猿島郡五霞町の当町寄り付近であり、国道4号「工業団地入口」交差点 -久喜市道352号線 - 五霞町道9号線 - 県道268号西関宿栗橋線 - 国道4号バイパス(新4号国道)「五霞」交差点(西→東)と進むと、新旧国道4号の距離はわずか3km程度である。一方、東西は国道125号が中北部を走り、東北道加須IC・行田・熊谷方面と茨城県下妻・つくば・土浦方面までを結ぶ。また県庁所在地さいたま市方面には起点の国道4号栗橋交差点から終点の国道17号新大宮バイパス吉野町ICまで全線にわたって片側2車線のJR宇都宮線(東北線)と平行して走る県内でも有数の大動脈である埼玉県道3号さいたま栗橋線(旧・大宮栗橋線)が通る。当町内に高速道路は走っていない。それでも加須ICまで約10分程度の距離となっており、利便性は比較的良い。最寄りICは東北自動車道加須ICだが、東京方面へは久喜IC、仙台方面へは羽生ICを使われることも多いようである。ちなみに、東北自動車道の本線上に設置されている久喜IC(下り線)、加須IC(上下線)、羽生IC(上り線)の各出口の案内標識には『栗橋』とも表記されている。役場のホームページでは「加須インターチェンジから約10分」と案内している。八坂神社は栗橋町の北端寄りに位置する。当町の八坂神社は毎年7月の第3土日に「天王様」(てんのうさま)と呼ばれる祭が行われる。祭りの屋台は神社の南にある旧東第一小学校(現在ハクレン館)の正門の通りに出店する。当町には毎年晩春から初秋にかけて、利根川をハクレンが遡上してくる。ハクレンは戦時中に食料として中国から国内に輸入、放流された魚類であるが、食用としては日本人の味覚に合うものではなかった。ハクレンは産卵の為に霞ヶ浦から川を遡り、日本で唯一利根川の当町流域で大ジャンプを起こす。原因には諸説あるが、どれも定かではない。テレビ埼玉のニュースや在京民放キーテレビ局でも取り上げられる。2004年度は上流で大雨がなかったことや霞ヶ浦で水量調整のために水門が閉じられて遡上できなかったという話もあって当町でジャンプが確認されなかった。渡良瀬遊水池や権現堂調節池などが出来てからの近年は利根川の水位が高くなりにくくなっていてハクレンはより水位・水量のある下流でたくさん飛ぶようになってきている傾向がある。現在、栗橋駅東口には静御前の墓と義経の招魂碑、さらには生後すぐに源頼朝によって殺された男児の供養塔がある。当地の伝説では、源義経を追ってきた静御前は、1189年(文治5年)5月現在の茨城県古河市下辺見(しもへいみ)で義経の死を知り、当町にあった高柳寺(現光了寺。古河市中田)で出家したものの、慣れぬ旅の疲れから病になり同年9月15日に22歳で亡くなったとされる。現在、毎年9月15日には「静御前墓前祭」と称する追善供養が、また10月第3土曜には「静御前まつり」が行われる。「静御前墓前祭」では邦楽の演奏が、「静御前まつり」では義経・静御前・白拍子などによるパレードが行われる。鎌倉街道中道日光街道・奥州街道江戸時代に指定された奥州街道・日光街道の江戸・日本橋から数えて7番目の宿場である。当宿と利根川対岸の中田宿は合宿の形態をとっていた。神奈川県足柄下郡箱根町、群馬県安中市松井田町と共に関所サミット(近世関所フォーラム)を開いたことがある。子どもみこし、地元芸能および盆踊りなど。小規模ながら打ち上げ花火もある。
出典:wikipedia
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