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大和ヒロシ

大和 ヒロシ(やまと ヒロシ、1983年10月20日 - )は、日本の男性プロレスラーである。WRESTLE-1所属。千葉県君津市出身。東京農業大学卒業。身長177cm、体重82kg。イメージカラー白。以前は黄色とオレンジ。小学校3年生時に町内の少林寺拳法道場に入門、中学時代はバスケットボールとサッカーに励み、高校から大学まではレスリング部で活躍。君津青葉高校3年生のときに千葉県高校総体で85キロ級優勝、その年の国体ではグレコローマンでベスト16入り。大学時にはJOC杯ジュニアオリンピック76kg級で3位の成績を上げている。2006年に行われた『武藤塾』の新人オーディションに合格し入門。合格ラインはギリギリであったが、自己アピールで得意の滝口順平といっこく堂のモノマネを披露し、それが合格の決め手となった。「大学時代にバイトで綿あめ売りをしていた時に、余興でやっていたものまねが役に立った」。2007年2月に、同期入門のKAIと共にメキシコ修行に出る。2月22日に、IWRGにてYAMATOのリングネームでデビュー。KAIとのタッグで見事に初試合で初勝利を挙げている。ちなみに本人は試合中に記憶が飛び、気づくと控え室にいてKAIから試合が終わったという事実を聞いたという。6月3日、KAI、元SUPER CREWのSASAKIと組んでIWRGトリオのタイトルに挑戦するも破れる。7月26日メキシコシティにて、30人で争ったREY DEL RING王座を奪取。デビュー5か月で早くも初タイトルを獲得した。現地時間の8月5日初の王座防衛に成功した。2008年2月17日の後楽園大会で『大和ヒロシ』のリングネームで日本デビュー戦を行い、同期の真田&T28から勝利を奪った(パートナーはKAI)その後、KAIとのタッグでジュニア・タッグリーグ戦に出場。若手ながらも奮闘し、土方隆司、中嶋勝彦組、NOSAWA論外、MAZADA組から大金星をあげる。5月シリーズから怪我のため欠場していたが、7月20日の後楽園ホールにて、真田聖也と組み、土方隆司、征矢学と復帰戦を行った。結果は土方に負け、「3か月は埋められなかった」と発言し、ジュニア・ヘビー級リーグ戦へエントリーされなかった悔しさを露にした。そして、「またイチからやりなおしたい」と語った。8月22日、後楽園での小島聡対TARU戦終了後、VOODOO-MURDERSにリンチされていた小島を天山広吉、KAIと共に救出。小島、KAIと新ユニット「F4」を結成し活動して行く事を宣言した。また、10月13日、新日本プロレスの両国大会に参戦。G・B・Hと対戦するが惜しくも敗れる。11月3日、F4として天山、NO LIMITと対戦。結果は負けてしまうも対戦相手を何度も苦しめるなど、キャリアの差を感じさせない攻防を見せた。その後もF4の一員として奮闘している。2009年11月23日、カズ・ハヤシ、近藤修司とのタッグマッチに相棒のKAIと組んで挑む。結果は、グラウンドコブラツイストでカズ・ハヤシからピンフォール勝ち。最強タッグ最中でジュニアヘビーの選手にはテーマが無いと思われた中、先の神戸大会でぶちあげた世代交代の波にいち早く乗りつけた。しかしその後は勝利に恵まれず、結果世界ジュニアの挑戦権を渕正信に奪われてしまう形をなった。それから大幅な肉体改造に着手。努力の甲斐あって12kgの減量に成功し「バキバキ」ボディを手に入れた。2010年、新春シャイニングシリーズ2日目のジュニアヘビー級バトルロイヤルで優勝。試合後世界ジュニア王座挑戦を表明すると、これをカズが承諾。最終戦での王座挑戦が決まった。その王座戦では、戦前に王者カズから『最低の挑戦者』等と罵られていたが、前哨戦、そして本番と王者はおろか観客まで熱狂の渦に巻き込むファイトを展開。観客の熱狂ぶりは、静岡県浜松市浜北区の浜北体育館の感振器を、地震による誤作動させるまでに至った。2010年2月、F4がブードゥー・マーダーズとの解散マッチに敗れたためユニット解散。2010年4月の世界ジュニアヘビー級王座戦(カズ・ハヤシ対BUSHI)の直後、それまでタッグを組んでいたKAIとの決別を宣言。張り手一閃の後、近藤修司とのタッグを組む。その年のジュニア・タッグリーグ戦では決勝戦まで勝ち進むも、BUSHI、スペル・クレイジー組に敗北し準優勝。かつて近藤の盟友であった、"brother"YASSHIのようなコンビプレーを見せ、当の近藤から『人間凶器』と呼ばれる。また、このタッグで7・1酒田大会ではTARU&ビッグ・ダディ・ブードゥーのアジアタッグ王座にも挑戦している。8月シリーズでは、またもVMとの敗者チームキャプテン髪切りマッチに敗北し、坊主頭となった。2011年1月23日、結婚していたことを武藤敬司に暴露された。1月24日、CSスポーツ放送局GAORAスーパーファイトにて、DRAGON GATE所属のYAMATOとシングルマッチを組まれる。結果は敗北したが、何故か試合前に鼻血を流すなど、相当のインパクトを他団体ファンもいる中残した。2011年8月13日、後楽園ホールにてKAIの持つ世界ジュニア王座に挑戦。20分を超える死闘を演じたが、王座奪取はならなかった。10月、佐藤光留と三番勝負で2勝1敗で勝ち越す。2012年は、佐藤光留とタッグを組みジュニア・タッグリーグ戦に出場。7月、JUNIOR HYPER LEAGUEの決勝に進出し、師匠の近藤修司を下し初優勝。次シリーズ開幕戦の後楽園ホールで王者のKAIを倒して、第33代世界ジュニアヘビー級王者となる。しかし、2013年1月2日後楽園ホール大会において、近藤修司が保持するGHCジュニアヘビー級王座とのダブルタイトルマッチに敗れた。2013年6月30日の両国国技館大会を最後に、全日本プロレスを退団した。その後、WRESTLE-1旗揚げに参加。スケスケのガウンと大和本人が歌いながら入場する「進み続ける限り」でブレイク中。2014年7月6日、両国国技館にてレオン・ヴァン・ガステレンの持つEWPインターコンチネンタル王座に挑戦。3分12Rという変則ルールに苦しみながらも、見事王者を下し王座を獲得。10月26日、ベストフィジーク・ジャパン&ベストビキニ・ジャパン東日本大会で3位入賞。12月13日に全国大会に出場する。2015年よりストリートミュージシャンとしても活動することを発表。2016年1月10日、アンディ・ウーの持つWRESTLE-1クルーザーディビジョン王座に挑戦し勝利。WRESTLE-1では初のタイトル奪取となる。同王座に挑戦するため612名の署名を集めた。

出典:wikipedia

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