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与那城町

与那城町(よなしろちょう)は沖縄県中頭郡に属していた町。町域の全ての島が海中道路や橋で結ばれている。与勝半島と平安座島を結ぶ全長4.7kmの海中道路はドライブコースとして人気のスポットである。2005年4月1日に具志川市、石川市、中頭郡勝連町と合併してうるま市になったため消滅した。町役場は屋慶名に置かれたが、1993年に現在地に移転するときに役場周辺を字名を「中央」とした。合併後はうるま市役所与那城庁舎となった。沖縄本島東海岸に突き出た与勝半島の北半分と4つの島(藪地島、平安座島、宮城島、伊計島)からなる。全ての島は海中道路や橋によって結ばれている。南は勝連町に接し、北は金武湾に面している。伊計島で1万年前の人の化石が発見され古くから人が住んでいたと思われる。近くに鹿の洞窟や仲原遺跡が復元されている。もともとは勝連間切だったが、1676年に分離し西原間切となったあと、平田間切、そして与那城(よなぐすく)間切となった。1896年の郡区制で中頭郡に編入したあと、1908年4月1日の島嶼町村制施行で与那城村(よなぐすくそん)となった。平安座島、宮城島、伊計島、藪地島は長らく離島で、復帰前は周辺海域も合わせて「与勝海上政府立公園」として指定されていた。しかし復帰直前の1970年代に入り、石油コンビナートが平安座島に建設。沖縄本島とは約5km離れていたが、干潮時にはそのまま歩いて渡れるため、そこに石油業者が海中道路を建設。僅か1ヶ月余りで完成した。海中道路は1960年代にも住民によって建設に動き出したものの、総工費が予算をオーバーしたため建設を断念した経緯がある。こうして海中道路で平安座島と結ばれた後、1974年には埋め立てで宮城島とつながり(完全につながったわけではなく、僅かな小橋で結ばれている)、1982年には伊計大橋が完成しついに伊計島とも結ばれた。完成当初は業者のものだった海中道路はのちに村道となったあと、1991年に県道に昇格した。昇格したのを機に海中道路の整備も始まり、1999年に現在の海中道路が完成した。また整備中の1997年には浜比嘉大橋が開通し、平安座島と勝連町の浜比嘉島と結ばれた。1994年1月1日に町に昇格し、呼び名を「よなぐすく」から「よなしろ」に変更された。その頃から隣の具志川市と勝連町との合併が浮上、最初は3市町での合併だったがのちに石川市が加わり、4市町の合併となった。そして2005年4月1日に具志川市・石川市・勝連町との合併で、うるま市となり与那城町は消滅した。合併後、住所は「中頭郡与那城町字○○」から旧町名の「与那城」がうるま市と字以下の集落名の間に付き、「うるま市与那城○○」となり、与那城と各集落の間に「字」はつけない。但し、与那城地区は字名と旧町名が同じであるため「与那城」を重ねずに「うるま市与那城」となる。本島内は旧町内にある屋慶名バスターミナルから具志川・コザとを結び、61番と227番を除いては那覇バスターミナルとを結んでいる。また127番の屋慶名(高速)線はコザを経由した後沖縄自動車道で那覇市内へ向かう。

出典:wikipedia

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