田尾 和俊(たお かずとし、1956年1月20日 - )は麺通団の団長であり、出版社ホットカプセルの元社長。四国学院大学教授。株式会社タウン情報全国ネットワーク取締役副社長。「讃岐うどんで遊ぶ人」を自称している(一般的に見るとそれは「評論家」「フードライター」と呼ばれる類の活動であるが、本人は「俺は讃岐うどん(店)で遊ぶ人や」と「評論家」扱いされる事を嫌い、明確に否定している)。吉本興業所属(マネジメント契約)。社長退陣(=株式会社ホットカプセル退社)後は同社の顧問を1年間務めた。讃岐うどんに関する『恐るべきさぬきうどん』シリーズの著者。香川県内の街(特にうどん屋)で見かけられると「ほれほれ、あの、テレビに出とる、うどんの人や」と声をかけられる。逆に、うどん屋以外の飲食店(例えば回転寿司、焼肉など)で見かけられると「あんたうどん以外のもんも食べるんな?」的なことを言われるらしい。1989年よりうどん店探訪記「ゲリラうどん通ごっこ」(略称「ゲリ通」)の連載をはじめる。高松市の「中北うどん」を訪れた時の感動から「針の穴場」を見つけることに時間を費やすようになり、今では全国的に有名になった「山越」「なかむら」などのディープなうどん店を次々と誌面で紹介する。愛称は「団長」の他に「編集牛(へんしゅうぎゅう)」「社牛(しゃぎゅう)」「無牛(むぎゅう)」「教牛(きょうぎゅう)」)」「吉牛(よしぎゅう)」など。また、シンプルに「長(ちょう)」もある。「団長」の愛称は麺通団から。「~牛」の愛称は、編集長就任当時、田尾の社員から呼ばれていたあだ名が「牛」(理由は月間タウン情報かがわの巻末の編集者イラストを書いた中村博文と電話で打ち合わせしていた時、特徴を聞かれ「目が離れて」など何点か挙げた所、「そら牛ですがな」と返された事に由来)であった事から、編集部に遊びに来ていた『タウン情報かがわ』の愛読者より名付けられたもの。同誌の各コーナー(笑いの文化人講座など)にコメントを寄せる時などに使われていた。ちなみに当然のことながら「編集牛」は編集長時の「社牛」は社長となった時の、「無牛」はホットカプセル退社後の、「吉牛」は吉本興業所属となった時の、「教牛」は四国学院大学に招聘されて教授に就任した時の愛称である。同社では専務の職にあった時期もあり、当然「専牛(せんぎゅう)」と呼ばれていた時期もあった(常務は飛ばして役付きは専務から)。また、社長を退職したときには「株牛(かぶうし)」とも呼ばれていたらしい。他には四国新聞のコラムに「和牛」と名乗って寄稿していた事もある。また、この時代にタウン誌における編集の基本と呼ばれていた投稿読者と編集者の言葉のやり取りの方法論である2WAYコミュニケーションの理論をさらに発展させ、投稿読者・編集者の他に投稿していない読者(潜在的読者)を巻き込んだ3WAYコミュニケーションの理論を確立させた。これは現在に至るまで田尾のマスコミ論の基礎となった。
出典:wikipedia
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