新宿線(しんじゅくせん)は、東京都新宿区の西武新宿駅と埼玉県川越市の本川越駅とを結ぶ西武鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングで使われる路線記号はSS。頭端式2面3線の西武新宿駅を出ると、進行方向左手に現れるJR山手線、埼京線、湘南新宿ラインに並行して北進する。職安通りのガードを越えて少々走ると、JR山手線の新大久保駅が現れるが、当線の駅は設けられていない。ロッテ新宿工場や海城中学校・高等学校、保善高等学校の校舎を右手に見ながらほぼ直線状に北進し、電車はJR山手線、東京メトロ東西線との乗換駅である高田馬場駅に到着する。高田馬場駅を出るとやや右カーブした後、下りながら左に急カーブしながら神田川をまたぎ、その直後にJR山手線をくぐり、進路を西に取る。曲線半径は158m、30.3‰の下り勾配のため、30km/hの速度制限を受ける。ここで地上に降りるが、これ以降は、ごく一部を除いて高架や盛土区間を走らない。山手線をくぐった後は下落合駅まで新目白通りと並行し、下落合駅手前では妙正寺川に接する。以降、蛇行する妙正寺川を途中数度渡りながら住宅密集地を進む。中井駅は山手通りの下にあり、中線が1本ある待避駅で、都営地下鉄大江戸線との乗換駅である。下落合寄りはカーブしており、ポイント通過の際に列車が大きく揺れる地点でもある。新井薬師前駅の300m程西で中野通りと平面交差するが、踏切で渋滞していることが多い。沼袋駅は内側2線の通過線を持った相対式ホームである。駅前は京王バスが発着するが、街路が狭隘なため、南行一方通行のみである。ここに限らず都心寄りは狭隘な駅前を持つところが多い。なお、中井駅から野方駅までの中野区内区間では、連続立体交差事業により地下化工事が始まっており、完成時には中野通りを含む7箇所の踏切が撤去される予定である。野方駅直下で環七通りを乗り越し、都立家政駅を経て下り線のみ待避可能な鷺ノ宮駅となる。この高田馬場 - 鷺ノ宮間は半径300 - 600mのカーブの連続のため最高速度が抑えられてしまう。鷺ノ宮駅の先で右カーブした後は、多少のアップダウンこそあれど、比較的線形が良くなり、下井草駅付近からはちらほらと畑が車窓に見え始める。鷺ノ宮から上石神井の間では井荻駅のみ通過線がある。またこの駅では環八通りと交差しているが、電車から見える高架橋以外に地下トンネル(井荻トンネル)でも交差している。上井草駅附近からは住宅の密集度が低くなり、景観が武蔵野らしくなってくる。千川通り(東京都道439号椎名町上石神井線)を踏切で交差した先に、上石神井車両基地が南に広がり、島式ホーム2面3線の上石神井駅となる。ホームや階段は狭隘で、ホーム端はすぐ踏切となる。なお、同駅付近で東京外環自動車道が交差する計画である。上石神井駅を出て次駅武蔵関駅手前から下り勾配となる。武蔵関駅の先で石神井川と並行する。武蔵関公園の北側をかすめると上り勾配となり東伏見駅となる。東伏見駅は同線では珍しい島式ホーム2面4線の待避駅である。また、東伏見駅以西の各駅にはほぼ全ての駅に駅前広場が整備されている。若干の盛土と掘割区間を経て西武柳沢駅を過ぎると、数少ない高架区間となっており、戦時中に中島飛行機武蔵野製作所への鉄道連隊が作った専用線のガードを越えて青梅街道と武蔵境通りのバイパスを乗り越した後、再び地上に戻り武蔵境通りと平面交差すると田無駅となる。特急小江戸以外のすべての種別が停車する主要駅ではあるが、島式ホーム2面3線の設備である。この配線が同線の特徴である。田無駅には本川越駅寄りに引上線がある。それを横目に住宅街を西へ進む。線路北側の家並の向こうにはスカイタワー西東京が見える。西東京市と小平市の市境付近より右カーブし、これより東村山駅の手前まで、進路を北西に取る。カーブの先に花小金井駅がある。島式ホーム1本であるが、かつては2面3線だった名残でホーム幅が広い。駅のすぐ南には多摩湖自転車道が通っており、ここから次駅小平駅付近まで並行する。駅のすぐ西側で小金井街道と平面交差する。道幅は広いが、南北を結ぶ西武バスの各路線が通り、踏切が原因でしばしば渋滞が発生している。住宅と畑が混在する一帯をしばらく進むと青梅街道と斜めに平面交差する。踏切の前後はカーブしており、列車が減速するため踏切渋滞に拍車をかけている。また、踏切横には公立昭和病院があるため、救急車がしばしば立往生している姿を目にする。カーブを過ぎると新小金井街道が下をくぐる。付近は畑が目立ち、空が広く感じる一帯である。やがて上下線の間に引上線が割り込み、拝島線と分岐する島式ホーム2面4線の小平駅に着く。小平駅は2面4線の駅であるが、待避駅ではなく拝島線との分岐駅となっている。このため小平駅までは複線であったのが、小平駅を出た直後は複々線のようになっている、線路の賑やかな駅である。小平駅の北西に小平霊園があるため、駅付近には墓石屋が多く、春秋の彼岸の時期には北口前に露店が並び急に賑やかになる。小平駅を出てしばらく拝島線と並行するが、拝島線は左に曲がって分かれてゆく。右手に小平霊園を見ながら進んでいくと久米川駅に到着する。分岐駅に挟まれてることもあり、駅としては地味な存在ではあるが、それとは裏腹に駅周辺には都市銀行の支店やスーパーが充実しており、にぎわっている。久米川駅を出るとすぐに空堀川と新青梅街道と交差する。野方駅あたりからここまでは新青梅街道に並行する形で進んできたが、東村山駅の手前で右カーブして北へ進む。このカーブの所で府中街道と平面交差する。主要道路との平面交差であるので、しばしば渋滞する地点である。カーブを過ぎると左側に国分寺線が現れ、東村山駅まで並行する。新青梅街道との交差地点から先東村山駅の先の都県境付近までの2.3km区間、高架による連続立体交差化計画がある。東村山駅は東に市役所などがある市の中心部のため、東口側は以前から駅前広場が整備されている。一方、昔ながらの雰囲気を残していた西口も2009年に新たな駅前広場が整備されるなど、再開発事業はほぼ完了した。ただ、依然として狭い道が多い地域となっている。3面6線の東村山駅を出ると、西武園線としばらく並行する。やがて西武園線が左にそれ、住宅街ながら緑の多い一帯を北に進む。盛土を走るようになると視界が開け、左に低い山並みを見ることができる。八国山緑地と呼ばれ、映画『となりのトトロ』のモデルとなった場所でもある。埼玉県に入ってすぐ左に国際航空専門学校があり、小型航空機やヘリコプターを見ることができる。盛土が終わると所沢街道、さらに池袋線が頭上で立体交差し、池袋線と接続する所沢駅となる。かつては駅手前の踏切の先で西武所沢車両工場へ引き込み線が分岐していた。3面5線で、歴史的経緯上複雑な線路配置であるが、新宿線だけを見ると、基本的に相対式ホームと言える。改良工事が終了し、駅舎やコンコースが拡大されたものの配線自体に大きな変化はない。所沢駅を出て直ぐに左へカーブし、進路は再び北西に取ることとなる。東川のガードからは直線区間が続く。東側は所沢航空記念公園が一帯に広がり、西側は一方通行であったり、狭隘であっても線路沿いに道路が設けられており、東側のマンションや大規模団地開発に際しての配慮と思われる区間でもある。新宿線内では最も新しい駅・航空公園駅に到着する。市役所や市民会館、簡易裁判所、税務署、公共職業安定所等の主だった公共機関が航空公園駅東口周辺に移転してきたこともあり、所沢市の行政の中心とも言える。航空公園駅を出ると、住宅地をくぐり抜け、2面4線の新所沢駅に到着。新所沢駅界隈も道路整備や街並みの整備により、以前とはまた違った顔を見せる。開業時から繁華街として栄えた西口にはパルコ等のテナントや、居酒屋が多く見受けられる。南入曽車両基地へ出入する電車は、同駅始発・終着となる。新所沢駅から次の入曽駅までは直線である。両駅のほぼ中間、県道所沢狭山線が斜めに交差した先に南入曽車両基地がある。周囲は宅地よりも農地が目立つ。入曽駅は、東伏見駅以西の各駅の中では唯一駅前広場が整備されていない。入曽駅の先で県道川越入間線と交差したあたりで緩い右カーブをし、しばらく進むと左手に航空自衛隊入間基地が広がる。基地の東側に沿って進み、基地が終わると県道所沢狭山線が頭上を乗り越え、右カーブしながら狭山市駅に着く。相対式ホーム2面2線の特急小江戸停車駅である。バス路線が集中する駅の西側においては駅前広場が無く道幅も狭いなど問題が多かったため、駅舎を含めた再開発事業が実施され2012年完了した。狭山市駅を抜けると、しばらく右カーブの後直線状に走る。この右カーブの先の進路は北東となる。新狭山駅を過ぎると川越狭山工業団地の中を走りその後川越市に入る。すると休止中の安比奈線が分岐する南大塚駅に着く。その後関越自動車道のガードをくぐり速度を上げるが国道16号との立体交差付近で減速し、脇田信号場で単線区間へはいる。JR川越線と東武東上線のガードをくぐり踏切を越えると本川越駅に着く。運転される列車種別は、後述の列車種別の節のとおりであるが、基本的に速達列車が途中駅から各駅停車となる典型的な郊外電車型の運行形態である。また、山手線周辺から郊外に伸びる総延長15km以上の大手私鉄路線では、唯一地下鉄との相互乗り入れを行っていない。新宿線内のみを運転する列車のほかに、接続する西武の他線との直通運転が多く設定されている。このほか、2016年4月17日より西武4000系(4009F)を使用した「旅するレストラン 52席の至福」が1往復、土曜・休日を中心に年間100日程度運転される。西武新宿駅 - 所沢駅 - 西武秩父駅間(所沢駅および飯能駅では、進行方向が変わるのと乗務員交代を行なう目的での運転停車)で運転されているほか、西武新宿駅 - 本川越間の新宿線全区間でも運転が予定されている。車両基地は、上石神井と南入曽、拝島線の玉川上水に設置されている。2012年6月30日ダイヤ改正時点での日中1時間あたりの運行本数は以下のようになっている。停車駅は「駅一覧」を参照。2016年3月26日のダイヤ改正時点での運転状況を記す。終日運転される有料特急。正式名は「特急レッドアロー号」。「小江戸」の愛称があり、全列車が西武新宿駅 - 本川越駅間の往復である。運転開始当初から所要時間は43分で走破していたが、2013年3月16日より東村山駅が正式に停車駅として追加された。そのため、現行ダイヤでの所要時間は最短45分である。2011年からは拝島線に直通する臨時特急が運行している。2011年度のダイヤでは新宿線内は西武新宿駅・高田馬場駅・田無駅・小平駅に停車していたが、2012年度以降は田無駅は通過している。なお、2011年・2012年度は乗車は西武新宿駅・高田馬場駅に限定されていたが、2013年度からは途中乗車可能となっている。1993年までは西武新宿駅 - 西武秩父駅間で、休日のみ「おくちちぶ」号を運転していたほか、送り込みとして西武新宿駅 - 本川越駅間(上りは所沢発)を1往復「むさし」号として運転していた。通勤急行は本川越駅・所沢駅から高田馬場・西武新宿方面への速達を目的に平日朝ラッシュ時の本川越発2本のみ運転される。後述の急行では各駅に停車する本川越駅 - 田無駅間も急行運転を実施する。拝島線の乗換駅である小平駅は停車しない。なお、この時間帯には急行も運転されている。1993年にそれまで運転されていた平日朝ラッシュ時の千鳥停車の急行の停車駅を明確にする目的で、快速(現在は廃止)とともに登場した。当時は現在のように田無駅以西では急行運転を実施せず、田無駅 - 高田馬場駅間で上石神井駅に停車し、鷺ノ宮駅を通過する種別を通勤急行と呼称した。また、現在は所沢駅 - 本川越駅間の途中停車駅は新所沢駅・狭山市駅のみだが、当時はこの区間は各駅停車であった。現在の停車駅となったのは2001年12月からで、朝ラッシュ時の所沢・本川越方面から西武新宿方面への速達列車の色合いが強くなった。種別色は、黄色又はオレンジ色。急行は、当路線の主力優等種別であり、本川越方面・拝島方面ともに終日運転される。基本的には西武新宿駅 - 新所沢駅・本川越駅・拝島駅間で運転されており、日中時間帯は本川越駅発着と拝島駅発着が20分間隔で交互に運転され、両系統が重複する西武新宿駅 - 小平駅間では1時間あたり6本(10分間隔)となる。編成両数は平日日中を含めて10両編成での運転が基本であるが、土曜・休日ダイヤでは、終日にわたって8両編成で運転する列車が存在する。また、平日ダイヤには玉川上水駅発着の列車が朝の下り1本と夕方の上り2本、土曜・休日ダイヤの夕方には田無始発がそれぞれ2本設定されている。かつては萩山駅で分割・併合を行う列車(西武新宿寄り4両;西武遊園地発、拝島寄り6両;拝島発)も存在していたが、徐々に減少した結果2013年3月15日をもって運行を終了した。さらに土休日には、2016年3月21日まで西武遊園地駅発着の列車もあり、この列車は多摩湖線のホーム有効長の関係上8両編成で運転されていた。2016年3月26日実施のダイヤ改正で、西武プリンスドームにおけるプロ野球開催日や夏休みなどの不定期運転に格下げされ、上りについては2本とも田無始発を延長して不定期的に運転する形を取った。各駅停車との接続は昼間時間帯は下りは鷺ノ宮駅で、上りは上石神井駅で行われる。また小平駅では本川越駅発着の列車は小平駅 - 玉川上水駅・拝島駅間を運転する各駅停車に、拝島駅発着の列車は西武新宿駅 - 新所沢駅・本川越駅間の列車に接続する。平日夕方時間帯(20時まで)は下りは中井駅で抜かし、鷺ノ宮駅・上石神井駅・小平駅で接続する。平日朝ラッシュ以外の時間帯は下りは沼袋駅で抜かし上石神井駅・小平駅で接続、上りは小平駅で接続し井荻駅・沼袋駅で抜かす。平日朝ラッシュ時は列車によって異なる接続をする。下り列車の田無駅から終点までは、方向幕では急行と表示されても、発車標では各停と表示される(これは後述の準急でも同様)。1993年のダイヤ改正以前は、平日朝ラッシュ時の上りに限り通常の急行以外に、田無駅 - 高田馬場駅間で途中上石神井駅にのみ停車する急行(本川越発)と、鷺ノ宮駅にのみ停車する急行(拝島・西武遊園地発)が運転されていた。停車駅こそ違ったが、どの種別も一括して「急行」と呼称され不明確であったため、ダイヤ改正後は前者を通勤急行、後者を快速と呼称するようになった。ほぼ終日にわたり、下り列車の拝島・本川越方面行きは鷺ノ宮駅・東村山駅・新所沢駅のいずれかで(※拝島方面行は朝夕のみ)、また本川越・拝島方面からの上り列車は新所沢駅・東村山駅のいずれかで特急に抜かれる。種別色は朱色・赤文字。準急は、急行を補完する形で早朝・平日朝ラッシュ時・終電前と平日の夕方ラッシュ時・夜間で運行される。西武新宿駅 - 田無駅・新所沢駅・本川越駅間の運転系統が基本であるが、平日のみ一部列車が拝島線へ直通する。かつては終日にわたり運行されていたが、日中をはじめとする大部分の列車は2012年6月30日のダイヤ改正で急行に格上げされる形で廃止された一方、2013年3月18日からは拝島駅発着の準急を平日限定で朝・夕方・夜にも運行し、また本川越発の急行の一部を準急に格下げして本数を増やした。夕方・夜の拝島行きの準急は東伏見駅で特急に追い抜かれる。一方、土休日は西武新宿駅 - 新所沢駅・本川越駅間で合わせて下り3本、上り4本のみの設定である。種別色は緑色。各駅に停車する。西武新宿駅 - 本川越駅間の全線を運転する列車のほか、西武新宿駅 - 上石神井駅・田無駅・新所沢駅間の区間列車と本川越駅 - 国分寺駅間の国分寺線直通列車が運行されている。また、昼間時間帯以外には西武新宿駅 - 玉川上水駅・拝島駅間の拝島線直通列車が運転される他、平日朝上りに西武遊園地始発西武新宿行きが3本運転されている。国分寺線直通の列車は新所沢駅で同駅始発着の列車と接続し、東村山駅 - 本川越駅間では実質上等間隔の本数が保たれている。各駅停車のみ停車する下落合駅 - 都立家政駅・下井草駅 - 上井草駅の各駅のホームの長さは8両分しかないため、基本的に8両編成で運転されるが、国分寺線からの直通列車(こちらは国分寺線の各駅のホーム有効長が6両編成のため)は6両で、早朝・深夜には出入庫の関係で同区間を含まない列車が10両で運転される場合もある。野球開催時には、西武球場前発の本川越行きの列車も運転される。土休日は深夜に1本だけ本川越発所沢行きの列車が存在する。またかつては萩山駅で連結・切り離しする列車や夕方に10両で上石神井発本川越行きも存在した。以前は西武園発西武新宿行きの列車も運転されていたが、2011年12月24日に東村山駅で脱線事故が発生し、同月30日から運転が休止された。以前は「普通」と称していた。2008年4月頃まで駅の案内表や案内では、「準急」以上の列車の各駅停車区間も含めて「各駅停車」「各停」として案内されていたが、列車に表示される種別表記は「普通」となっていた。だが、30000系や新2000系更新車に搭載されたフルカラーLED表示機において「各停」の表記がなされるようになったのを皮切りに、「各停」の表記を行うようになった。種別色は灰色。初代の快速急行は1980年3月のダイヤ改正から1998年3月26日のダイヤ改正まで存在した。後述の1998年3月26日から2012年6月29日まで運行されていた快速急行とは別の種別であり、以上の4つが設定されていた。1990年までは行楽時期のみの不定期列車扱いでもあった。停車駅も1998年から2012年まで運行されていたものとは異なり、本川越発着列車については西武新宿、高田馬場、鷺ノ宮、田無、所沢、狭山市、本川越。その他については西武新宿 - 田無間の急行停車駅、小平、(西武遊園地発着; 萩山、西武遊園地、晩年は八坂、武蔵大和にも停車)、東村山、(西武園発着;西武園)、所沢、西所沢、西武球場前だった。その後、他線への乗り入れを行う快速急行は臨時運転としてでも西武トレインフェスタ開催時の西武新宿 - 西武秩父間の列車や2000年2月20日に20000系通勤車両デビュー記念の一環として西武新宿 - 西武球場前間を1往復したのみである。詳細は「快速急行」と「西武鉄道のダイヤ改正」を参照。1998年3月26日から2012年6月29日までの快速急行は、全列車が西武新宿 - 本川越間で平日のみに運転され、日中に上下線で運行されていたほか、朝8時台の下り2本が運行されていた。平日の日中は、60分サイクルのパターンダイヤの中で、西武新宿、本川越とも特急と交互に30分間隔で発車し、全線の所要時間が特急とほぼ変わらないことから、特急を補完する役割も果たしていた。また、全列車とも東村山または新所沢で先行する列車に接続した。以前は8両編成でも運行されていたが、原則10両編成で運転された。1998年の運転開始当初「川越号」の愛称が付けられていたが、2008年6月14日のダイヤ改正で愛称が廃止された。2007年3月6日のダイヤ改正から東村山駅と狭山市駅が停車駅に追加されたが、西武新宿 - 本川越間の最短所要時間は改正前の47分より1分短縮され46分となった。これに伴い、同改正まで狭山市駅には快速急行の上の種別である特急が停車し、代わりに快速急行は新所沢駅に停車する千鳥停車を行っていたが、それも解消された。2011年3月5日のダイヤ改正で入曽駅・新狭山駅・南大塚駅が停車駅に追加され、新所沢 - 本川越間は各駅に停車するようになり、西武新宿 - 本川越間の所要時間は50分となった。そのため、入曽駅・新狭山駅・南大塚駅には快速急行が停車し、代わりに鷺ノ宮駅・上石神井駅には通勤急行が停車する千鳥停車が発生した。特急「小江戸」運転開始前は土休日のみの運転であり、基本的には西武新宿 - 西武遊園地、西武園(競輪開催時のみ。平日にも運転)、西武球場前(野球開催時のみ)、本川越間での運転であった(詳しくは前節の初代の項を参照)。2012年6月30日のダイヤ改正で、日中の列車種別が各駅停車・急行・特急「小江戸」に統一され、朝ラッシュ時に運転していた下り2本も急行に格下げされたため廃止された。2008年6月14日のダイヤ改正より新設された拝島線直通の優等種別で、平日・土休日とも日中に運転された。急行よりも上位の種別であり、西武新宿 - 拝島間を急行より3分短い所要時間43分で結び、すべての列車が西武新宿 - 拝島間で運転された。拝島線では急行以下の種別は各駅に停車するため、拝島線唯一の優等種別となっていたほか、新宿線内でも急行が停車する花小金井駅を通過した。このため、快速とは別の種別としたものであった。すべての列車が田無駅で玉川上水発着の各駅停車(一部は田無を始発・終着とする)と接続し、小平駅で本川越駅・新所沢駅発着の各駅停車と接続した。英文種別表記は池袋線系統の快速と同様「Rapid」であるが、自動放送のある車両では「Haijima Rapid」と放送された。また、車両の種別表示においては「拝島快速」または「快速」であった。ほとんどの列車が10両編成で運転されるが、一部列車は折り返し前後が各駅停車であることから8両編成で運転されるものもあった(これは急行・準急も同様である)。快速急行と同様、2012年6月30日のダイヤ改正で廃止された。快速は1993年12月6日のダイヤ改正から2001年12月のダイヤ改正まで存在した種別。通勤急行(前述)と同様に、それまで運転されていた平日朝ラッシュ時の千鳥停車の急行の停車駅を明確にする目的で運転された。上りのみの設定で、拝島駅・西武遊園地駅 - 西武新宿駅間に9本運転され、停車駅は田無駅までの各駅・鷺ノ宮駅・高田馬場駅・西武新宿駅であった。このように、田無駅 - 高田馬場駅間で上石神井駅を通過し、鷺ノ宮駅に停車するという、当時の通勤急行とは千鳥停車になるダイヤだった。しかし乗客からは「まぎらわしい」と不評であったため、当時の通勤急行は停車駅の変更がなされ、当種別は急行に統合され消滅した。ただし新幕に交換された2012年6月現在でも方向幕は現在でも快速が運行されている池袋線と共通のため、快速幕がほかの種別や行先に置き換えられたりせず未だに存在する。なお、2001年12月のダイヤ改正以降は現在に至るまで、田無駅 - 高田馬場駅間で千鳥停車となる種別は運行されていない。新2000系や6000系、9000系が導入される1990年代前半まで3ドア車の天下であった池袋線とは対照的に、1977年の2000系運転開始以来4ドア車の比率が高くなっており、2015年現在は特急を除くすべての列車が4ドア車で運転されている。2000系・新2000系の運用には様々な組み合わせが見られ、6両編成(2000系)と4両編成(新2000系)を連結した10両編成や、6両編成(2000系)と2両編成(新2000系)を連結した8両編成といったパターンがある。2両編成と8両編成を連結する場合、2両編成を必ずしも西武新宿寄りに連結するのではなく、本川越・拝島寄りに連結する列車もある。501系以前の17m車は省略本路線には、平日朝ラッシュ時間帯に女性専用車が導入されている。詳細は以下の通り。女性専用車で運行される列車には、西武鉄道公式サイトおよび対象となるホームの乗車口などに掲出されているほか、駅構内の備えられている時刻表に女性専用車であることを示すマークが付記されている。なお、当該時間帯の急行・通勤急行・準急であっても、8両編成で運転される列車での設定は無い。新宿線は、歴史的に川越鉄道が1895年(明治28年)に全通させた国分寺駅 - 川越駅間の一部(東村山駅以北)と川越鉄道の後身である西武鉄道(旧)が1927年(昭和2年)に開業した東村山駅以東の区間に大別することができる。国分寺 - 川越間の鉄道は、武蔵国入間、高麗、比企三郡の物産を貨物輸送する目的で1890年12月に仮免許が申請された。甲武鉄道が新宿 - 立川間をすでに開通させており、国分寺で接続して東京へ物資を運ぶ計画であった。翌91年に川越鉄道が設立され、93年に工事を委託された甲武鉄道によって川越・国分寺両側から工事が着工された。しかし柳瀬川架橋工事で、架橋が狭く大水時に水害を呼ぶと反対運動が起こったため、柳瀬川南岸に久米川仮駅を設置し、1894年12月21日に国分寺 - 久米川(仮)間が先に開業した。これは現在の西武国分寺線に当たる。翌1895年3月21日に久米川(仮) - 川越(現・本川越)間が開通し、この路線が現在の西武新宿線の東村山駅以北となっている。川越鉄道は、東上鉄道や武蔵野鉄道との競争から都心乗り入れを目指し、1916年に村山軽便鉄道の箱根ヶ崎 - 吉祥寺間の免許を譲り受け、1925年には井荻 - 高田馬場間、翌26年には高田馬場 - 早稲田間の免許を得た。川越鉄道は合併・分離を繰り返して西武鉄道(旧)となり、1927年4月16日に東村山 - 高田馬場間を村山線として複線・電化で開業。同年に東村山 - 川越間を電化し、現在と同じ高田馬場 - 川越間の直通運転を開始した。新宿線全通当初の都心側ターミナルは高田馬場駅であったが、戦後、国鉄新宿駅への乗り入れを目論み現在の西武新宿駅の位置まで路線を延伸したものの果たすことができなかった。ルミネエスト新宿の2階には新宿線の新宿駅ができる予定だったため、天井の高さなどにその遺構を見ることができる。高田馬場駅 - 下落合駅間で豊島区をわずかに通るが、駅はない。バブル景気期、新宿線は利用客のさらなる伸びが見込まれ、飽和状態にあった輸送力状況を打開する切り札として、上石神井 - 西武新宿間を複々線化する構想が何度も持ち上がっていた。在来線直下の地下40メートル-60メートルを掘削して地下線を増線し、工期と費用の点から地下線は高田馬場と西武新宿の二駅のみの急行線とする計画が事業化されることになった。地下線の西武新宿駅ホームは新宿駅寄りに設け、他線との乗り換えを改善する計画もあった。この計画は、1987年12月に特定都市鉄道整備事業計画の認定を受け、翌88年9月に運輸大臣の認可が下り、特定都市鉄道整備積立金制度導入による運賃加算も行われた。シールド工法によるトンネルの調査設計は日本鉄道建設公団に依託され、工事は部分的に着手された。ところが技術上の問題で工事費用が膨らみ、景気減退や少子高齢化を背景とした見込み利用者数の減少、輸送人数に応じた避難経路を確保するための建設費高騰もあり、1995年1月になって計画は無期延期となり、事実上撤回された。その際、積立金として加算された分は、特別減算を実施して運賃の一時的な値下げが実施された。代わりに、新宿線の線形改良・ホーム改良工事等が実施されている。新宿線は、開かずの踏切が東京都内と埼玉県所沢市にある。このうち、東京都は開かずの踏切を解消すべく、連続立体交差事業の事業主体となって事業化を進めている。2016年現在、新宿線の連続立体交差事業を実施しているのは次の2か所である。中野区議会が2015年3月9日に公表した資料によると、中井駅 - 野方駅間の地下化工事に合わせた、東京メトロ東西線との相互直通運転の構想を発表した。現状の高田馬場駅は、新宿線ホームが地上2階に対し、東西線ホームが地下2階にあるため、乗り換えに多くの時間を費やしてしまうこと、さらには、高田馬場駅利用者にはJR山手線に乗り換える人もいるため、ラッシュ時に相当混雑していることなど、多くの問題を抱えている。具体的な路線案として、新宿線沼袋駅付近と東西線落合駅間の約3.0kmに及ぶ連絡線整備の構想がある。新宿線では、距離を示すキロポストが起点である西武新宿駅から終点の本川越駅に向かって純粋に増えるよう設置されているわけではない。これは歴史的な経緯によるもので、おおむね以下の3区間に分かれており、キロ数が増える方向も下り方と上り方が混在している。
出典:wikipedia
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