『ロードランナー』(Lode Runner)は、ダグラス・E・スミスにより考案され、ブローダーバンドから1983年に発売されたアクションパズルゲーム。『バンゲリングベイ』『チョップリフター』とともに、バンゲリング帝国三部作の一つである。後に上級編として『チャンピオンシップロードランナー』も発売された。ゲームの目的はステージ内にある金塊を敵に捕まらずに回収し脱出すること。主人公(プレイヤーキャラクター)は穴を掘るためのレーザーガンを装備しており、床に穴をあけて下の階層に移動したり、掘った穴に敵を落としたりして障害をクリアしていく。アクションゲームにして、パズル性も兼ね備えている。プロトタイプは1982年の夏休みに制作された、Pascalで書かれたPrime Computer 550用プログラムに源を発するという。初期のプログラムは、VAX用にFORTRANで書かれた。これが学生の間で評判となり、友人のApple IIを借りて移植、ブローダーバンドに応募したが没となる。理由として、カラーモニターを持っていなかったためモノクロ画面で作成されていた、キャラクターも製品版より小さい、ジョイスティック非対応だった点などが挙げられる。それらの欠点を改良し、エディタなども付けた上で再度応募したところ、今度は採用となり1982年12月30日にブローダーバンドと契約。翌1983年6月23日に同社から発売された。媒体は5インチフロッピーで、日本国内での輸入販売価格は11,000円程度だった。Apple IIシリーズ用が有名だが、各種パソコン・ゲーム機やアーケードゲームなど様々な機種に移植されている。"road"(道路)ではなく "lode"(坑道)がタイトルの由来である。余談になるが、パソコン(というより「マイコン」と呼ばれていた時代)にプログラム(専らゲーム)をロード(LOAD)してラン(RUN)するだけの人という意味でロードランナー (Load Runner) というある種の蔑称があった(LOADとRUNは、どちらもBASICの命令(※: 文ではない)。当時は多少なりともコンピュータはプログラミングして使うもの、という意識があった)。本作品には敵の頭渡りなど数々のテクニックがあるが、作者いわく最初から考えて付けたものではなく本当はバグであったと語っている。敵の動きは、基本的には高さを揃えて距離をつめるというアルゴリズムだったが、ある地点でプレイヤーが止まるとかえって遠ざかっていくようになってしまうバグが出ていた。そこでこのバグを修正したところ、先の展開が読めすぎて全くつまらないものになってしまったため、バグを元に戻してこちらを完成バージョンとしたとのこと。また、地形パーツのトラップはブローダーバンドからの要請で製品化の際に組み込んだものとも語っている。これらの事が相まって、さらにはエディタ(Editモード)が搭載されていた事でより難解な面を作って遊ぶことも人気を博した一因となった。当時はEditモードで自作面を紹介する書籍まで販売されていた。1985年のつくば万博で、ソニーは2000インチの巨大テレビ(ジャンボトロン)を展示し、これを用いたゲーム大会を開催した。その際のゲームとして採用されたのはMSX版のロードランナーだった。なお大会が開催されたのは1985年8月11日、参加資格は小学校4年生から中学校3年生までの男女。参加者は事前に申し込みをした中から抽選で選ばれた。上記のイベントに合わせて1985年8月に来日した際、インタビューで「ロードランナーのおかげで、寝室4つにプール付きの家、モーターボート、ポルシェ2台が手に入った」とダグ・スミスは語っている。この時点での販売本数はアメリカで約15万本、日本で約200万本(ファミコン版を含む)だった。2012年11月15日オールタイム100ビデオゲームに選ばれる。ステージを構成するパーツで、各作品共通で登場するものは以下のとおり 。主人公の邪魔をして来る唯一の敵。「衛兵」「番兵」もしくは単に「敵」とも呼ばれる。若干速度が遅く、レンガを掘れないほかは主人公とほぼ同じ能力を持ち、常に主人公を追いかけてくる。出現数はステージによって決まっており、初期の作品では1ステージにつき最大3体(チャンピオンシップロードランナーでは最大5体)という制限があったが、昨今の作品ではこれによらない場合も多い。1度でも触れてしまうとアウトだが、ロボットの上に乗った場合はミスにならず、足場代わりに使うことが可能。レンガに埋めて倒す事が出来るが、倒してもステージ上部から復活する。またステージ上の金塊を持ち去ることもあり(一度に1個だけ)、この場合はしばらく歩かせるか掘った穴に落とせば金塊を放す。レーザーガンで直接撃って倒すようなことはできない。日本では、ハドソンがファミリーコンピュータ用に移植したものが特に知名度が高い。ファミコン初のサードパーティー製ソフトとして語られる事も多いが、実際にはナッツ&ミルクの方が3日早く発売されている。またファミコン初のスクロール画面(横)を備えたゲームでもある。オリジナルのApple版ではキャラクターが半角1カーソル分と非常に小さく、1画面にマップを全て表示できていたためスクロールの必要はなかったが、ファミコン版では低年齢層への配慮もありキャラクターサイズを大きくしたため1画面に表示し切れず、Apple版とは異なる画面構成(横28×縦13サイズ)になったうえ、左右スクロールが採用されることとなった。1画面に表示しきれないことでパズル性を損ねる懸念もあり、ブローダーバンド社からはNGが出たが、当時の工藤取締役と高橋名人(当時はまだ宣伝部に移って名人としての活動を始める前で、営業部員の頃である)が説得にあたり、発売にこぎつけたという。1画面分(横14×縦13サイズ)のステージが作れるエディットモードが搭載されており、ファミリーベーシック用のデータレコーダを使用することでデータを保存することも出来た。『チャンピオンシップロードランナー』の登場以降は、時間差や敵(他機種版では「盗賊」と呼称されているものもあるが、本作では「ロボット」と呼称された)の頭上渡りなどの技を多用する者も多くなり、様々な遊び方ができるため、ゲーム発売後何年も長く親しまれた。また、ハドソンが発売していたカセットテープ付き雑誌『カセットメディア』では、オリジナルステージの投稿を募集し、優秀作品を付録のカセットテープに収録するという試みも行われた。レンガを掘った穴が埋まる直前にもう一度掘ると透明になる、掘った穴の下のはしごからランナーが背中を向けて静止している状態で埋まるのを待つとそのレンガはすり抜けられるようになるなど様々なバグがあった。また最後の金塊を取る前にロボットをある数以上埋めると、その数により最後の金塊を取った時に様々なフルーツ型のボーナスアイテムが短い時間だけ最後から2番目に取った金塊の位置に出現する。ステージセレクト画面でセレクトボタンを押しながらAボタンを押すと、押した回数だけ速くなり、Bボタンだと遅くなるという、いわゆる『ゲームスピード調整』があった(スピード調整は説明書に記載されていた)。これらがファミコン特集番組などで紹介されていく過程で「バグ」や「裏技」という言葉が一般的になった。後発の『チャンピオンシップロードランナー』では上記の裏技の内のステージセレクト画面でセレクトボタンを押しながらAボタンまたはBボタンでの『ゲームスピード調整』以外は全て撤廃されたが、2006年に発売されたニンテンドーDS版ではこれらの裏技を再現できる設定がオプションで可能となっている。また2006年に発売されたニンテンドーDS版では先発版でのエディットモードが復刻されており、こちらは横28×縦13サイズまでの作成が可能(=横2画面サイズ×縦1画面サイズ)で、敵の配置数が最大5体までとなっている。掘ったレンガの復旧速度は先発版と後発版とで異なっている(先発版は若干速く埋まり、後発版では若干遅く埋まる)が、エディット版は全て先発版(=速く埋まる)を基準にしている。第2弾の『チャンピオンシップロードランナー』はオリジナル同様の画面構成(横28×縦16サイズ)を再現したが、その分今度は上下方向にも収まりきらなくなり、上下左右スクロールとなった(これに対する救済策として、本作ではポーズ中にスクロールさせて見渡すことができるようになっている)。本作では全ステージクリアしたプレイヤーに「チャンピオンカード」という認定証が贈られるキャンペーンが実施され話題となった(PC版でも各メーカー毎に実施されている)。毛利名人は、このキャンペーンの3,000人目の認定者となり、同社の広告に登場したのがきっかけで名人としての活動を開始することとなった。このゲームの主人公ランナー君が、かつては悪の手先として働かされていたロボット(グラフィックはこのゲームの敵キャラのもの)だったというスピンオフストーリーが、後の人気シリーズとなる『ボンバーマン』である。PCエンジン用に発売された『バトルロードランナー』では、ブラックボンバーマン(黒ボン)が敵役として登場する。また1991年10月4日には、当時ハドソンの創立20周年を記念してこのファミコン版が再版された。その際の広告にはお笑い芸人のダウンタウンが起用されていた。日本での累計出荷本数は110万本。
出典:wikipedia
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