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甲子園ボウル

甲子園ボウル(こうしえんボウル)は、全日本大学アメリカンフットボール選手権大会の決勝戦のことである。毎年12月の第3日曜日に、兵庫県西宮市にある阪神甲子園球場で行われ、主催は日本アメリカンフットボール協会と毎日新聞社、特別協賛は2008年度(平成20年度)からパナソニックグループが務めている。現在の正式名称は「パナソニック杯毎日甲子園ボウル」である。2008年度(平成20年度)までは「東西大学王座決定戦」として、関東学生リーグと関西学生リーグの王者同士が対戦する形で大学王座を争った。2009年のシーズンから、全国8連盟による全日本大学選手権の開始と共に、その決勝戦としての舞台に移行した。戦後、各大学の活動が再開され回復・発展の動きを見せていたアメリカンフットボールのイベントを検討していた毎日新聞社に、戦前から行われ中断していた同志社大学と慶應義塾大学の春の定期戦を復活させる話が持ち込まれたのが開催の発端である。両校はともに前年のリーグ優勝校でもあったために東西大学王座決定戦として位置づけられることとなり、当時の運動部記者であった葉室鐵夫らが阪神電鉄に働きかけ進駐軍への接収が解かれた甲子園球場を使用することに決まった。こうして第1回甲子園バウル(第5回大会までは米語の発音に倣ってこのように表記・発音されていた)は1947年(昭和22年)4月13日に慶應義塾大と同志社大の間で行われ、翌年の第2回大会からも東西リーグの優勝校が出場し勝者を大学王者とする運営形態が徐々に整えられていった。2008年シーズンまでは関西学生連盟が関東学生連盟の代表チームを招待して、関西学生リーグの優勝チーム(或いは代表チーム)と対決し東西大学の王座を決定するという名目の対抗戦試合であった。これは、2008年シーズン以前において日本国内における大学アメリカンフットボール競技では全国規模で統一された選手権大会が存在しなかったため、更には技量の面で関東・関西の学生連盟所属校が全国の中でも群を抜いており、かつ本大会が日本国内でも有数の伝統あるボウルゲームでもある事から事実上の学生日本一の決定戦として機能していた(関連で後述のライスボウルへの出場方法をめぐっても参照)。2005年の大会で通算60回を数え、ハーフタイムショーではこれを記念して芝川龍平(関西学院大)、東海辰弥(京都大)、梶山龍誠(日本大)、河口正史(立命館大)の往年の名選手4名を招いてセレモニーが行われた。一連の構想が発表された2009年2月の時点で、甲子園ボウルを主管する関西学生連盟は、この形態で2年間運営し、2011年シーズンには制度を見直すことを表明した。通常の4クォーター制(1クォーター15分)で試合を行い、得点の多いチームの勝ち抜け。同点の場合は以前はコイントスによって次のステップへの出場チームを決定していたが現在は第4クォーター終了後にゴール前25ヤードの地点から1回ごとに交互に攻守を繰り返し、どちらかの得点が上回るまでプレーを行うタイブレーク方式による延長戦で進出チームを決める。ただしこの方式になって以降、まだ延長戦が行われた事例はない。なお決勝戦(甲子園ボウル)では延長タイブレークはするが、大会の記録上は両校優勝となる。甲子園ボウルの勝者はライスボウルの出場権を得て、社会人王者と対戦する。第65回(2010年)以降の試合は、ホームベースからバックスクリーンにかけて縦方向にフィールドを設置し、普段は土である内野にも芝生を敷設して行っている。2010年・2011年は完全な縦方向(センターラインに並行)であったが、第67回(2012年)からは完全な縦方向ではなく、3塁ベンチ前からライトスタンドに向かってやや傾けた方向にフィールドが設定される。これ以前にフィールドの設置をこの方向にしたのは過去に第44回(1989年)の一度きりで、その時以外はすべて外野のライト-レフト間を横方向に使ってフィールドを設けていた。その際には土となっているレフト線・ライト線・2塁ベース後方に仮設の天然芝を敷設していた(2009年よりレフト線・ライト線の土部分はなくなった)。ラッキーゾーンがあった時代は、ラッキーゾーンを囲う網フェンスを撤去した上でフィールドを設置していた。また、マウンド付近には、関東代表チーム用応援席とテレビ実況ブース(毎日放送・NHK)や関東代表チームのスポッター席用のプレハブの仮設スタンドが、バックスクリーンには関西代表チームのスポッター席と中継用カメラが設置されていた。第60回大会(2005年)(平成17年)の中継では、関学大OBの濱田篤則がバックスクリーン側スポッター席からの視点で解説を行った。2007年(平成19年)10月から2009年(平成21年)3月までのプロ野球のシーズンオフ期間中に阪神甲子園球場の改修工事が行われたため、2007年の第62回大会、および翌2008年の第63回大会は、代替の長居陸上競技場に会場を移して開催された。大会名称については「毎日甲子園ボウルin NAGAI」とされた。甲子園ボウルの終了後、学生アメリカンフットボールの年間最優秀選手に与えられるのがミルズ杯(通称「チャック・ミルズ杯」)である。NFLカンザスシティ・チーフスのアシスタントコーチ時代に第1回スーパーボウルに出場し、1971年(昭和46年)以降、ヘッドコーチとしてユタ州立大学他を率いて再三来日し試合やクリニック等を通じて日本のアメリカンフットボールの発展に大きく寄与したチャック・ミルズ()の功績を讃えるべくその名が冠せられ、1974年(昭和49年)から贈られている。毎年のトロフィーはミルズ自らが私費を投じて作られている。またミルズは可能な限り甲子園ボウルの際に来日し、トロフィーを受賞者に直接手渡すようにしている(最近の来日・カップ授与は2009年(平成21年)。選出は1997年(平成19年)までは甲子園ボウルの試合終了直前に新聞記者の投票によって行われ、敗戦チームから受賞者が選出されることも過去2回あった。現在では、甲子園ボウル勝利校の所属リーグの最優秀選手に贈られる方式に変更された。前座の試合として、中学生によるタッチフットボールの試合が行われる。長らく滋賀県長浜市の中学校の代表校を招待して関西学院中学部と試合する対戦形式で行われてきたが、現在では後者の出場枠も関西の各府県の中学校やチェスナットリーグのチームも含めた形でトーナメント形式の予選を行って出場チームが決定される。出場回数順、戦績の同じものは出場の古い順(2015年12月13日現在)甲子園ボウルが初めてテレビ中継されたのは1956年の第11回大会であった。放送局はNHKで翌1957年まで2年間担当した。1958年はテレビ中継が無かったが、1959年はMBSが中継した。その後、暫く中継はなく、1966年の第21回大会で7年振りに中継が復活した(担当はMBS。当時は腸捻転時代だが、NETテレビ系列局で放送されたかは不明)。1967年から1984年まではNHKがテレビ放送を担当。1967年からカラー放送となった(サンテレビが同時中継していた年もある)。1985年から再び毎日放送がテレビ放送を担当し、1999年まではTBS系列にて試合当日の14時ないし15時からの2時間にわたり全国ネットで放送されていた。試合の前半は録画で後半を生中継する形態が多かったが、2000年からは深夜枠に移動し、時間も従来よりは短縮した録画中継の形で放送されていた(放送時間は24:30~26:24)。同局系のCS放送局GAORAでは後日に完全録画中継の形で放送されていた。2005年の中継では初めてステディカムが導入されコイントスと直後のウォー・クライ等、選手の視点に近い位置からの映像に威力を発揮した。2008年の中継では、GAORAとBS-iにて試合終了まで完全生中継されたが、地上波では当日深夜のダイジェスト放送は前年と同じものの、放映はMBSとTBSのみになり、実質的に衛星波へシフトする形となる。2009年より、毎日放送に代わってNHKがテレビ放送することになり、スポンサーなどの意向より、NHK BS-1にて生中継放送が行われている。2012年から並行してCSでの放送が復活し、スカイ・エー(朝日放送の関連局。朝日新聞社・テレビ朝日も出資)が録画中継することになった。実質上の冠スポンサーである「特別協賛」については、主催者である毎日新聞社が務めたほか、日清食品(1985~1987年まで)、三和銀行をはじめとする三和総合金融グループ(1988~1992年まで)、ハウス食品(2000~2007年まで)が担当し、2008年度からはパナソニック(旧・松下電器)が務めており、勝利チームにはパナソニック杯が贈呈されている。ハウス食品は、2008年度より協賛スポンサーの一つとして参加している。なお、1985年~1987年は日清食品、1988年~1991年は三和総合金融グループの1社提供だった。1992年に関しては三和総合金融グループを筆頭とし、ハウス食品やSUNSTARなどの複数社となった。前述の通り2008年シーズンまでの甲子園ボウルは関西・関東の両学生連盟所属校による対抗戦でありながら、学生選手権とほぼ等しいとされており、勝者は学生チャンピオンと認知されていた。そのため、ライスボウルが社会人チャンピオンと対戦する全日本選手権となった1983年以降、自動的に出場することとなっていた。その後選手権試合のオープン化が推進され2006年度より、東日本学生王者決定戦(シトロンボウル)の勝者・西日本学生王者決定戦(ウエスタンボウル)の勝者と併せて3チームから学生代表決定委員会が選定する形となり、一応は両連盟を除く各地域にも門戸を開いた形となった。ただし、関西、関東両連盟の所属校と他の地域の連盟所属校の間には実力差がある。これはシトロンボウル・ウエスタンボウルへの関東・関西連盟からの各出場校はリーグ戦でも中位以下のチームが担っている事からも明らかである(2006年現在、ウエスタンボウルは8大学のリーグ戦中6位の大学が出場)。そのため、ボウルゲームとしての重みに違いがある。加えて学生代表決定委員会のメンバー、ならび大学の選定基準が不明である。結局、2006年度は甲子園ボウル優勝校である法政大学がライスボウルに出場した。このような状況から、トーナメント方式の全日本選手権など学生日本一の決定プロセスに新たな枠組みを期待する声がかねてよりあり、これを踏まえ、前述のとおり、2009年シーズンから8連盟による全日本大学選手権に変更することが発表された。しかし、各リーグ戦運営日程への影響、出場各大学の移動費用その他の新たな運営負担、上記の実力の格差、所属連盟/リーグ編成の見直しの可能性など、解決すべき問題はなお多く残されている。第1回大会はボクシングの試合の前座イベントとして行われている。これは主催の毎日新聞社が、すり鉢状のスタンドを持つ甲子園球場での開催にこだわったからである。当日は、試合が長引いたため終了を待たずにボクシングの試合が行われている。

出典:wikipedia

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