小千谷市(おぢやし)は、新潟県中越地方西部に位置する市である。長岡市への通勤率は19.4%(平成22年国勢調査)。新潟県のほぼ中央、越後平野の南端にあり、中越地方に属している。隣接する十日町市とともに、魚沼地域の中ではいち早く市制施行し(昭和の大合併時)、国や県の出先機関が置かれるなど、主に北魚沼地域の行政・経済の中心として発展してきた。現在、都市圏では長岡都市圏に属しており、長岡市のベッドタウンの機能も有している。信濃川の河岸段丘上(特に旭橋を中心とした信濃川両岸)に中心市街地が発達してきたほか、北部の片貝地区においても小規模な市街地が形成されている。1990年代に入ってからは店舗の郊外化が顕著となり、2000年代以降は信濃川を挟んで西側地域の郊外が商業地域として機能しつつある。市名の「小千谷」は、千谷郷の中にある小千谷に由来する説や、沢の落ち合う所や低湿地という意味の「落ち」が転じて「おぢ」となった説がある。毎年9月に片貝地区で行われる浅原神社例大祭(片貝まつり)の花火大会は、世界一の大きさを誇る四尺玉の花火が上がることで有名である。新潟県中部、越後平野と山間地域の接点に位置する。南から信濃川が市内に入り、山本山にぶつかり蛇行し、一度南東の長岡市川口地区へ抜け魚野川と合流した後、再び市内に入り中心部を南北へ縦断する。西は頚城丘陵へ続く西山丘陵、南は魚沼丘陵へ、東は東山丘陵、北は越後平野へ続く平地が広がっている。市内は河岸段丘上にあるため、坂が多く、市街地のほぼ中央には船岡山がそびえる。また、小千谷近辺は山本山を中心に地面の隆起や褶曲が激しく、河岸段丘など特徴的な地形が多くみられる。市内の最高峰は、長岡市との境にある金倉山で581m。三国街道(現国道17号)や善光寺街道(現国道117号)、高田街道などが通り、宿場町として栄えた。平野部と山間部の接点の役割を持ち、戦国時代には上杉謙信の関東出兵時の経由地、江戸時代には魚沼郡内で作られた小千谷縮は小千谷に集積され柏崎経由で京、大坂、江戸に輸送した記録があるなど、交通・水運の要所として栄えた。特別豪雪地帯であり、記録的な豪雪を何度も経験している。市は克雪都市宣言をしている。消雪パイプも設置されているが、設置されていない道路もあり、雪の日は除雪車が活躍している。都市宣言 ユキワ精工、日本ベアリング、理研精機、第一測範製作所、TECH海発 かつては片倉工業が製糸場や工場を開設していた。 越後製菓の工場所在地⇒米菓だけでなく餅や製麺工場もある。(創業者の出身地のため。本社は北隣の長岡市に。)このおかげ市内の多くの地域に都市ガスが引かれ、その供給事業を小千谷市ガス水道局が行っている。 発電所はないが、東京電力の信濃川電力所所在地である。 (小千谷市に本店(※印)、支店を置くもの。証券会社、保険会社等を除く。)※平成28年4月に統合予定市域はJR上越新幹線の沿線だが、市内に駅はない。市域はほとんどの区間が魚沼トンネル、妙見トンネルで通過しており、浦柄地区に数百メートルだけ地上区間があるがスノーシェルターで覆われているため新幹線の車窓から小千谷市の風景は見えない。新幹線を利用する場合は越後湯沢駅、浦佐駅、長岡駅のいずれかで乗り換える。市域はJR上越線の沿線となっている。また南部はJR飯山線の沿線となっており、市内には計3つの駅がある。西小千谷駅からJR信濃川発電所への資材運搬専用線、さらには十日町市千手方面まで延伸する計画があり、一部線路が敷設されたが、関東大震災などの影響によって中止になった。ちぢみの里~市役所~サンラック線(北越後観光バス)小千谷車庫、小千谷駅前、小千谷インター、上ノ山等を起点に、長岡、十日町、小出、小国方面に運行している。以前は山古志方面にも運行していたが利用者減により区間廃止となり、岩間木にて山古志コミュニティバス「クローバーバス」へ乗り換える必要がある。長岡方面は主に朝、夜は約20分から30分間隔、昼間は約30分~60分間隔で運行している。(一部昼間に2時間空く時間帯がある)長岡方面、十日町方面(岩沢経由)は越後交通、小出方面は南越後観光バス、それ以外の路線は北越後観光バスが運行している。また、南部では長岡市(川口地区)との市境近くにある越後川口IC、片貝地区では長岡市の長岡南越路SICが最寄りである。小千谷市指定文化財一覧も参照。
出典:wikipedia
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