コロンボ一家(コロンボいっか、Colombo (crime) family)は、アメリカニューヨークマフィア(コーサ・ノストラ)の犯罪組織のひとつ。ラッキー・ルチアーノがニューヨークマフィアを五大ファミリーに再編したときのジョセフ・プロファチ(ザ・オールドマン)をボスとするファミリーを母体とし、名前の由来は、1960年代から1970年代にボスとして君臨したジョー・コロンボから来ている。シチリアのパレルモ近郊出身のプロファチが1920年代に一家を興したと考えられてきたが、1900年代からすでにニューヨークにはパレルモルーツのマフィアの派閥がいくつも存在し、プロファチはその派閥を引き継いだのではないかという指摘がされている。1925年、プロファチはシカゴでパン屋を開いたが失敗し、いったんシチリアに帰国した後、1927年にニューヨークでオリーヴオイルの輸入業を始めた。翌1928年、全米のシチリアマフィアが集結したクリーヴランド会議に、ヴィンセント・マンガーノらと共に参加し、フランキー・イェールの縄張りの分割やアルコール密輸の隠れ蓑だったシチリア同盟の問題を話し合った。プロファチはイェール組織の縄張りを一部乗っ取り、またその組織の残党を吸収した。これにより非シチリア系のカラブリア閥が一家に流入した。その後スタテン島やマンハッタンにも進出し、縄張りを拡大した。1930年のジョー・マッセリアとサルヴァトーレ・マランツァーノの抗争(カステランマレーゼ戦争)ではマランツァーノを支持した(ボナンノ自伝はプロファチは中立だったとしている)。1931年戦争に勝ったマランツァーノにより五大ファミリーの1つとして認められた。同年マランツァーノを暗殺したラッキー・ルチアーノの五大ファミリー再編でも独立したファミリーとして追認された。プロファチは以後ボスとして30年以上に渡り一家を支配した。メンバーに厳しい上納金を課し、反逆者を容赦なく粛清するなど独裁者として振る舞った。一家は、アルコール密輸、ヤミ賭博、高利貸し、組合強請、麻薬などの非合法活動を展開した。1956年、プロファチはジョゼフ・ボナンノと姻戚関係を結び、連携を強化してカルロ・ガンビーノ-トーマス・ルッケーゼのコンビに対抗した。1959年、上納金問題から一家のジョーイ・ギャロが反乱を起こし、一家は幹部を中心とするプロファチ陣営とギャロ陣営に分かれて内部抗争に発展した。プロファチは1962年に病死するまで抗争に悩まされた。ギャロの反乱はガンビーノが裏で糸を引いていたとする説がある。プロファチが死ぬと、いとこのジョー・マリオッコが後を継いだが、マリオッコはボナンノと共に、ルッケーゼ、ガンビーノ、ステファノ・マガディーノの三人のボスを暗殺してニューヨークマフィアの実権を握ろうとした。しかしマリオッコの部下のジョー・コロンボが密告したために計画は失敗した(暗殺計画自体ガンビーノのでっち上げで、そんな計画は元から無かったとする説もある)。マリオッコはショックでまもなく病死し、ボナンノは後に誘拐され、ボスの座から滑り落ちることとなった。ルッケーゼ、ガンビーノらはその見返りにコロンボをボスの座につけた。コロンボは、イタリア系アメリカ人の権利擁護を求めて市民運動を展開したが、警察やFBIの恨みを買うことを恐れた他のファミリーは運動を中止するように警告した。しかしコロンボは従わず、正体不明の黒人のガンマンに銃撃され、植物人間となってボスの座を失った(そのまま彼は7年後に死亡)。犯人については、当時ファミリー内の反乱分子であったジョーイ・ギャロが差し向けたものとする説が一般的であるが、黒幕は当時ニューヨーク最強のガンビーノ一家のボスのカルロ・ガンビーノであるとする説もある。その後のドンの中では、『ゴッドファーザー』のソニー役でも有名なジェームズ・カーンと親しかったカーマイン・"ザ・スネーク"・ペルシコ(現在懲役100年で服役中)と息子のアルフォンス・"リトル・アリー・ボーイ"・ペルシコ(終身刑で服役中)などが有名。現在でも、獄中からパーシコ親子がボス及びボス代行として一家を統治している。
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。