麻雀(マージャン、、)は、中国を起源とし、世界中で親しまれている4人用(原則)の牌を使ったテーブルゲームである。4人のプレイヤーがテーブルを囲み136枚あまりの牌を引いて役を揃えることを数回行い、得点を重ねていくゲーム。勝敗はゲーム終了時における得点の多寡と順位で決定される。ゲームのルールは非常に複雑であるが発祥の地である中国のほか、日本、アメリカ合衆国などの国々で親しまれている。現在の中国語においては麻雀のことを一般に「」(マージャン )という。「」(マーチュエ )は中国語ではスズメを意味する。ちなみに麻雀をするというのは「打麻将」(ダー マージャン dǎ má jiàng)という。広東語や台湾語では日本と同様に「麻雀」というのが普通である(粤拼:maa4zoek3、白話字:môa-chhiok/bâ-chhiok)。香港ではスズメと区別するために「蔴雀」と書くことがある。戦前の日本では「魔雀(モージャン)」と表記することもあった。日本においては34種類136枚の牌を使うのが一般的で、麻雀卓と呼ばれる麻雀専用のテーブルが用いられる。麻雀卓などの専用の道具がなくともプレイできるように、カードにした簡易版の道具も市販されている。使用する道具や採用するルールについては国や地域によって異なる点が多く、日本国内でも標準的とされるルールのほかに様々なローカルルールが存在する。現在の日本では、家庭や麻雀店(雀荘)で遊ばれるほか、ゲームセンターや家庭用コンピュータゲームやオンラインゲームでもプレイすることが出来る。昭和期における麻雀ブームの時期と比較すると雀荘の数や麻雀専門誌の数は減少傾向にあるが、コンピュータとの対戦やネットワークを通じた不特定の相手との対戦が可能になったことで、形を変えた人気を保っている。また、効率性を思考することや指先の運動により認知症の予防にも役立つという説もある。起源には諸説がある。紀元前6世紀頃、孔子が発明したという説もあるが、有力ではない。最も有力な説は清の同治年間(1862 - 1874年)に寧波の陳魚門が、明代(1368 - 1644年)からあったカードゲーム「馬吊(馬弔、マーディアオ)」と「骨牌」というゲームを合体させて麻雀を完成させたというものである。語源については、麻布の上で行ったことと、竹製の牌を混ぜる時の音が雀の鳴き声に似ていることから付けられたとされる。1949年に中華人民共和国政府によって一旦、全てのギャンブルと共に禁止された。しかし文化大革命の終結後、ギャンブルでない麻雀は許されるようになり1985年には禁止令が解除された。1895年、アメリカ合衆国の人類学者スチュワート・キューリンは麻雀に言及した記事を書いた。これは中国語以外の言語で書かれた最初の麻雀についての記述であった。1910年までにはフランス語や日本語の文献も出揃った。1920年、アバークロンビー・アンド・フィッチ社は初めて合衆国に麻雀を輸入し販売を開始した。麻雀セットはニューヨーク市を中心にヒット商品となり、合計で12000セットを売り上げた。また、同時期にジョセフ・パーク・バブコックが世界初の麻雀本となる""を出版した。1920年代の合衆国で麻雀は全ての人種の間で流行しアメリカ式のルールや役が生まれ、多くの「マージャン・ナイト」が開かれた。人々は中国風の装飾が施された部屋に着飾って集まり、これに親しんだ。エディ・カンターの"Since Ma is Playing Mah Jong"など、マージャンを主題にした流行歌も幾つか生まれた。1937年には初のルールブックとなる""が出版されるとともに、全米麻雀リーグ (National Mah Jongg League, NMJL) が発足した。しかし、合衆国における麻雀の流行は一過性のものに終わった。1980年代にコンピュータ用ゲーム『上海』が登場して以来、「mahjong」「mahjongg」「mah-jang」という表現が再び一般的に使われるようになるが、それらは『上海』タイプのパズルゲームを指しており、中には麻雀牌以外の絵柄を使っているものも存在する。日本人で初めて麻雀に言及したのはおそらく夏目漱石で、『満韓ところどころ』(1909年)に大連での見聞として「四人で博奕を打っていた。(略)厚みも大きさも将棋の飛車角ぐらいに当る札を五六十枚ほど四人で分けて、それをいろいろに並べかえて勝負を決していた」とある。実際の牌が日本に伝わったのも明治末期で大正中期以降はルール面において独自の変化を遂げつつ各地に広まっていったともいうが、一般に認知されるようになったのは関東大震災の後である。神楽坂のカフェー・プランタンで文藝春秋の菊池寛らが麻雀に熱中し、次第に雑誌等にも取り上げられるようになった。文藝春秋社では、みずから麻雀牌を販売していた。第二次世界大戦中は、戦時色が濃くなるにつれて麻雀も下火となっていったが、終戦と共に再び流行し始め、「途中リーチ」(現在のリーチ)などを含めた新ルールやアメリカ式麻雀が取り入れられるようになり、アレンジを加えられた麻雀(日本麻雀)が主流を占めるようになった。戦前に行われていた支那(中国)麻雀は、1947年に再建された日本麻雀連盟などを中心に現在も行われてはいるが、次第に主流からは外れていった。1965年、阿佐田哲也は『週刊大衆』で『麻雀放浪記』シリーズの連載を開始。1970年には阿佐田、小島武夫、古川凱章らが麻雀新撰組を結成。同年『週刊大衆』で名人戦開始。1972年に『近代麻雀』、1975年に「プロ麻雀」が創刊され、麻雀ブームが起きた。1976年には竹書房主催で、プロのタイトル戦「最高位戦」が開始された。この時期、多くの大学生やサラリーマンが手軽な小遣い稼ぎやコミュニケーションツールとして麻雀に親しんだ。しかし、同時に賭博・喫煙・飲酒・徹夜などの不健康なイメージが広がったため、1988年にはそれらを廃して麻雀を楽しむことを目的とした日本健康麻将協会が設立された(#健康マージャンも参照)。麻雀におけるコンピュータゲームの普及は1975年頃からであるが、業務用(アーケードゲーム)で現在のものに近いゲームシステムが導入された最初の麻雀コンピュータゲームは1981年3月のジャンピューター(アルファ電子)であった。このゲームは一世を風靡し、ゲームセンターや喫茶店に数多く見ることができた。その後、対戦相手のコンピュータの画像を女性をモチーフとしプレイヤーが勝つ毎にその女性の衣服を脱がせるという、いわゆる「脱衣麻雀」のコンセプトが大当たりした。年代と共に映像技術も向上し、性能や官能性もアップした。ゲームセンターでは麻雀ゲームはアダルトゲームの代名詞でもあった。1990年代後半から2000年代にかけてのインターネットの普及や通信対戦の発展により、自宅やゲームセンターなどで容易に対局が可能になった。1997年にはオンライン対戦麻雀の先駆けとなる『東風荘』がサービス開始、2002年には通信機能を持たせ全国のプレーヤーと対戦できるコンピュータ麻雀ゲーム『セガ四人打ち麻雀MJ』『麻雀格闘倶楽部』が稼動を開始し、2004年には携帯麻雀ゲーム『雀ナビ四人麻雀オンライン』が稼動を開始した。2006年にはオンライン対戦麻雀『半熟荘(2007年に天鳳に改称)』がサービス開始している。1990年、天野晴夫が『リーチ麻雀論改革派』(南雲社)において麻雀戦術論からの抽象の排除を提唱した。その中で小島、田村光昭など当時の有名麻雀プロや在野の桜井章一らの麻雀論を「ツキ」「勘」「流れ」といった抽象論に支配されている非科学的なものであると批判した。天野は抽象的な要因を考慮することは的確な情報判断を鈍らせる原因にこそなれ、麻雀の上達には繋がらないと主張した。これがいわゆる「デジタル雀士」のさきがけである。2004年、とつげき東北の『科学する麻雀』が講談社現代新書から出版された。とつげきは前の局の結果が次の局に影響を及ぼすとするいわゆる「流れ論」を徹底的に否定しており、本著でも確率論を基礎とした統計学的な麻雀戦略を提唱している。「このような時にはこう打つ」と明確にかつ論理的に場面に応じた打ち方を指導している点が特徴である。これらデジタル麻雀に対して「ツキ」「勘」「流れ」を重視する雀士も多く、そのような戦術論はアナログやオカルト派と呼ばれている。2002年10月23日から27日にかけて、東京で「2002 世界麻雀選手権大会」が開催される。日本の初音舞が優勝し、ジョン・オコーナーが準優勝した。2006年に世界麻雀機構 (WMO) が設立され、中国の北京に本部が置かれた。翌2007年には、11月3日から5日にかけて、中国の成都で「世界麻雀選手権大会」が開催された。公式にはこの大会が「第1回」として扱われる。また、WMO主催の大会以外にもマカオのWorld Mahjong ltd.が2007年から賞金制の世界大会「世界麻雀大会」(World Series Of Mahjong) を主催しており、1位にはアメリカドルで50万ドル支払われる。2008年の北京オリンピックでは将棋とともに公開競技としての導入が図られたが、国際オリンピック委員会から却下された。ロシアでは、麻雀アニメをきっかけとして2009年ごろから学生の間で日本式麻雀が普及しはじめ、2012年から全国の愛好者らによるトーナメント式のリーチ麻雀大会がモスクワで開催されている。一般的には4人で行うゲームであるが、三人麻雀、二人麻雀もある。各プレイヤーは13枚の牌を手牌として対戦相手に見えないようにして目前に配置し、順に山から牌を1枚自摸しては1枚捨てる行為を繰り返す。この手順を摸打といい、数回から十数回の摸打を通して手牌13枚とアガリ牌1枚を合わせた計14枚を定められた形に揃えることを目指す。アガリ形の組み合わせに応じて点棒のやりとりが行われ、最終的に最も多くの得点を保持していた者を勝者とする。前述のように採用するルールについては国や地域によって異なる点が多いが日本においては一般に花牌を使用しないルール(清麻雀)、立直を役として採用するルール(立直麻雀)が採用されている。以下では日本において麻雀で使われる道具類について説明する。日本では、中国で用いられるものより小さめの34種136枚の牌を使用するのが一般的である。牌の種類には萬子(ワンズ/マンズ)・筒子(ピンズ)・索子(ソーズ)・字牌(ツーパイ)がある。萬子・筒子・索子はそれぞれ一から九までの9種、字牌はさらに三元牌と四風牌に分かれ三元牌は白發中の3種、四風牌は東南西北の4種である。これら34種がそれぞれ4枚ずつ、計136枚である。この他に花牌と呼ばれる牌が4種1枚ずつあるが、花牌は一般的なルールでは使用されない。そのため日本で販売される麻雀牌では花牌をなくし、その代わりに赤牌を追加したセットが多い。麻雀牌などの麻雀用具は、専門店、おもちゃ屋、リサイクルショップ、オークションなどで入手できる。点棒(てんぼう)は各プレイヤーの得点を表すために用いる細い棒である。正式にはチョーマ(籌馬)と呼ばれる。特に棒でなければならない理由はなく、海外ではカードやチップも使われる。点数の最小単位は100点だが大量の点棒を扱わなくてよいように、数種類の点数が用意されている。点棒のタイプは軸色の種類により白点棒とカラー点棒の二つがある。現在の日本国内の麻雀店では全自動麻雀卓が非常に多く、点箱内の点棒を自動的に計算し、点数を表示するため、万点棒が赤、1000点棒が青のように点棒自体が色分けされて分かりやすくなっているカラー点棒が多い。また、全自動麻雀卓用(点数表示枠用)の点棒では自動読取りを行う形式によって接触型と非接触型に分けられる。起家マーク(チーチャマーク)は最初の親が誰かを示す目印となる物。親マークともいう。表面に“東”、裏面には“南”と書かれている。一般的ではないが“南”のかわりに“北”と書かれているものやサイコロ状のものに東南西北が書かれ、格子にはめ込むタイプのものもある。これは場風の明示を兼ねるため使用される。最初の親を決めるとき及び配牌時に取り始める山を決めるために、サイコロを使用する。通常は6面ダイス2個を使用するが、12面サイコロ(パッコロ)を用いる場合もある。その場合は1つのサイコロは1から12が、もう1つのサイコロには東西南北が書かれている。なお、プレイ中のサイコロは親を表す目印として、親の席の右隅に置くこととしている。まだ和了(アガリ)していないことを示す目印となる物。アガリ成立の時点で裏返しにする。一度も和了しないまま競技単位を終えることを俗に焼き鳥と呼び、ペナルティを受けるローカルルールがある。また4人とも焼き鳥を解消した時点で、また4人全員が焼き鳥状態に戻る「焼き直し」というローカルルールもある。このルールだと必ず誰かが焼き鳥状態でゲームが終わる。半荘で殆どの場合、一度は「焼き直し」が起こる。麻雀卓(マージャンたく)または雀卓(ジャンたく)は麻雀を行うための卓で、通常60-70cm四方の正方形のテーブルである。一般に麻雀卓は、麻雀牌が卓よりこぼれないように卓の周りに枠を設けており、麻雀牌の音を吸収するとともに麻雀牌が痛まないように緑系統あるいは青系統の色を用いたフェルト製の天板マットが張られており、洗牌(シーパイ、牌をかき混ぜる作業)や打牌に向いている。また、卓は点棒を収納する引き出しを備えている(関西向けには引き出しではなく卓の枠部分に固定され、全員に中身が見えるように作られた点棒箱を備えているものもある)。なお点棒箱は通常全員分の点棒が入るサイズに作られるが関西では原点を超えた点棒を卓上に晒すルールが多いため、原点1人分の点棒が入るサイズとなっている。麻雀卓は卓の形状により座卓タイプと立卓タイプに分かれる。家庭や旅館などの座敷用には座卓タイプを、椅子に腰をかけながら麻雀を行う時には立卓タイプを使用する。支柱部分が取り外し可能になっており、使用環境に応じて立卓か座卓かを選択し組み立て直すことができる製品もある。また、麻雀卓は卓の機能により全自動麻雀卓(洗牌と山積みを電動で行う)、半自動麻雀卓(裏返し等を自動で行う)、手打卓に分かれる。自動化された麻雀卓が出現するまで麻雀卓は手打卓であった。最近の雀荘はすべての卓を全自動麻雀卓で営業しているのが一般的であり、近年は麻雀卓といえば全自動麻雀卓を指すことが多い。手打卓は新たに出現した自動麻雀卓と区別するために用いられるようになった呼称であり、手打ち麻雀卓、手積卓などと呼ばれることもある。風営法では全自動麻雀卓(テレジャンも含む)とそれ以外の麻雀卓(マグジャンなどの半自動卓を含む)が厳密に区別されており、徴収可能な料金の上限が異なっている。こたつやちょうど良い大きさのちゃぶ台が置いてある家庭等ではわざわざ麻雀専用にしか使い道がない麻雀卓を購入するのではなく、麻雀用のマットを購入しそれらの上で麻雀を行うこともある。こたつについては、最初から天板の裏に緑のフェルトを張ったものも以前はよく見られた。なお、後述の三人麻雀専用で用いる正三角形の卓もある。雀荘(ジャンそう)とは、麻雀の設備を設けて客に麻雀を遊技させる店舗である。風俗営業適正化法の条文では「まあじやん屋」と記述される。日本国内の雀荘は、風俗営業適正化法が定義する風俗第四号営業に該当するため、これを営むには、営業所ごとに当該営業所の所在地を管轄する都道府県公安委員会の許可を受けなければならない。また、同法により原則として午前0時から午前6時までの営業は禁止されている。しかし現実にはフリー雀荘の多くで深夜営業が行われており、店は窓にカーテンを引くなどして音や光が外部に漏れないようにしてこっそりと営業されている。。営業の形式には、大きく分けて2種類ある。3人から4人あるいはそれ以上の人数で店舗に出向き、麻雀卓を借りる「セット」形式と、1人で行って見知らぬ相手と対戦する「フリー」形式である。セット雀荘には「貸卓専門」、フリー雀荘には「お一人様でも遊べます」といった内容の看板などが掲げられており、それによって営業形態を察することができる。セット雀荘のほとんどは貸卓を専門としているが、フリー雀荘は貸卓営業を併行して行っていることが多い。フリー雀荘の場合、時間帯によっては来客が中途半端で卓が成り立たない場合があるほか、客が都合で一時的に卓から抜ける際に進行を止めたくない等の事情もあり、その場合は「メンバー」と呼ばれる店員が加わることでゲームを成立させる。遊技料は風営法により定められており、現在は客1人当たりの時間を基礎として計算する場合1時間600円(全自動卓)、1卓につき時間を基礎として計算する場合1時間2400円(全自動卓)を超えないこととなっている。よってフリー雀荘の多くは1回○○円となっているが、1時間換算で料金が上記を超える場合は違法である。個室を提供する(但し、完全な密室にしてはならないため各部屋は施錠できず窓が設けられている)高級なセット雀荘や、黙認される上限ギリギリのレートで営業するフリー雀荘では、上限いっぱいの料金を設定している。雀士の資格・語義は一義的ではない。麻雀愛好家という程度の意味(麻雀子と同義)に解されることも多い。棋士と呼ぶこともある。日本の法律では職業として麻雀を行うのに資格は必要ないが、競技を開催する団体の認定が必要である。競技麻雀のプロ団体は現在8団体である。プロ団体に所属のないフリープロも存在する。五十嵐毅などは「プロ」という用語を「プロフェッショナル」ではなく「プロパー」(生え抜き)の略として解釈する。前節に挙げたプロ雀士には、複数の麻雀戦術書・指南書を刊行している者もいる。本節では、プロ雀士ではないが麻雀に関する複数の著作物を世に出している人物を列する。昭和期の麻雀ブームの頃は専門誌が刊行されたが、現在では一般の書店に並ぶ専門誌は存在しない。麻雀を題材とした漫画のみを掲載した雑誌。詳細は麻雀漫画参照。現在発行されているのは竹書房から刊行されている1誌のみ。MONDO TVでは、多くの麻雀番組を放映している。詳細はMONDO TV#麻雀を参照。雀荘以外の場所では、麻雀が夜通しで行われることも多い。こうした麻雀は徹夜マージャン、もしくは略して「徹マン」と呼ばれる。参加人数が4人しかいなければ、寝ることもままならず体力的にもかなりきつい。それでも大学生など若者を中心に、麻雀愛好家は徹夜マージャンを盛んに行う傾向にある。参加人数が5人以上であれば、1人は競技に参加できない半荘が発生する。競技に参加できない者を「抜け番」と言い、仮眠を取って次の半荘に備えることができる。麻雀の不健全なイメージ(賭博と酒、タバコ、徹夜など)を排除すべく、脳の機能の維持などを目的として起案された麻雀。健康麻将(けんこうマージャン)とも呼ばれ、脳のトレーニングや老化防止にも活用されている。映像作品に玉利祐助監督の長編記録映画「少子超高齢化する現代社会における『健康マージャン』の社会性の報告」がある。一般に麻雀は賭博的な要素を持つ遊技と認識されており、大人に限らず未成年者がプレーする場合でも金品のやりとりを伴うことが多い。日本において、公営ギャンブル以外のギャンブルは賭博であり、刑法上の犯罪である。他方、個人間での賭博が自由主義上で原則合法なアメリカなどの国では、仲間同士でお互いの家でビールを飲みながらポーカーをするなど、庶民文化の一つであるだけでなく、各自が同額の賭金を持ち込んで、優勝者が最後に全参加者の賭け金を独り占めするトーナメント制の試合が堂々とテレビで放映されるなど、ギャンブルそのものに犯罪というイメージがほとんどない。なお、ギャンブルとしてではなく、純粋な競技としての麻雀を競技麻雀またはノーレート麻雀と呼ぶ。麻雀は零和ゲーム(全員の点数の合計が常に一定:ゼロサムゲーム)であるため点数のやりとりをそのまま掛け金のやりとりに換算しやすい。さらに思考ゲームであると同時に偶然の要素も強く、運・実力共に結果に反映されることからギャンブルとして馴染みやすい。結果に従ってやりとりする金額は普通、ウマ等を考慮した得失点1000点につき何円というレートが設定される。1000点あたり10円なら「点1(テンイチ)」、50円なら「点5(テンゴ)」、100円なら「ピン」(または「テンピン」)、200円なら「リャンピン」、1000円なら「デカピン」、10000円なら「デカデカピン」と言われる。日本の法律および判例では金銭については額の多少に関わらず一時の娯楽に供するものとは見なされない(大審院大正13年2月9日、最判昭和23年10月7日など)ため、原理的にはこれらすべてのレートに対し賭博罪が成立する。2011年には、比較的少額とされる点5雀荘も摘発された。1000点あたり1000円を超えるような高レートの設定といった高額の金品等を賭けるケースは、人目を忍んでマンションの一室で催されるという意味でマンション麻雀などと呼ばれる。その他のギャンブル(カジノなどで行われている多くのものや公営競技など)と異なる点として点棒の移動によって異なる負け金を勝負の後に出すことから控除率の計算が難しいが、ギャンブルとしては公営競技などと比しても破格の高さで特に1000点20円以下の低レートでは控除率が100%を超えることすらある。例として1000点20円、2の2-4のレートで場代が1人250円の場合で30000点丁度の一人浮きトップを取った場合を例に取ればトップ者の収入(=敗者の支出合計)は800円であるがこれに対しハウスが徴収するコミッション(控除額)は1000円となる。したがって、控除率は125%となる。なお負けた者の支払いが本人によって行われない場合(たとえば大会においてスポンサーがあり、勝者に賞金を提供するなど)、または勝った者の利益が本人の手に渡らない場合は賭博罪には当たらない。雀荘で見知らぬ客同士が卓を囲む場合は、レート設定で対立することのないように雀荘側で公式レートを定めていることが多い。この公式レートはウマとあわせて店外に掲示されているが、「風速」などと婉曲表現されていたり、サイコロの目のイラストで示されていることが多い。例えば「風速0.5」とあれば、それは1000点で50円のレートであるという意味である。多くの雀荘、預かり金と称して、5000円から1万円を客から預かることもあり、客が負けて手持ちがなくなっても一定程度払えるようにしている。また、それでも足りなければ、「アウト」と称して店が不足分を立て替える雀荘もある。
出典:wikipedia
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