月岡温泉(つきおかおんせん)は、新潟県新発田市にある温泉。にっぽんの温泉100選ランキングでは、毎年20位前後に選ばれる新潟県を代表する温泉地。旅行新聞新社主催のプロが選ぶ日本のホテル・旅館100選で毎年上位に選出される日本を代表する大旅館から、日本最大級の宿泊予約サイト“楽天トラベル”からアワードやマイスターに選ばれた旅館、観劇やプロレスなどを開催する旅館、昔ながらの湯治を楽しめる旅館まで大小20前後の旅館があり、さまざまな楽しみ方が出来る温泉地。2014年には開湯100年を迎え、さまざまな催しが開催された。近年は観光協会を中心としたものから、各旅館や商店が行うものまで「町おこし」が盛んになっている。温泉街には、昔ながらの饅頭屋や酒屋のほか、寿司屋、居酒屋など様々な店舗が軒を連ねる。開湯100年に合わせて、高級な新潟地酒を楽しめる「蔵 KURA」や、乾物などを扱う「旨 umami」がオープン。その他にも飲泉が出来る「源泉の杜」や、無料の「足湯」などもある。美肌に対する効能があるとされる。磐梯熱海温泉、いわき湯本温泉とともに「磐越三美人湯」に数えられる。硫黄成分濃度の高さで知られ、その含有量は万座温泉に次ぐ日本で2番目の含有量である。硫黄泉としては珍しい弱アルカリ性であり、肌に優しい硫黄泉として多くの女性から親しまれてきた。また、塩化物温泉らしく温熱効果が高く、湯冷めにくい温泉として健康増進にも効果が高いとされている。
硫黄泉への入浴は、皮膚に効果的に働きかけ色白になる可能性も含み、入浴後、肌がつるつるになる事から「美人になれる温泉」と称されるようになる。入浴剤と間違われるほど美しいエメラルドグリーン色を呈しているが、季節や天気などの気象条件により乳白色などに色が変化する場合もある。昔人は湯色を見て、翌日の天気を予想したと言われる。大正4年(1915年)に開湯。
現在の「月岡温泉発祥ノ地」の石碑付近の石油掘削中の井戸から50度を超える湯が湧き出した。本間周三郎氏がそこに共同浴場を建てたのが月岡温泉の始まりと言われている。共同浴場の隣に「青木館」が湯治宿を開業、続いて「浪花屋」をはじめとする湯治宿が数多く立ち並び、併せて「新喜久屋」などの自炊の為の商店も現れた(「旧湯」と称する)。大正末~昭和初期に新しく温泉を掘り当て、現在の足湯付近に二階建ての共同浴場を中心とする新湯温泉団地が整備される(「新湯」と称する)。従来の旧湯と併せて湯治場としての月岡温泉が出来上がる。その後、近代的温泉地としての発展に向け豊富な湯量を求め掘削を進め、昭和32年、それまで1つだった内湯旅館を、25の旅館を内湯完備とした。昭和61年には全旅館が内湯完備となる。昭和34年、現在のホテル華鳳付近に「月岡ヘルスセンター」と県内初の動物園「行楽苑」がオープン。その後「月岡ランド(大動植物園)と月岡ヘルスセンター」と改称した。園内のグリーンステージでは、多くの著名な歌手が歌い、山口百恵やドリフターズなども出演し活況を呈し、新潟県内外から来る多くの家族連れで賑わうようになる。現在でも唄われている「月岡小唄」や「月岡よさこい」は、この頃作られ、昭和初期より集まり始めた芸妓の数も昭和50年代には150名を超えた。上越新幹線や高速道路の開通に合わせて「大越後かかしの祭典」など、様々な観光イベントが催され、団体旅行ブームもあり、平成10年度には年間入込数が78.5万人と月岡温泉開湯以降最大となる。その後、団体旅行から個人旅行へ旅行志向も変化し、入込数は減少する。増加する個人旅行客へ向け、新潟県内の全酒蔵の酒が楽しめる「越後の酒天湯子」や「恋人の聖地プロジェクト」などを開催。「足湯広場」「石畳通り」の整備などの事業も進められている。近年では「世界の鍋グランプリ」や「SPA SONIC」なども開催されている。【公共交通】【車】
出典:wikipedia
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