LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

代々木

代々木(よよぎ)は、歴史的な地名としての代々木とは、旧代々木村一帯のことである。すなわち、東は明治神宮、西は大山町、北は甲州街道、南は富ヶ谷や上原に囲まれた地域が該当する。代々木郵便局や代々木上原駅、代々木八幡宮などがあり、現代でもこれら地域全体が「代々木」として認識されることが多い。1906年(明治39年)に開業した代々木駅(所在地の現行町名は代々木一丁目)は旧代々木村ではなく旧千駄ヶ谷村の区域にあるが、開業当時旧代々木村の町域には路線・駅がなかったことから、「代々木駅」と名づけられた経緯がある。「代々木村」の名は古く戦国時代の書状にも認められ、江戸時代には大名・旗本の屋敷地があった。1878年(明治11年)、郡区町村編制法施行により代々木村は南豊島郡に属した。1889年(明治22年)市制町村制の施行により代々木村は幡ヶ谷村と合併、代々幡村となる。(この時、現在の渋谷区に相当する地域として他に渋谷村と千駄ヶ谷村) 1896年(明治29年)、これら「渋谷3村」は南豊島郡が東多摩郡と合併して誕生した豊多摩郡に引き継がれた。1915年(大正4年)、代々幡村は前述の渋谷3村のなかで最後に町制を施行した。1932年(昭和7年)、代々幡町は渋谷町、千駄ヶ谷町と合併、東京市渋谷区(大東京35区のひとつ)となった。1947年(昭和22年)、東京23区への移行においても区域は変わらず現在に至っている。現行の町丁区分に基づく各地区の様子は次のようである。代々木駅があり、駅前には飲食店や事務所などが入居する雑居ビルが多い。代々木ゼミナールはかつて、本部校を含めて多くの建物をこの地に有していたが、2008年(平成20年)に新本部(代々木二丁目)が完成した後には、一丁目の建物や機能は大幅に移転・縮小された。住居表示実施以前には、代々木駅から南西に向かって、「千駄ヶ谷五丁目」(代々木駅を含む)、「千駄ヶ谷四丁目」、「代々木山谷町」という町域になっていた。北部は新宿駅南口に近く、オフィスや商業施設が多くを占める。1990年代中盤以降、JR東日本本社ビル(1994年(平成6年))、新宿マインズタワー(1995年(平成7年))、小田急サザンタワー(1998年(平成10年))などの超高層ビルが次々に完成した。住居表示実施以前には、町域の大半が「千駄ヶ谷五丁目」に含まれていた。住宅街が大半を占め、北より、甲州街道沿いには文化服装学院や文化女子大学がある。住居表示実施以前には、町域の大半が「代々木山谷町」であった。明治神宮や代々木公園に隣接し、西参道と小田急線、山手通りに囲まれた町域である。地形は起伏に富んでおり、高台部分を中心に住宅街が形成されている。また、各国の大使館も点在する。現在は暗渠化されているがここに河骨川(こうほねがわ)という小川が南北を貫き、西原から流れてくる宇田川と代々木八幡付近で、渋谷の宮下公園付近で渋谷川と合流して東京湾に注いでいた。唱歌「春の小川」は、この河骨川を見て作詞されたとされており、記念碑が建てられている。住居表示実施以前には、四丁目の大部分は「代々木山谷町」、五丁目の大部分は「代々木初台町」の町域に含まれていた。(よよぎかみぞのちょう):明治神宮と代々木公園の所在地の町名である。面積は120万m²以上に及ぶが、神社・公園以外の建物や居住者はごく僅かである。(もとよよぎちょう):山手通りと西参道通り・小田急線線路とのあいだの丘陵に位置する住宅地である。(うえはら、にしはら、おおやまちょう):一般に「代々木上原」と括られる住宅地である。富ヶ谷も含め、隣接する渋谷区、目黒区、世田谷区の住宅地へと続く。かつて付近には紀州徳川家の徳川頼倫侯爵の屋敷があり、昭和初期には「徳川山」の名で分譲開発された。上原、西原、大山には戦後、アメリカ軍関係者の邸宅と思われるプールやテニスコートがあり広い芝生の庭つき住宅が点在した。昔の写真によると、このあたりは牧場が広がっていたらしい。「江戸名所図会」などによると、現在の明治神宮境内の御苑東門(旧井伊家下屋敷)近くに代々樅の巨木があったことに由来する。この木は幕末には品川沖の外国船の偵察に利用されたと言われており(通説であって証拠は示されていない。戦前は代々木西原から隅田川の花火が見えたと言われるが、品川沖まで見通せた証拠はない)、その後枯死し、さらに太平洋戦争末期の1945年5月、アメリカ軍による空襲の際、高射砲で撃墜されたB-29が直撃し焼失した。現在、その御苑東門近くには樅の大木と共に次のような立て札が掲げられている。また別の説として、この地で代々皀莢(サイカチ)を栽培していたからともいわれる。日本の昭和時代後期の政界では、「代々木」という言葉が代々木駅の近くに党東京都委員会事務所と本部ビル(中央委員会)を持つ日本共産党を指したことがある。特に学生運動における各分派(セクト)の性格を解説する際に、共産党と近い関係の日本民主青年同盟(民青)などを「代々木系」、共産党と対立する新左翼系のセクトを「反代々木系」と称していた。なお、日本共産党中央委員会の住所は渋谷区千駄ヶ谷であり、代々木ではない。なお、代々木郵便局は渋谷区西原にあり、むかしの代々木本町に近い。また代々木警察署は現在は代々木地域外の渋谷区本町にあるが、かっては甲州街道南側の代々木地域内にあったものが、1953年(昭和28年)に甲州街道を渡って北側の現在地に移転したものである。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。