ドーハ(英語:Doha、アラビア語:الدوحة al-Dawha)は、カタールの首都。カタール半島東海岸のペルシア湾に面した港町で、同国最大の都市。また、同国を構成する基礎自治体のひとつである。中東有数の世界都市でもある。人口は1,312,947人(2013年)で、カタールの人口の60%がドーハ都市圏に住んでいる。町は1825年に「アル・ビーダ (Al-Bida)」という名で設立された。後のダーハの市名は、アラビア語で「大きな木」の意味で、カタール半島の東海岸の漁村(今日のドーハの元になった)にあった大木に由来する。1825年、アブダビに支援されたバーレーンとの戦争で、新しい町は大きな損害を受けた。その翌年、オスマン帝国はサーニー・ビン・ムハンマドをシェイク(シャイフ)に任命、後にカタールの首長(ハキム)になる。1882年には市の南西部に砦が建設され、その翌年にはオスマン帝国との武力衝突に勝利した。1916年にはイギリスのカタール保護領の首都となった。1917年、アブドゥッラー・ビン・ジャースィム・アール=サーニーによって市の中心部に要塞が築かれた。20世紀初頭まで真珠と漁業が主な産業であったが、1930年代に日本で真珠の養殖が開発されると、カタールの真珠産業は壊滅、不況で飢餓まで起こった。1949年より石油の輸出を行うようになり、1971年には独立に伴い、カタールの首都となった。1996年には衛星テレビ局アルジャジーラが放送を開始した。2001年には世界貿易機関 (WTO) の第4回閣僚会議が行われ、ドーハ宣言が採択された(ドーハラウンド)。2006年にはアジア競技大会が過去最大の規模で開催された。外国人が大多数で、特にインド、パキスタン、バングラデシュ、フィリピンからの労働者が多い。レバント諸国や北アフリカからも多い。現在ではカタールの市民権を有さないものでもドーハに不動産を購入できるようになった。そのため、人口が急増中で、毎月、1万を優に越える人口増加が起きており、住宅不足が深刻な問題になっている。砂漠気候に属し、6月から8月の平均最高気温は40°Cを越える。カタール経済の中心であるドーハの主な産業は石油産業と天然ガス産業である。カタール最大の石油「カタール石油 (Qatar Petrolium)」、ガス会社ラスガスなど、多くの会社がドーハに本社を持つ。カタール政府は石油ガス依存からの脱却を目指し、産業の多角化を奨励している。その結果、首長ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー本人による都市近代化事業が進んでいる。ドーハはアラブ首長国連邦のドバイのように観光産業が主眼ではなく、文化・教育・放送面に力を入れている。市内各地で大型開発が行われている。主なものは、ドーハには1973年創立のカタール大学 (University of Qatar) がある。エデュケーション・シティーという地域には、カタール大学を含む多くの大学がキャンパスを持つ。ジョージタウン大学やカーネギーメロン大学等のアメリカの6つの有名大学もここにキャンパスを持つ。また研究機関も集積している。またドーハには海外駐在員の子女の教育のためのインターナショナル・スクールも多い。教育はカタール政府が大変力を入れている分野で、エデュケーション・シティーを運営するカタール財団が設立されている。カタールの衛星テレビ局アルジャジーラの本社がある。
出典:wikipedia
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