長門 裕之(ながと ひろゆき、1934年1月10日 - 2011年5月21日)は、日本の俳優。本名は加藤 晃夫(かとう あきお)。妻は南田洋子、実弟津川雅彦、父は沢村国太郎、母はマキノ智子、叔父に加東大介、叔母に沢村貞子、祖父には「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、狂言作者の竹芝伝蔵、姪には真由子をもつという芸能一家で有名。沖縄アクターズスクール校長であるマキノ正幸は母方の従兄弟。南田との間に子供はいなかった。真由子からは「アーチー」(「晃夫おじさん」の意味)と呼ばれていた。京都府京都市中京区生まれ。花園高等学校卒業から立命館大学文学部中退。元阪神タイガース監督の吉田義男は同学年であり大学時代の同期だが、吉田も中退している。映画初出演は1940年の『続清水港』。第二次大戦前の少年期から名子役として広く知られた。学生時代は俳優を一時休業するが、戦後、映画製作を再開した日活に入社。太陽族映画の第一作となる『太陽の季節』に主演し、デビュー間もない石原裕次郎と共演したほか、今村昌平監督ともコンビを組み、印象深い演技を残し、「日活の看板スター」となった(が、この映画を機に一気に人気となった南田とは対照的に、津川や後輩の石原らに人気は奪われた)。1961年に南田と結婚、翌1962年に日活を退社してフリーとなる。1982年からはKBS京都が主催する交通遺児支援のチャリティー番組『かたつむり大作戦』のキャンペーンパーソナリティー(南田は1984年から参加)として2005年の同キャンペーン終了まで出演を続けたことでも知られる。同じ昭和9年(1934年)生まれの石原裕次郎、愛川欽也、大橋巨泉、財津一郎、坂上二郎、藤村俊二、睦五郎、森山周一郎らと「昭和九年会」を結成し、チャリティー事業などにも取り組んだ。1985年11月に『洋子へ』(データハウス)を出版。南田への告白という形で、自身の奔放な女性関係などを実名で赤裸々に記し、いわゆる暴露本として世を騒がせた。これに対し、実名を書かれた池内淳子などが強く反発した。長門(データハウス)側は初版を回収し、問題箇所を書き直した改訂版を出したうえ、池内に対しては新聞に謝罪広告を掲載した。長門は「ゴーストライターによる口述筆記だったため真意が伝わらなかった」などと弁明したが、南田とともにすべての出演番組とCMの降板を余儀なくされるなど、この騒動が以後の芸能活動に大きなダメージを与えた。ワイドショーの多数の取材を受け、「こんな本はダメです!」と自著を机に叩き付ける場面が繰り返し放映された。長年かけ復調し、おもにテレビドラマでの敵役や悪役を多くこなし、活躍した。晩年は「(浮気や、前記の著書で迷惑をかけた人々へのお詫びなどを含め)苦労をかけた洋子への恩返し」として認知症になった南田の介護に取り組みつつ、「リタイアした洋子(=南田)の分まで」と発起し、精力的に活動を行った。同時に、長年確執があったとされた津川との共演も増やし、津川がマキノ雅彦名義で監督を務めた作品にも出演した。2009年10月21日、妻・南田洋子がクモ膜下出血により76歳で死去した。倒れた前日に続き、当日も明治座での舞台公演後に記者会見を開き、「これからは女房のない世界に踏み出していきます。思い出の中で洋子は生きてますから。これは永遠のものです」「4年間、僕が介護することで、僕の人生をよみがえらせてくれて、人生観を変えてくれました」と涙を浮かべながら記者陣に対してコメントを述べた。亡くなる直前まで出演作品がコンスタントに放送されていたが、南田の死から1年7か月後の2011年5月21日午後5時20分、東京都文京区の順天堂医院で死去した。。同日夜に津川は病状について「肺炎をきっかけにした合併症であったが、前日は元気であった」と述べ、当日になって容体が急変したことを明かした。長門とはプライベートで60年来の旧友であった浅丘ルリ子も津川と駆けつけてマスコミの取材に応じた。長門の訃報を受けて、九年会メンバーで長年親交が深かった橘家圓蔵は「(玉置宏、坂上に続いて)どんどん仲間がいなくなっちゃう」と哀悼のコメントを発表した。この他にも『どんど晴れ』で共演した比嘉愛未が自らのブログで長門を悼むコメントを記し、『池中玄太80キロ』で共演した西田敏行が「玄太は泣いています」と語るなど、長門と縁のあった人々が哀悼のコメントを寄せた。長門・南田夫妻から実弟のように可愛がられて長年親交があった萩本欽一は、弔問に訪れた際「最高の先輩で、友達で、兄貴だった」と声を詰まらせながら話した。葬儀・告別式は5月24日、東京都港区の善福寺で津川が喪主を務めて営まれ、遺体は品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に付された。23日の通夜では中井貴一と笹野高史が、24日の葬儀・告別式では黒柳徹子と奥田瑛二が弔辞を読んだ。法名は「極芸院釋浄晃」(ごくげいいんしゃくじょうこう)。最後の映画出演作品は2010年10月9日公開の『青い青い空』。テレビドラマの遺作は亡くなる約2ヶ月前の2011年3月26日、NHK放送の 土曜時代劇『隠密八百八町』 最終話であった。以下は全て妻の南田と共演。
出典:wikipedia
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