岩手日報(いわてにっぽう)は、岩手日報社(岩手県盛岡市)発行の日刊新聞で現在の発行部数は21万部。岩手県ではシェア1位の新聞紙である。本稿では岩手日報の発行母体である岩手日報社についても併記する。岩手県の県庁所在地、盛岡市に本社を置き、岩手県を中心に、八戸市(青森県)や気仙沼市(宮城県)周辺も守備範囲とし、取材・配布の対象としている。岩手県では事実上の「県紙」であり、全国紙をはじめとした他紙を圧倒し、多くの家庭、職場で購読されている。以前は朝・夕刊セットであったが、現在は朝刊のみ発行している(後述)。県内で加盟する記者クラブは岩手県政記者クラブ、岩手県警記者クラブ、岩手県教育記者クラブ、岩手県経済記者クラブ、盛岡市政記者クラブほか。盛岡市に本社を置く放送局とはそれぞれ結びつきがあるが、とくにIBC岩手放送は同社創立時から強力なパートナーシップを築いている。岩手郡岩手町、紫波郡紫波町、花巻市、北上市、奥州市、一関市千厩町、陸前高田市、大船渡市、釜石市、遠野市、宮古市、久慈市、九戸郡洋野町、二戸市、八幡平市岩手県内を主要販売エリアとするほか東京都中央区など、宮城県気仙沼市、秋田県鹿角市、青森県青森市、八戸市の一部では直接配達を行う。トップニュースを紹介する一面、国内外・県内主要記事、社説欄『論説』を掲載する「総合」、「国際」「経済」「株式」「オピニオン」「スポーツ」「暮らし」「文化」「社会」「番組」の各面がある。県内ニュースについては、政経関連の重要なものは「総合」に掲載し、それ以外の「催し」「町の出来事」等については、「地域」面に掲載。2014年現在は「盛岡・県北」「県南」「沿岸」に分けている。ほか、東日本大震災関連ニュースや被災者向け情報を集約し、「特集」面として1ページを割いている。主要なコーナーとしては一面コラム「風土計」、いわゆる社説の「論説」、話題の中心人物のコメントを紹介する「アンテナ」、自治体のイベントを紹介する「町から村から」などがある。市町村議会については、議事の要旨が掲載される。題字は「岩手日報」の縦書きで、旧来から変わっていない。なお震災以降、「一歩一歩 ともに」のフレーズが1面下部に掲載されている。2010年5月11日付の朝刊1面に「(2010年)6月30日付を以て夕刊を休刊し、翌7月1日より朝刊のみの発行とさせて頂きます」旨の社告記事を掲載。理由を「景気低迷による新聞広告収入減で発行部数が落ち込み、配送・販売・配達コスト削減の必要に迫られた事。インターネット及び携帯電話の普及や県民の情報生活の変化」としている(夕刊紙面の大部分を朝刊に吸収合併させ朝刊のページ数を現行より増やす)。社告通り、6月30日付を最後に夕刊は休刊となり、7月1日より朝刊の店頭売価は110円から130円に改定された。夕刊に掲載されていた芸能記事、文化関連記事、投稿コーナー、映画館情報などはすべて朝刊に移行している。岩手県内各局のテレビ番組表は、最終面に「番組」面として掲載。一番左端からIBCテレビ・テレビ岩手・岩手めんこいテレビ・岩手朝日テレビ・NHK盛岡総合・Eテレの順(民放はアナログ開局順)でフルサイズ掲載。県内民放でもっとも関係の深いIBC岩手放送を先頭とするため、NHKは右に寄せられている。NHK BS1・BSプレミアムの番組表はその右側にハーフサイズで掲載される。このほか、県内地上波の番組解説、芸能記事が掲載される。2014年4月から番組表に色づけ広告が導入されている。番組面(サブ)紙面中ほどにあり、下記の番組表と、芸能記事、ラジオ・BSデジタルの番組解説もあわせて掲載。表紙は話題のテレビ番組から出演タレントをピックアップし紹介。
また、同ガイドには注目の番組紹介のほか、県内の催事、映画、ファッション、グルメ、旅行、美容、住まい、健康、占いなど多彩な話題や地域に密着した暮らしの最新情報も掲載。
2010年9月24日創刊。「NOT GLOBAL BUT PERSONAL」をコンセプトとした個人向け記念号外発行サービス。2010年7月11日サービス提供開始。有料でA3版両面フルカラー紙面と紙面データをユーザーに発行する。個人のお祝い事である結婚、出産、誕生日、七五三、還暦などをニュースとし、表面をオメデトウ号外、裏面をその記念日の岩手日報本紙一面で構成。お祝い事の喜びを高め、また数年後に振り返ったときにその日の出来事とともに自分自身のニュースを振り返ることができる。結婚式でのサプライズや知人への贈り物などに利用される場合もある。結婚版では、結婚式当日の岩手日報本紙に「今日の新郎新婦」として、新郎新婦の名前が掲載される(本人の承諾が取れた場合のみ)。料金は結婚版が21,000円から。出産版、誕生日版などは3,340円から。本サービスは、カンヌライオンズ2011メディア部門に於いて金賞を受賞した《当該催事への出品にあたっては、博報堂DYメディアパートナーズが広告制作を受け持っている》。「岩(巌)手日報」という名前の新聞は1897年にまでさかのぼるが、昭和初期、それまで新聞社を支配していた金融機関が破綻したことで、主として編集サイドから「新聞人による新聞」を望む声が上がり、社内対立から解雇された彼らが、1938年に新たに起こした会社が、今日につながる岩手日報社となった。このため、1937年以前の岩(巌)手日報社は、資本上は今の会社とはつながりがない。同社では1945年10月から1947年1月にかけて、当時盛岡市に駐留していた米軍を主な読者とした英字紙『SHIN IWATE NIPPO』を発行していた。数日おきの不定期刊で、通巻は93号、発行形態はタブロイド版4ページ。駐留米軍の部隊の中に米国の新聞社主の息子が中尉として赴任していたことから、その中尉を中心に編集を行っていたという。同社では英字紙の発行を行うことで、当時配給制だった新聞用紙の割り当てで優位に立つことを狙ったものとされる。現在は同社本社に製本されたものが1部、国立国会図書館にマイクロフィルムが保存されている。また2015年1月には元同社記者の遺品の中から創刊号〜50号までが見つかったと報じられた。
出典:wikipedia
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