LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

ニューオーリンズ級重巡洋艦

ニューオーリンズ級重巡洋艦(ニューオーリンズきゅう じゅうじゅんようかん、New Orleans class Heavy Cruisers)は、アメリカ海軍の巡洋艦の艦級。ニューオーリンズよりアストリアが先に竣工したため、アストリア級重巡洋艦(Astoria class)とも呼ばれる。ポートランド級に続く条約型重巡洋艦で、ロンドン軍縮条約の締結後に建造を始めた重巡洋艦の第二弾。広義の意味で条約型重巡洋艦と見れば第四弾にあたる。1929年度計画で3隻、1930年に2隻、1933年に2隻の計7隻が計画され、1930年から1937年にかけて進水、竣工した。ニューオーリンズのみ起工時は軽巡洋艦だったが、建造中に重巡洋艦に類別を変更された。アストリア以降は最初から重巡洋艦として建造される。ポートランド級と同じく55口径8インチ3連装砲3基、25口径5インチ単装砲8基の武装や船首楼型二本煙突の構造だが、乾舷を低くして船首楼を艦尾方向へ延長することで居住性と復元性が改善された。また、煙突に挟まれる格好であった艦載機設備を、二本煙突の間隔を狭めて煙突と後楼の間に設けたので設備の拡張に繋がった。船体の寸法も若干縮小し、艦橋や構造も縮小化したので区画防御の観点から防御力は前ポートランド級を凌ぐとされ、アメリカ海軍最後の船首楼型巡洋艦なだけに完成度は高い。しかし、その代償として機関砲や機関銃が減り、対空戦闘能力は低下した。太平洋戦争の開戦後、タスカルーサを除いて太平洋戦線で戦い、珊瑚海海戦、ミッドウェー海戦に参加した艦がある。第一次ソロモン海戦(米呼称、サボ島沖海戦)では、ガタルカナル島沖の北側で哨戒任務中に突入してきた日本第八艦隊の攻撃でアストリア、クインシー、ヴィンセンスの姉妹艦3隻が揃って大破し、日本海軍の強力な魚雷の命中により防御力を生かせずサボ島沖で撃沈された。ニューオーリンズ、ミネアポリス、サンフランシスコの3隻もルンガ沖夜戦(米呼称、タサファロンガ沖海戦)に揃って参加し、日本海軍の第二水雷戦隊をレーダーで早期に探知して警戒艦の駆逐艦1隻に集中砲火を浴びせた。しかし、日本艦隊の放った魚雷がニューオーリンズに1本、ミネアポリスに2本命中し、大破してしまった。この時、南太平洋海戦で日本海軍は母艦航空戦力を喪失して後退し、ソロモン近海の制空権は連合軍側が握っていたため2隻は離脱に成功した。ニューオーリンズはシドニーで応急修理の後、本国アメリカのピュージェット・サウンド海軍造船所で本格的修理を行い、ミネアポリスはツラギ島沖で応急修理の後、ニューカレドニアのマレ島沖で修理が行われた。一方的に被害を受けていたニューオーリンズ級だが、日本軍は翌月にガタルカナルからの撤退を決定するなど、戦略的に見れば当級の働きは無駄ではなく、奇跡的に深い傷を負わなかったサンフランシスコはアッツ・キスカ攻略に参加し、ギルバート・マーシャル諸島攻略、マリアナ諸島攻略、レイテ島上陸支援には損傷を復旧したニューオーリンズ、ミネアポリスが加わった。タスカルーサは船団護衛やトーチ作戦、オーバーロード作戦などに参加した後、オーバーホールのためドックに入り、1945年には太平洋戦線に転戦し、サンフランシスコと共に硫黄島攻略に参加した。沖縄諸島攻略には残存艦の全てが参加した。終戦後は哨戒任務や復員の支援に従事し1947年に退役、保管船となった。緒戦から水上戦闘部隊の中核として存在感を示したニューオーリンズ級だったが、ボルチモア級重巡洋艦のように朝鮮戦争やベトナム戦争に駆りだされることなく1959年に廃棄された。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。