少弐 資能(しょうに すけよし)は、鎌倉時代前期から中期にかけての武将・御家人。少弐氏2代当主。当時武藤氏は大宰府の責任者として大宰少弐の地位にあったため、資能の代から少弐姓を名乗るようになったという。資能は北九州に大きな勢力を持ち、幕府の鎮西奉行として、文永5年(1268年)、蒙古の使者の対応にも当たっている。文永の役直前に出家して覚恵と号し家督を長男・経資に譲ったが、老齢の身でありながら自身も対元の総司令官として参戦し、元軍の侵攻を阻止し撃退することに成功する。弘安4年(1281年)の弘安の役にも老齢の身を押して出陣した。壱岐島の戦いでは元軍を相手に奮戦し、壱岐島から元軍を駆逐した。しかし、この時の負傷がもとでまもなく死去したという。享年84。
出典:wikipedia
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