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国鉄ED73形電気機関車

ED73形電気機関車(ED73がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した交流電気機関車である。ED72形量産車と基本設計を共通とする姉妹形式で、1962年・1963年に製造された九州地区用の交流電気機関車である。ED72形では旅客列車牽引用のため蒸気発生装置 (SG) を搭載したが、本形式は貨物列車や20系客車寝台特急などの牽引用としたためSGを未搭載とした。そのため制御方式をはじめ乾式変圧器・風冷式イグナイトロン水銀整流器・MT52形主電動機の搭載やED72形ならびに本形式のデザイン面での特徴でもある非貫通型前面で正面が「く」の字になった独特の形状も共通である。相違点としては、SG未搭載としたためにED72形より全長が3m短くなり、TR100形中間台車の省略と前後動力台車がDT119B形に変更となった点が挙げられる。車重もED72に比較すると20t軽い67.0tであるが、軸重は16.75tとなるため軌道条件による入線制限がある。なお、本形式は水銀整流器を搭載する最後の交流電気機関車でもある。1962年と1963年に11両ずつ計22両がED72形同様すべて東芝で製造された。以降の増備についてはED75形300番台とされた。本形式で施工された主な改造工事は以下に示す3件がある。施工はすべて小倉工場(現・小倉総合車両センター)である。1964年10月、東海道新幹線開業にともなって山陽本線系統に転用された特急「つばめ」・「はと」の博多乗り入れが実施された。同列車は直流専用の151系電車によるため自力走行できない下関以西では電気機関車を用いて牽引を行い、サービス用電源は機関車次位に連結したサヤ420形から供給することで対応した。交流電化区間である門司 - 博多間は、本形式が牽引に充当されることになり15 - 22に対して以下の改造を施工した。交直流両用の481系電車投入により、1965年10月1日にはこの変則的な運用は終了。改造車は原状復帰された。1968年10月1日のダイヤ改正で20系客車により運転されていた寝台特急列車は、ASブレーキに中継弁 (Relay valve) ・電磁給排弁 (Electro-pneumatic valve) ・ブレーキ率速度制御機能を付与したAREB増圧装置付き電磁指令式自動空気ブレーキへの改造を施工し110km/hでの、また10000系貨車による高速貨物列車は100km/hでの運転対応がされることになった。九州地区では本形式が牽引に充当されることになり対応する改造を1 - 12に施工した。さらに13 - 22の10両も翌1969年に弾力的な運用に対応するため同様の改造を受け、22両すべてが1000番台となり基本番台は消滅した。なお、20系客車による旅客列車でも本形式性能上の最高速度は100km/hである。本形式に搭載されていた水銀整流器をシリコン整流器に交換する改造工事。詳細はこちらを参照。新製後は全機が門司機関区に配置され鹿児島本線で貨物列車や蒸気暖房が不要な寝台特急の牽引を中心に投入された。軸重の問題から脆弱軌道路線への入線が制限されたために運用区間は鹿児島本線熊本駅以北に限られ、その後は電化の進展で1976年に長崎本線が加わったのみである。そのため1968年の1000番台改造後の20系客車寝台特急牽引仕業では、日豊本線系統を除いた北部九州地区での独占的な限定運用が組まれた。しかし、1970年の鹿児島本線全線電化の際には軸重制限問題に対処したED76形1000番台が登場し以後も増備されたことや寝台客車そのものも牽引機を限定しない14系・24系客車による運行へのシフト・貨物列車の減少・本形式そのものの老朽化に加え、1980年には北陸本線で余剰となったEF70形が転用されたことで置換えを開始。1982年までに全車廃車・廃形式となった。廃車後は1016が小倉工場で保管されていたが、荒廃により2006年頃に解体されたため保存車はない。

出典:wikipedia

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