ボーランド (Borland、Borland International、Inprise Corporation、Borland Software Corporation) は、開発プロセス用ツールなどのソフトウェアの開発・販売会社である。PC 黎明期からTurbo Pascal(ターボ・パスカル)などのソフトウェア開発ツールを販売していたが、1990年代のマイクロソフトとの激しい争いを経て、2000年代前半、企業買収と社名変更を繰り返し、開発プロセスツール会社に変身した。現在の本社はアメリカのテキサス州オースティン。日本では1989年4月に日本法人である株式会社ボーランドジャパンが設立され、1992年にはボーランド株式会社に商号変更されて100%子会社となった。2009年5月6日、マイクロフォーカス(現・インプライズ株式会社)による買収の合意が発表され、現在は同社の一部門となっている。ボーランド(Borland International)は1983年に、フィリップ・カーン (Philippe Kahn、フランス人) によって設立された。最初に送り出された製品はアンダース・ヘルスバーグ (Anders Hejlsberg、デンマーク人) による「Turbo Pascal」であり、その後「Sidekick」などを発表。特に「Turbo C」「Borland C++」はその優秀さから、Microsoftの「Quick C」「Microsoft C/C++」「Visual C++」に対して互角以上の戦いを展開した。1990年代初頭、ボーランドは個人向けデータベース市場をめぐって、マイクロソフトと激しく争った。1987年9月に、Ansa-Software社のデータベース管理ソフト「Paradox」(バージョン2.0)を会社ごと買収し、さらにデファクト・スタンダードであるdBASEを取得し優勢と思われたボーランドであったが、マイクロソフトもMicrosoft Accessを開発、さらにdBASEのクローンであるFoxProを取得し反撃。dBASEの巨額の買収費用もたたり、戦いはボーランドの敗北に終わった。1996年10月に「Paradox」はカナダのコーレル社へ売却。1999年には「dBASE」までもがソフトウェア開発ツールに専念するために売りに出された。表計算ソフトにおける戦いも、ボーランドの敗北に終わった。1989年に送り出された、表計算ソフト「Quattro Pro」は当時としては注目に値する図表作成能力を備えていた。1994年「Quattro Pro」はNovellに売却され、その後、創始者のフィリップ・カーンもボーランドを去った。1995年、ソフトウェア開発ツールで巻き返しを図るボーランドは、Windows時代に対応したRADツール Delphiを発売。アンダース・ヘルスバーグ(Anders Hejlsberg)による洗練された設計は、マイクロソフト製ツールを圧倒した。これに対してマイクロソフトは、開発部門のトップであったポール・グロス(Paul Gross)上級副社長を筆頭に、アンダース・ヘルスバーグなど主要なボーランドの技術者を30ヶ月間に34人引き抜き対抗。「Dead Borlanders Society」と皮肉られる有様だった。怒ったボーランドはマイクロソフトを訴え、長期にわたる法廷闘争が繰り広げられた。なお、この引き抜き劇の真相について、アンダース・ヘルスバーグは日経ソフトウェア2002年7月号のインタビューで、直接的な原因は1994年にフィリップ・カーンが追放されたのを皮切りに、ボーランド社が開発ツール部門の廃止および大量リストラを計画したことが発端であり、リストラ対象となった開発者たちの生活を守るため、賛同者を引き連れてマイクロソフトに移籍したものであると語っている。1998年4月29日、デル・ヨーカム(Del Yocam)CEOの下、アメリカのボーランド本社は、社名を「インプライズ・コーポレーション」(Inprise Corporation) へと変更した。これは"Integrate the Enterprise" というスローガンに因んでいる。DelphiやC++Builder、JBuilderなどのボーランド製ツールをCORBA(1997年に買収したVisigenic社製)やVisiBroker、アプリケーションサーバなどの企業向けのミドルウェアと統合しようという政策である。しかし財政的にもイメージ的にも成功しなかった。1999年6月8日、マイクロソフトとの間で和解が成立した。インプライズは12,500万ドルを手に入れ表面上勝利を収めたが、インプライズの持つ特許はマイクロソフトに公開され、マイクロソフトに対してWindows用開発ツール市場で優勢に戦いを進めていく事は難しくなった。その後、マイクロソフトは自社の技術に加えて、インプライズから手に入れた技術者と特許を使って.NET Frameworkを開発。インプライズは.NET Frameworkへの対応に苦労するという皮肉な状況が続いている。Windowsでの戦いに敗れたインプライズはLinuxに注目。2000年2月、インプライズはコーレルとの合併を発表した。しかし、この計画はコーレルの株価の下落により破棄された。InterBase部門の分社化も、新会社の経営陣と条件が折り合わず、中止された。2001年には、「Delphi」のLinux版とも言えるKylix(カイリックス)を送り出した。しかし今の所、思惑通り普及していない。2001年1月に、「インプライズ」から「ボーランド・ソフトウェア・コーポレーション」(Borland Software Corporation) へと社名が変更され、「ボーランド」の名前が再び据えられた。その一方、ボーランドの大企業重視の姿勢は変わらなかった。成長著しいJava市場で「JBuilder」(ジェイ・ビルダー)はライバルを蹴散らし順調に成長。ボーランドは大企業向けJava開発ツールベンダーとしての性格を強めていった。2002年以降、ボーランドは上流から下流までの開発プロセス全体をカバーする為、企業買収を積極的に行った。取得した企業はTogetherSoft(UMLモデリング・ツール)、Starbase(要求管理、変更管理ツール)、Redline Software(テスト・ツール)、TeraQuest(プロセス・コンサルティング)、Segue Software(品質管理ツール)などである。ボーランドはALM (Application Lifecycle Management)を提唱している。ボーランドの製品をALMの各フェーズに当てはめるととなっている。買収に要した費用は数億ドルに及ぶと思われる。公開されている内訳はTogetherSoft(約1億8500万ドル)、Starbase(約2400万ドル)、Redline Software(約800万ドル)、Segue Software(約1億ドル)などである。傘下の開発プロセス企業の増加により、売上高に占める、開発者用ツール(以下IDE製品)の割合は減少。IDE製品への投資は大幅に削減され、それがまたIDE製品の売り上げ減少につながるという負のスパイラルに陥った。特に稼ぎ頭であったJBuilderはEclipse の普及とリストラにより衰退した。皮肉にも、これが急激なALM化を推し進めたデール・エル・フラー(Dale L Fuller)CEOの命取りとなった。2005年本社をカリフォルニア州スコッツヴァレーからクパチーノに移したボーランドは、2006年にIDE部門の完全子会社化を発表した。IDE製品はALM製品とは異なるビジネスモデルが必要であり、両立する事が難しかった。当初ボーランドは、売却を伴う分社化を目指したが、数ヶ月に及ぶ交渉はまとまらなかった。Developer Studio(Delphi、C++Builder、C#Builder)、JBuilder、Turbo、InterBase は新社名「CodeGear」(コードギア)の下で、引き続き提供される。2007年4月、ボーランドは本社とR&D部門をテキサス州オースティンに移転すると発表した 。オースティンはシリコンヒルズとして知られる、新興のIT企業の集積地である。買収した大手プロセスコンサルティング会社TeraQuestなどがある。 2008年5月7日、ボーランドはコードギアをエンバカデロ・テクノロジーズへ売却すると発表した。2008年6月30日、約2400万ドルの売却取引は無事に完了した。2009年5月6日、マイクロフォーカスによる7500万ドルでの買収の合意が発表された。2010年3月、日本でも統合が完了した。
出典:wikipedia
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