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坂戸駅

坂戸駅(さかどえき)は、埼玉県坂戸市日の出町にある、東武鉄道の駅である。駅番号はTJ 26。東上本線と越生線が乗り入れており、越生線の起点となっている。島式ホーム2面4線を有する地上駅で、橋上駅舎を持つ。ホームは1面を東上本線が使用し、もう1面を越生線が使用している。東上本線と越生線との間の乗り換えは駅舎併設の跨線橋と若葉寄りの跨線橋を経由する。エスカレーター・エレベーター・定期券売場を設置している。貨物営業を実施していた頃は、秩父鉄道または高坂構外側線などから当駅で折り返して日本セメント専用線へ向かう列車、または日本セメント埼玉工場から下板橋のセメント包装所へ向かう列車などが行き交い、そのジャンクションの駅でもあったため、4線の本線の他、4線の貨物列車専用線を有していた。構内の若葉駅寄りに坂戸機関区が置かれ、電気機関車の基地となっていた。廃止後は保線基地となり、当時の検修庫が側面の「東武鉄道坂戸機関区」の文字を消してはいるものの、そのままの状態で残っている。また、基地に敷かれていた線路のうち1線は越生線電車の留置線としても使用されている。また4線の貨物専用線のうち2線はすでに撤去され(現在の3番線の南側にあった貨物専用線跡は、3番線ホームの拡張に転用された)、4番線ホームの北側に2線のレールが一部残っている。現在この2線は保線車両の留置線として活用されており、時折保線車両が置かれているのを見ることができる。長らく駅の南北を連絡する自由通路がなかったため、公道で反対側に移動する必要のある市民からの不満が多かった。そこで坂戸市では、当駅南北自由通路と橋上駅舎化のアイデアを募集し東武鉄道に働きかけた。その結果、2007年12月に新駅舎を建設することが決定し、2008年3月に着工した。2009年3月20日から寄居・越生側に仮設した連絡通路を供用開始すると同時に既存跨線橋の池袋側の階段を閉鎖した。その後、同年11月17日から新駅舎のうち中央階段とエスカレーター・エレベーター部分の供用を開始した。2010年10月24日より、改札と事務室が橋上化され、南北の通路の行き来が可能となった。そして2011年9月30日に工事は完了し、同年10月1日に完成記念式典が挙行された。南北両口の階段上の壁にはステンドグラスが設置され、南口には坂戸市の木である桜、北口には高麗川の清流をそれぞれデザイン。日本画家の倉島重友がこれらのデザインを手掛けた。2011年4月21日より3・4番線で発車メロディの使用を開始した。2014年度の1日平均乗降人員は27,755人である。近年の1日平均乗降人員および乗車人員の推移は下表のとおりである。坂戸市の中心となる駅だが、幹線道路沿いにロードサイド店舗が多く進出したことなどから、当駅前の旧市街地はやや衰退傾向にある。このため、坂戸市では「坂戸駅周辺活性化推進室」を設置し、駅の橋上化とともに駅周辺の活性化を模索していたが、2013年に廃止され、北口の駅前広場の再整備などは中断している。当駅の西方、東上本線と越生線が分岐する中間にもう一本の線路が存在するが、これはかつて高麗川の河原で採取された砂利をトロッコなどの簡易的な方法で運搬していた軌道跡である。1926年国土地理院発行の5万分の1地形図にはこの軌道がすでに記載されており、越生線よりも先に存在していたことになる。軌道は西方へ真っ直ぐ延び、現在の坂戸市立浅羽野中学校の敷地をかすめるように通って高麗川の河原へと進んでいた。1926年当時は更に高麗川沿いに先へ延びて、埼玉県道114号川越越生線の万年橋の近くまで達していた。後に途中の、現在の坂戸市三光町の地内に工場が設けられ、その専用線としての機能も有していた。1960年頃には、前述の浅羽野中学校の先の河原までに軌道が短縮されている。全廃となった現在では、埼玉県道74号日高川島線の手前で線路は途切れ、その先は一部道路に転用されているが、一部は区画整理により廃線跡は消滅している状態である。

出典:wikipedia

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