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根付

根付(ねつけ、ねづけ)とは、江戸時代に煙草入れ、矢立て、印籠、小型の革製鞄(お金、食べ物、筆記用具、薬、煙草など小間物を入れた)などを紐で帯から吊るし持ち歩くときに用いた留め具。江戸時代から近代にかけての古根付と、昭和、平成の現代根付に大別される。製作国の日本以上に、日本国外では骨董的蒐集品として高く評価されている。日本では郷誠之助と高円宮憲仁親王とが蒐集家として著名である。2人が遺した膨大な蒐集品は、いずれも東京国立博物館に寄贈され、その名を冠したコレクションとして所蔵されている。ポケットの無い男性用の着物で袋や印籠等を持ち歩く場合に、袋や印籠などに付けられた紐の他方の端に取付け、紐を帯の下に挟み、根付を帯の上方に出す事によって引っ掛って袋や印籠などが落ちないようにする目的で用いられた。大きさは数cmから、小さいものは1cm位のものもある。材質は黄楊、一位、黒檀等の堅い木や、象牙などが多い。江戸初期は簡素なものが多く、時代と共に実用性と共に装飾性も重視されるようになり、江戸時代後期に入って爆発的に流行した。この頃になると細かい彫刻が施されるようになり、根付自体が美術品として収集の対象となった。明治時代に入ると、海外から高い評価を得て主に輸出用に生産されるようになった。この頃になると実用性は薄れ、穴の空いた小型の精緻な彫刻としてより認知されるようになる。大正、昭和を経て一時衰退に向かった。平成に入って様々な分野から技術者・多種多様な素材が参入、現代根付として再び動きが活発になりつつある。安土桃山時代が終わり、徳川家康の天下が始まるのに合わせて、相当な薬愛用家だった家康は自分のみならず、高級武士や公家等にその大切さを説き、太平の世になっても外出時に、切り傷・腹痛・頭痛薬等常備薬を持ち歩くことを直参旗本や外様大名に奨励した。彼らは常備薬を携帯するに当たって、その入れ物として、印鑑と朱肉を入れた小さな携帯用印籠に目をつけ、これをさらに小型化し、印鑑や朱肉の代わりに薬を入れ、携帯用薬籠とした。この印籠を武士やその奥方が使用する場合、帯からぶら提げる時に、「留め具」の役目を果たしたのが「根付」である。印籠の普及期である江戸時代初期には、この根付として、銅製の糸印(いといん)が多く使用されたと言われている。豊臣秀吉は、糸印の著名蒐集家だった。高級武士もそれに倣い、糸印の蒐集に励んだ。江戸時代には各屋敷には少なからずの糸印が存在し、極自然的に印籠を提げる役割を果たした。しかしこの「糸印」は角張った形をしていたために、帯を傷めてしまう傾向があった。現在の様な“なごみ感”がある手触り仕上げになったのは、17世紀になってからである。また、17~18世紀にかけて、“なごみ感”プラス“洒落”・“エスプリ”・“伊達心”等が付け加えられ、近代の進化した根付が完成された。その要因として、17世紀頃までに印籠と根付がセットで、高級武士・公家から茶人・商人・町人まで普及し、その粋なファッション表現が昇華されたから、と考えられる。また、富裕層が所持した印籠や根付には、蒔絵や象牙等が使用され、彼らはお金に糸目をつけない芸術性を求めた。根付の持つ高い芸術性は現在、世界中の多くの人々から、日本独特の精緻的文化として認められており、当時の“日本人の心意気”を今に伝えている。この根付の文化が現在の携帯電話などに取り付けられる携帯機器用ストラップの伝統にもつながっていると見る説もある。根付の分類は、形状と作成地域による2種類が多く用いられる。形状として、輪車(環状)根付・差根付(さしねつけ)・饅頭根付・箱根付・形彫根付・柳左根付・鏡蓋根付などがある。作成地域は江戸、京都、中京(名古屋・伊勢・岐阜)、石見がある。

出典:wikipedia

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