本郷(ほんごう)は、東京都文京区の町名。または旧東京市本郷区の範囲を指す地域名である。東京都文京区のおよそ東半分を範囲とし、江戸・東京の山手を構成している地域のひとつである。本郷は芝・麻布・赤坂・四谷・牛込・小石川と並ぶ、東京山手の外郭をなすエリアである。概ね東京旧市内で低地に比べ高台を多く占める旧区分を山手としている。そのため旧本郷区に属する本郷地域は山手にあたる。小石川区との合併後も住居表示実施以前は「本郷○○町」と旧本郷区内大半の町が本郷を冠称していた。現在は町会、警察署や消防署、税務署等の管轄などで当時の区境や町境を継承している。湯島郷の中に集落が出来た事に由来し湯島の中心地であったために湯島本郷とよばれていたのが、室町時代から戦国時代に本郷と呼ばれるようになる。町屋として早い時期から開け区域内には本郷地域内に弓町、元町、真砂町、金助町、菊坂町、本富士町などがあった。明治から昭和にかけて夏目漱石、坪内逍遥、樋口一葉、二葉亭四迷、正岡子規、宮沢賢治、川端康成、石川啄木など多くの文人が居を構えた。東京屈指の文教地区であり、南部は病院など医療施設が点在、北西部は出版関連企業及び住宅地区であり、北東部には東京大学本郷地区キャンパスがある。一帯に出版社及び研究所その他関連施設が多く存在する。本郷通りが尾根となり緩やかな台地(本郷台)になっている。明暦の大火の火元の一つ。1878年、東京15区の一つとして本郷区が成立。1965年4月1日、住居表示実施。本郷一-六丁目・元町一-二丁目・弓町一-二丁目・真砂町・本富士町・菊坂町・春木町一-三丁目・金助町・台町・湯島六丁目の全部に、湯島五丁目と森川町のほぼ全部・春日町二丁目・田町・龍岡町・湯島両門町の各一部をあわせた町域を一-七丁目に分けて現行の「本郷」となった。現在の本郷三丁目交差点角に店を構える「かねやす」は1735年に歯科医兼康祐悦が乳香散という歯磨き粉を売る店として開店してから小間物屋として現代まで営業を続けており、1730年の大火の再興の際大岡忠相がここ以南の江戸城に近い側を土蔵造りの塗屋にすることを命じたためこれを指して「本郷も かねやすまでは 江戸のうち」という川柳が残されている。この句は「かねやす」開店当時(当時は「兼康」。元祖争いがあり、町奉行によりひらがなで書くこととする裁定がくだる)の江戸町奉行所の管轄範囲の北限も示しており、ここまでがいわゆる「江戸」であった(なお、最終的な町奉行の管轄範囲は1818年に「墨引」として明確化され、北限は現在の駒込駅付近まで拡大している)。そのほか江戸時代・明治から営業を続ける老舗が今も多く残っている。
出典:wikipedia
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