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東村山駅

東村山駅(ひがしむらやまえき)は、東京都東村山市本町二丁目にある、西武鉄道の駅である。特急「小江戸」号を含む全列車が停車する。新宿線、西武園線、国分寺線の3路線が乗り入れ、4方向の列車が利用できる。西武園線は当駅が起点、国分寺線は当駅が終点である。ただし、国分寺線の列車の一部は新宿線本川越方面や西武園線と直通運転を行う。駅番号については、新宿線がSS21、国分寺線と西武園線がSK05である。西武園線は以前は路線図上では新宿線のラインカラーが使われていたが、これは2011年12月の脱線事故以前は新宿線西武新宿方面との直通列車が乗り入れていた名残であり、2013年3月16日のダイヤ改正以降は、現在のダイヤの実情に応じて国分寺線と同じラインカラーに変更された。所沢方面から拝島方面へ行く場合、通常は小平で乗り換えるが、時刻によっては東村山で国分寺線に乗り換えると小川で拝島線下り列車に接続することがあり、その場合は東村山到着前の車内でアナウンスされる。川越鉄道は甲武鉄道国分寺停車場と川越を結ぶ目的で建設され計画時は東村山に停車場を作る予定はなかった。その理由を『東村山市史』では、東村山から一人も発起人が出なかったこと、同じく発起人がいなかったにもかかわらず小平村(現・小平市)に小川停車場が設置されたのは、青梅街道と交差するなど要衝の地であったことに対し、東村山が純農村地帯であったことをあげている。ところが、予期せぬ出来事により東村山に停車場が設置されることになった。それは、柳瀬川の架橋に対し地元住民が水害の恐れがあると反対したため、工事が中断。結局内務省の裁定で橋梁の設計変更を行うこととなった。しかし、工事が大幅に遅延したため、やむなく1894年(明治27年)12月、橋梁手前に久米川仮停車場を設けて川越鉄道は暫定開業となり、こうして東村山に初めての停車場が誕生した。その後橋梁が完成し、翌年3月に川越停車場まで全通したため、久米川仮停車場は廃止されることになった。それを知った住民は停車場の設置を川越鉄道に陳情し、工事資金と用地を提供することにより8月に久米川仮停車場から国分寺停車場寄りに東村山停車場が開業することになった。西口ロータリーに設置されている「東村山停車場の碑」の裏面には寄付者約250人の姓名とその金額が記されている。このように、周辺の主たる産業が農業であり、畑と雑木林ばかりであった東村山停車場に転機をもたらしたのは、東京市による公共事業だった。明治時代末期、東京市は人口の急増による飲料水不足が深刻な問題となっており、その対策を模索していた。そして、大和村(現・東大和市)の地に人造湖を造成することとなり、1916年(大正5年)から大規模な開発が行われることになった。東京市では、1920年(大正9年)に東村山停車場から建設現場までトロッコ軌道を敷設、連日多摩川から採取した砂利やセメントを国分寺を経由して東村山停車場でトロッコに積み換えて現場まで輸送した。また同じ頃、都心へ直接乗り入れるべく東村山停車場から分岐して国鉄高田馬場駅に向かう路線の建設を決定し、1925年(大正14年)から用地買収に着手した。東村山停車場はその建築資材の搬入先となり、工事の進捗とともにこれらの建設の工事関係者の流入により、停車場前はカフェ、商店、下宿屋、映画館などが軒を並べて活況を呈した。かつては国立療養所多磨全生園に収容されるハンセン病患者や、東村山に多く所在していた感染症患者向け診療所に入所する結核患者を乗せた「病人車」と呼ばれる臨時列車が国分寺方面から入線し、一般客から隔離された専用の駅舎とホームが現在の東口側に存在していた(このころ改札口は西口しかなかった)。病院が1929年(昭和4年)に自動車を購入し、品川、八王子、赤羽、三河島などの各駅に迎えに行くようになり「病人車」による患者輸送は廃止され、専用の駅舎とホームはすべて撤去された。その敷地は拡張された駅施設の下になっており、当時を偲ばせるものは全く残っていない。東京都の依頼により1944年(昭和19年)から鉄道による糞尿輸送が行われることとなり、コンクリート製の貯溜槽が駅の北側に設けられた。地元の人からは溜もしくはくそ溜といわれていた。毎朝糞尿を積んだ貨車がやってきていたが一日で汲取ってしまったという。また1945年(昭和20年)1月にはこれの底が抜け落ち、周囲に糞尿を撒き散らした揚句地下水が汚染されたという事故も発生している。使用廃止後は西武鉄道の社宅が建てられた。2011年に老朽化した社宅を壊したところ基礎の下からコンクリートの構造物が出土したため東村山ふるさと歴史館では学術調査をする予定となっている駅周辺の踏切では慢性化した渋滞が問題となっていたことから、東京都・東村山市・西武鉄道は東村山駅及び駅付近の新宿線、国分寺線、西武園線の約4.5kmの区間について鉄道を高架化し、道路と鉄道の連続立体化する構想について検討していた。間もなく事業化の方針が決まり、2012年、東京都が連続立体交差化計画を決定、2013年、国土交通省より都市計画事業認可。2015年6月着工。2024年度完成予定となっている。完成時には府中街道など5カ所の踏切が除去されるほか、駅は2面4線(新宿線上り本線、新宿線上り待避線・国分寺線上り・西武園線上り、新宿線下り待避線・国分寺線下り・西武園線下り、新宿線下り本線)の高架駅となる。島式ホーム3面6線の地上駅で、橋上駅舎を有する。各ホームを連絡する跨線橋は2本あり、所沢・西武園寄りのものは駅舎と一体である。各ホームと改札階、東口・西口地上部と改札階をそれぞれ連絡するエレベーター・エスカレーターが設置されている。トイレは改札内コンコース部に立地し、多機能トイレを併設する。図上部より以下の順番・東村山駅付近連続立体交差化事業のため、平成29年度後半より1番ホーム(国分寺・西武園線)を使用停止に、そして乗換跨線橋を撤去すると同時に配線が変わる模様。これの代替機能として、仮地下道・仮改札を設置し、平成33年度末頃に新宿線下り線を高架化し、その後順次西武園線・国分寺線・新宿線上りを高架化する予定。2011年度の一日平均乗降人員は45,705人で、西武鉄道全92駅中20位である。近年の一日平均乗車人員の推移は下表の通りである。2014年12月1日より、2016年3月31日まで発車メロディが東村山音頭に変更されていた。
4番線(新宿線下り)、5番・6番線(新宿線上り)で流れる部分が異なる。
なお、待避の関係で3番線に入る列車もあるが、こちらの列車に関しては非対応である(池袋線上り列車のメロディが流れる)。駅東口にはロータリーがあり、そこから真東に直線の道路が約1.2 kmにわたって完成したことで、再開発が進みつつある。かつて特急「小江戸」が通過駅だった当時、6月に北山公園で開催される「菖蒲まつり」期間中に特急「小江戸」が臨時停車していたことがあった。また、2012年にも西武鉄道創立100周年を記念し、西武新宿発19時台と20時台の下り4本が9月24日 - 30日の期間に臨時停車していた。2013年3月16日のダイヤ改正より特急「小江戸」の停車駅となり全列車停車駅になった。

出典:wikipedia

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