伊勢崎線(いせさきせん)は、東京都台東区の浅草駅から群馬県伊勢崎市の伊勢崎駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。2012年3月17日より、浅草駅 - 東武動物公園駅間・押上駅 - 曳舟駅間には「東武スカイツリーライン」という愛称がつけられた。駅ナンバリングの路線記号は浅草駅 - 東武動物公園駅間および押上駅 - 曳舟駅間がTS 、和戸駅 - 伊勢崎駅間がTI 。東武鉄道として最初に開業した北千住駅 - 久喜駅間を含む創業路線で、東京都区部東部の浅草駅から埼玉県東部を経て両毛地域を結ぶ。もともと同区間は日光街道の沿線であり、杉戸駅(現在の東武動物公園駅) - 東武日光駅間を結ぶ東武日光線の完成後は日光線の一部区間としての機能も担っている。日光線や東上線とともに東武鉄道の基幹路線であり、関東地方における主要幹線の一つである。ラインカラーについては、東武スカイツリーライン区間が青、東武動物公園駅以北が赤となっており、各駅の駅名標には浅草駅 - 東武動物公園駅間がオレンジと青(;東武スカイツリーラインのラインカラー)、東武動物公園駅 - 伊勢崎駅間が赤と黒(;伊勢崎線ラインカラー)が使われている。なお、押上駅は東京地下鉄(東京メトロ)の管理駅のため、東武鉄道のラインカラーは駅番号のシンボルマークにとどまっている。東京地下鉄(東京メトロ)日比谷線・半蔵門線および、半蔵門線を経由して東京急行電鉄(東急)田園都市線との相互直通運転を行っている。浅草 - 北千住間は隅田川に、北千住 - 東武動物公園間は国道4号(日光街道)にほぼ並行している。大正期の荒川放水路開削によって、北千住 - 西新井間は葛飾区小菅をかすめるルートに付け替えられた。浅草 - 北千住間は曲線半径の小さいカーブ区間が多いため優等列車でも速度規制がかかり、さらに浅草駅は基本的に6両編成(例外として1番線のみ8両編成、ただし曳舟方7・8号車はドアカット)以下の列車しか入線できないため、特に通勤輸送では列車本数や編成長が制限されてきた。しかし、2003年の半蔵門線・田園都市線との直通運転開始および2012年の東京スカイツリータウン開業に伴い、この区間の重要性は向上している。北千住 - 北越谷間はJR以外の日本の鉄道では最長の複々線区間が続き、緩急分離による高密度運転と優等列車の高速運転が可能である。また、沿線から北千住駅まで当線を利用し、同駅から他社線に乗り換えて東京都心部へ向かう乗客も多いため、同駅を境にした輸送量の段差が生じている。なお、北千住 - 北越谷の複々線区間で急行線のホームは北千住駅、西新井駅、草加駅、新越谷駅、越谷駅、北越谷駅の6駅のみに設置されている。北千住 - 館林間は関東平野の直中で直線区間が多く線路条件に恵まれている。一方、同区間を走行する列車の種別・行先・使用車種は多岐に亘りこれらが高頻度で運行されるため、ダイヤグラムには余裕時分が多めに盛られており、長距離列車の遅延やそれによる他列車への影響を極力防ぐダイヤとなっている。浅草駅では東京メトロ銀座線・都営地下鉄浅草線、とうきょうスカイツリー駅では東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄浅草線・京成押上線、曳舟駅では亀戸線、北千住駅では東日本旅客鉄道(JR東日本)の常磐線・東京メトロ日比谷線・千代田線・首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス、西新井駅では大師線、新越谷駅ではJR東日本の武蔵野線、春日部駅では野田線、久喜駅ではJR東日本の宇都宮線(東北本線)と接続する。東武動物公園駅は、東武日光線との分岐駅である。久喜駅は東京メトロ半蔵門線との相互直通乗り入れ区間の終端となる。南栗橋駅(日光線)は、東京メトロ日比谷線との相互直通乗り入れ区間の終端であり、かつ、東京メトロ半蔵門線との相互直通乗り入れ区間の終端ともなっている。かつての浅草駅発着の準急は館林以北・新栃木駅以北着発の長距離列車が多数存在していたが、2006年3月以降、浅草駅・半蔵門線方面からそれらの駅まで直通するのは特急、快速・区間快速(新栃木方面発着)、ラッシュ時の区間急行、土休日の区間準急(館林方面発着)等のみとなったため、日中を中心に久喜駅や南栗橋駅での乗り継ぎが必要となる場合が多い。久喜 - 太田間では国道122号にほぼ並行している。羽生駅では秩父鉄道秩父本線と、館林駅では佐野線・小泉線と、太田駅では桐生線・小泉線と、そして伊勢崎駅でJR両毛線と接続する。館林 - 伊勢崎間は単線区間となっているが、東武和泉駅をのぞく各駅で上下列車の交換が可能となっている。また、この単線区間では簡易委託駅が存在し、太田 - 伊勢崎間で導入されたワンマン運転と共に合理化施策が実施されている。館林 - 太田間においては、1994年10月に沿線自治体が「東武鉄道複線化促進期成同盟会」を結成し、毎年複線化の要望を行ってきた。2006年9月に東武鉄道は上毛新聞の取材に対して、10年間で3割近く利用者が減少しており、複線化は実現の見通しがないことを明らかにした。また、同区間では小泉線経由の方が距離が短いが(伊勢崎線経由は20.1km、小泉線経由の実キロは16.2km)、両駅間を結ぶ直通列車の運行は伊勢崎線経由に限られ、営業キロ数も伊勢崎線に合わせる形で小泉線が割増されている。1962年5月31日には、北千住駅から東京メトロ日比谷線との相互直通運転を開始した。2003年3月19日には曳舟駅から分岐して押上駅までの連絡線が完成し、東京メトロ半蔵門線との相互直通運転を開始した。連絡線は正式には伊勢崎線業平橋(現・とうきょうスカイツリー) - 曳舟間の別線(伊勢崎線の複々線部分)という扱いで建設され、とうきょうスカイツリー駅と押上駅は運賃計算上同一駅の扱いとなっている。日比谷線・半蔵門線の2ルートによる地下鉄との相互直通運転が開始され、2006年3月18日からは半蔵門線直通列車が大増発された。その結果、現在では、北千住 - 東武動物公園間の運行本数の8割強が浅草駅に向かわない地下鉄直通列車で占められるまでになった。東向島 - 牛田間の各駅は半蔵門線に直通するすべての列車が通過するため、浅草 - 北千住間を折り返し運転する各駅停車(同区間を各駅に停車する区間急行・区間準急を含む)が曳舟で半蔵門線直通列車に接続することで半蔵門線方面への利便性を保っている。キロポストは北千住から伊勢崎に向かって純粋に数字が増えていく。ただし、北千住から浅草・押上方面のキロポストは後から開業したため、マイナス表示になっている。ちなみに、1990年から2003年までとうきょうスカイツリー駅(当時は業平橋駅)にあった地上ホーム(3 - 5番線)は10両対応だった。このホームの跡地に東京スカイツリーが建設された。当路線は1899年(明治32年)に北千住 - 久喜間を開業したことに端を発する。開業当初は、2時間間隔で1日7往復の旅客・貨物混合列車の運転だった。その後も北へ路線を延伸し、1903年(明治36年)に利根川の南岸に位置していた川俣駅(足利町駅への延伸により北岸に移転)まで開業したが、この当時、東武鉄道は経営難に陥っていた。その後、1905年(明治38年)に根津嘉一郎が東武鉄道の社長に就任した後は、彼の経営手腕によって利根川を架橋することが断行され、1907年(明治40年)に足利町駅(現・足利市駅)まで開業した。これ以降は貨物輸送によって経営難から逃れ、1910年(明治43年)に伊勢崎駅までの全線開業に辿り着いた。一方で都心側のターミナル駅選定には難航し、1902年(明治35年)に吾妻橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅)へ延伸したものの、亀戸線が開業し、総武鉄道両国橋駅(現・両国駅)への乗り入れを果たした1904年(明治37年)に曳舟 - 吾妻橋間を廃止した。これによって一時は両国橋駅がターミナル駅となったが、1907年(明治40年)に総武鉄道が国有化されると状況は急変し、東武鉄道は自社のターミナル駅を保有することを迫られた。そこで、廃止していた曳舟 - 吾妻橋間を1908年(明治41年)に再開業し、1910年(明治43年)に吾妻橋駅を浅草駅に改称した。これが、伊勢崎線の駅で初めての駅名改称となる。大正に入ると、輸送量の増加により都心側の随所で複線化、および電化が行われるようになった。1912年(明治45年)に浅草 - 鐘ヶ淵間が複線化されたのを皮切りに、1920年(大正9年)には東京市内の全区間が、1922年(大正11年)には北千住 - 久喜間が複線化された。また、1924年(大正13年)に浅草 - 西新井間が電化されたことを機に、東武鉄道初の電車としてデハ1形が製造、運行された。1923年(大正12年)には荒川放水路の工事により、鐘ヶ淵 - 西新井間の線形が変更された。この線形変更に際し、北千住 - 西新井間は開業当初のルートよりも北方に線形を取り、現在の小菅・五反野・梅島を経由するようになり、北千住 - 小菅間で荒川を架橋することとなった。堀切 - 鐘ヶ淵間は直線になって区間距離が短縮されたものの、両駅の構内で急カーブを生じるようになった。なお、鐘ヶ淵付近の旧線は荒川放水路の中となっているため痕跡は残っていないが、西新井駅付近は西新井工場の構内線路に流用され、小菅付近 - 西新井の旧線は大部分が道路(現在の梅田通り、亀田トレイン通りなど)や住宅地に転用された。そのため、足立区梅田七丁目の梅田通り終点(梅島駅の南方)には「東武鉄道旧線路跡」の碑がある。昭和に入ると、当時としては東京一の繁華街であった浅草への乗り入れで京成押上線と競合し、京成電気軌道(現・京成電鉄)と激しく争った。その結果、京成は1928年に京成電車疑獄事件が起きて乗り入れを断念し、当路線が1931年(昭和6年)に浅草雷門駅(現・浅草駅)への乗り入れを果たした。しかし、戦後の復興によって都市機能の拠点が山手線上に分布していくと、山手線と接続しない当路線は沿線開発で不利な状況に追い込まれた。1955年(昭和30年)頃には北千住から新橋や東京八重洲を結ぶ地下鉄道建設を運輸省(現・国土交通省)へ数回に渡って出願した。だが、それらの出願はすべて却下され、東京都を走る大手私鉄の基幹路線でありながら、当路線は唯一山手線に接続できなかった。そのような中で、当路線は1962年(昭和37年)に北千住駅を介して営団地下鉄日比谷線(現・東京メトロ日比谷線)との直通運転を開始した。東京の地下鉄と郊外電車で直通運転を開始したのは、京成押上線・都営地下鉄浅草線の直通運転に次いで2例目であった。日比谷線との直通運転により北千住 - 浅草間の利用客が激減し、一時的な減収は避けられなかったものの、それを上回る勢いで沿線開発が進み、利用客が瞬く間に増加していった。マンモス団地と謳われた草加松原団地や武里団地などの入居が開始されたのも、当路線が日比谷線との直通運転を果たした直後である。1966年(昭和41年)には乗り入れ区間が北春日部駅まで延長され、日比谷線直通列車が6両編成になった。さらに1981年(昭和56年)には東武動物公園駅まで延長され、同年に開園した東武動物公園の宣伝にも一役買った。沿線開発が進むにつれてラッシュ時は激しく混雑するようになり、特に北千住駅では準急列車と日比谷線との乗換客の列でホームが埋め尽くされる事もあった。1969年(昭和44年)度の秋季交通量調査では、朝ラッシュの最混雑区間である小菅 → 北千住間の混雑率は248%を記録し、当該年度では大手私鉄の路線で最高値を計上した。輸送量を増強すべく、1971年(昭和46年)には日比谷線直通列車が8両編成になり、1972年(昭和47年)には地上車の8両編成が営業運転を開始したものの、これ以上の長編成化は浅草駅の制約により困難であった。当時の朝ラッシュ時の上りダイヤはせんげん台駅から北千住駅が平行ダイヤで、増発の余地もなかった。10両編成の列車が営業運転を開始したのは1986年(昭和61年)であり、これは東武鉄道の主要幹線の一つである東上本線と比較しても10年ほど遅い時期である。そこで運転本数の増加に努めるべく、1974年(昭和49年)に関東私鉄初の複々線が北千住 - 竹ノ塚間で竣工し、供用を開始した。同区間ではラッシュ時の本数が大幅に増加しただけでなく、準急のスピードアップにも貢献した。複々線は1988年(昭和63年)に草加駅まで延ばされ、その際のダイヤ改正で日中の準急が毎時6本に増発された。平成に入ると輸送人員が減少傾向に入ったが、ラッシュ時の北千住駅は乗換客により混雑を極め、依然として危険な状態が続いていた。そこで北千住駅での乗換客を減らすべく、1988年(昭和63年)に浅草う回制度が、1990年(平成2年)に押上う回乗車制度が導入された。これにより、北千住駅を経由する定期券を所持していれば、浅草駅・業平橋駅を経由しても都心に行き来できるようになった。だが、それだけで対応しきれるようなものではなく、更なる輸送力の増加と北千住駅の抜本的改造が求められた。これが一段落したのが1997年(平成9年)であり、北千住駅の立体化と越谷駅までの複々線化が完工し、私鉄最長の複々線を持つ路線となった。複々線は2001年(平成13年)に北越谷駅まで延ばされ、その距離は18.9kmに及ぶ。これらの事業は特定都市鉄道整備事業計画に認定されたもので、総事業費は840億円であった。複々線が完成した2001年のダイヤ改正では、朝ラッシュ時における竹ノ塚 - 北千住間の上り列車で毎時45本が運行されるようになった。これは関東私鉄において、一路線が一時間で運行される本数では最大であった。また、2003年(平成15年)には押上駅を介して営団地下鉄半蔵門線(現・東京メトロ半蔵門線)・東急田園都市線との直通運転を開始し、10両編成の優等列車が初めて都心へ直通するようになった。この直通運転に際して曳舟 - 押上間が新規に建設されたが、正式には曳舟 - 業平橋(現・とうきょうスカイツリー)間の複々線化として扱われており、押上駅は業平橋駅と同一駅扱いとしてみなされるようになった。この事業も特定都市鉄道整備事業計画に認定されたもので、総事業費は843億円であった。それまで当路線は浅草駅の制約により編成長が制限され、輸送力は本数を増加することで賄っていたが、ここに来て初めて安定した輸送力を手に入れることができた。しかし、直通開始時は浅草駅発着の準急を基本とした旧来からのダイヤを受け継いだため、半蔵門線直通列車は少数に抑えられた。そして、2006年(平成18年)のダイヤ改正は種別名変更が伴うほどの大規模な白紙改正となり、半蔵門線直通列車が終日に渡って増発され、ラッシュ時の輸送力も増強された。代わりに、日中の浅草駅発着の準急が廃止され、太田 - 伊勢崎間の普通列車が終日3両編成のワンマン運転になるなど、運行系統が主要駅で分断されるようになった。しばらく大きな動きはなかったが、2013年(平成25年)のダイヤ改正で再び転機が訪れた。東急東横線と東京メトロ副都心線が直通運転を開始したことに伴い、東横線と日比谷線の直通運転が廃止された。日比谷線の車両運用に余裕が生じることになったため、日比谷線との相互直通区間が日光線南栗橋まで延長された。輸送人員や混雑率もピーク時と比較すると落ち着いてきたため、朝ラッシュ時に行っていた増解結を廃止し、運転本数も最大で毎時40本に減便された。そのため伊勢崎線の車両にも余裕が生じ、10000系の一部車両が野田線に転用された。また、太田 - 伊勢崎間で運用されていた3両のワンマン編成が、館林まで直通するようになり、太田駅を直通する普通列車が復活した。一方、この普通列車と接続する昼間の浅草方面からの普通・区間急行・区間準急列車が館林止まりとなったため、全線を直通する普通列車は依然として存在しない。当線は東京都と埼玉県・栃木県・群馬県を結ぶ路線である。運転時間帯は5時00分 - 翌1時16分。日中1時間あたりの運行本数は以下のようになっている(2013年3月16日現在)。特急は専用車両を使用し、特別料金を徴収する座席指定制列車として運行される。以下の列車がある。詳細は各記事を参照。このうち、特急「りょうもう」については主な運行区間が浅草駅 - 太田駅 - 桐生線の赤城駅間であり、浅草駅 - 伊勢崎駅間全線を運行する列車もある。特急「スカイツリートレイン」は上り1本のみ太田発で運行され、その他は野田線(上り1本のみ)・日光線・鬼怒川線に直通する。その他の列車は、運行系統としては日光線・鬼怒川線・宇都宮線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線に直通する列車である。快速・区間快速は日光線・鬼怒川線・野岩鉄道会津鬼怒川線・会津鉄道会津線を経由して、栃木県の東武日光駅および福島県の会津田島駅に至る長距離列車である。シンボルカラーは、快速が青、区間快速が水色。伊勢崎線内の停車駅は急行より少ない。詳細は「東武日光線快速・区間快速」を参照のこと。後述の同じ「区間」のつく「区間急行」と「区間準急」は浅草駅 - 北千住駅間は各駅に停車するが、「区間快速」は浅草駅 - 北千住駅では途中とうきょうスカイツリー駅のみに停車する。当初は2012年3月17日に業平橋駅から改称したとうきょうスカイツリー駅にも同日から一部の特急が停車していたが、区間快速は通過していた。2013年3月16日より停車駅となったが、日中の運転本数が1時間に1本から2時間に1本に削減された。現在のダイヤでは下り4本のみ快速でそれ以外は区間快速が設定されている。急行は久喜駅・日光線南栗橋駅発着で、押上駅より東京メトロ半蔵門線に乗り入れ、渋谷駅を経由して東急田園都市線の中央林間駅(一部長津田駅)まで運行される列車である。曳舟駅 - 東武動物公園駅間は主要駅のみ停車して速達輸送の役割を担う。路線図上のシンボルカラーは濃ピンク。東急5000系の字幕車・フルカラーLED搭載車は赤色地に白文字で、東武30000系及び50050系(3色LED搭載車)は赤色地に黒抜き文字で、東急8500系の3色LED搭載車は無点灯地に赤文字で、東京メトロ8000系及び08系(3色LED搭載車)は緑枠の無点灯地に赤文字で急行と表記される。当種別は2003年3月19日の半蔵門線直通開始と同時に通勤準急として運行開始した。しかし、平日は朝に上り4本・夕方に下り19本、土休日は上り1本・下り2本のみの設定だった。2006年3月18日ダイヤ改正からは現行の急行に名称が変更され、ほぼ終日運行されるようになった。なお、それまでの別途料金が必要な急行(「しもつけ」・「きりふり」・「ゆのさと」など)は特急に種別変更された。全列車が10両編成で終日約10分間隔で運行されている。日中は1時間あたり久喜駅発着が4本、南栗橋駅発着が2本運行されており、草加駅とせんげん台駅で緩急接続を行う。夕方・深夜の一部の下り急行は、春日部駅で緩急接続を行う定期列車もある。また、ダイヤの乱れが発生した場合は、西新井駅・新越谷駅・越谷駅で緩急接続を行う場合もある。朝と夜には東武動物公園駅発着も数本設定されている。2006年3月18日から2013年3月15日まで日中は久喜駅・南栗橋駅発着が1時間あたり3本ずつ交互に運行されていたが、後述する日比谷線直通区間が南栗橋駅まで延長されたことや、日中に1時間あたり3本ずつ設定されていた久喜発着の区間準急列車の廃止に伴い現在の本数に変更された。2013年3月16日のダイヤ改正により、平日夜間の日光線方面の区間急行廃止に伴い運行時間帯が拡大された。日中は上りについては1時間あたり6本のうち4本が東急田園都市線 - 東京メトロ半蔵門線内各駅停車で運転され、残り2本(30分に1本)は中央林間駅まで全区間急行運転を行う。一方下りは1時間あたり6本のうち東急田園都市線内を急行・準急・各駅停車で運転される列車がそれぞれ2本ずつ設定されている。朝・夕には久喜・南栗橋 - 長津田間の運転や、東武動物公園 - 長津田・中央林間間の運転も設定されている。2006年3月18日のダイヤ改正による半蔵門線直通列車の大増発に伴い、久喜駅および日光線の南栗橋駅で系統分割が行われた。このため、久喜駅では館林・太田方面の、南栗橋駅では新栃木方面の各駅停車列車に相互接続が考慮されている。また、北千住駅・曳舟駅では浅草発着列車との相互接続も考慮されている。なお、越谷駅では特急・快速・区間快速の通過待ちを行うことがある。区間急行は主に浅草駅・北千住駅 - 東武動物公園駅・館林駅・太田駅間および日光線の南栗橋駅・新栃木駅発着で運行される。北千住駅 - 東武動物公園駅間では主要駅のみ停車して速達輸送の役割を担い、その他の区間では各駅に停車する。路線図上のシンボルカラーは薄ピンクで、英文表記はSECTION EXPRESS。フルカラーLED搭載車は無点灯地に赤文字で、字幕車は赤色地に白文字でと表示される。2013年3月16日現在、下り列車は浅草駅基準で平日が5 - 9・16 - 23時台、土休日が5 - 9・21 - 23時台、上り列車は東武動物公園駅基準で平日が5 - 9・22 - 23時台、土休日が5 - 9・23時台の運転となっている。基本的に6両編成であるが平日朝ラッシュ時の館林・南栗橋 - 浅草間、夕ラッシュ時に設定されている館林行きの一部列車では8両編成で運転される。なお、北千住発着も「区間急行」であり「急行」とはならない。2006年3月17日までは準急として伊勢崎線・日光線・宇都宮線の全線で終日運転され、東武本線の無料優等列車として最も長い歴史があった。1936年当時の停車駅は、浅草雷門(現:浅草駅)・業平橋(現:とうきょうスカイツリー駅)・請地(1949年廃止)・曳舟・玉ノ井(現:東向島駅)・北千住・西新井・草加・越ヶ谷(現:越谷駅)・粕壁(現:春日部駅)・杉戸(現:東武動物公園駅)以北の各駅であった。日比谷線との直通運転開始以降、浅草駅 - 北千住駅間の輸送力が激減したことに伴い、1963年から数回のダイヤ改正を経て、浅草駅 - 北千住駅間が全列車各駅停車となった。1967年4月15日にせんげん台駅が、1997年3月25日に新越谷駅が停車駅に加わった。2003年3月17日までは業平橋駅発着列車、2006年3月17日までは伊勢崎駅発着と東武宇都宮駅発着もあった。しかし、2006年3月18日のダイヤ改正から、現行の区間急行に名称が変更された上で運行本数・時間帯が削減された。区間急行となった後も2009年6月5日までは東武日光駅発着(および会津田島発)の列車も存在していたが、いずれも館林駅・太田駅や新栃木駅で系統分割された。準急時代の1986年8月26日から2013年3月15日までは館林駅・南栗橋駅 - 北千住駅・曳舟駅・業平橋駅(2012年3月17日からはとうきょうスカイツリー駅)間を10両編成でも運転されており、その他の区間へ直通する場合は業平橋駅(とうきょうスカイツリー駅)をのぞくそれぞれの駅で増解結作業を行っていた。2013年3月16日より朝ラッシュ時の10両編成が8両編成に変更となり、館林駅・南栗橋駅・北千住駅での増解結作業が廃止となり全車両浅草駅まで運行と変更された。また、日光線の新栃木駅発着の区間急行は南栗橋駅 - 新栃木駅間の普通列車や浅草駅 - 東武動物公園駅間の区間準急に置き換えられる形で大幅に削減され1日1往復のみとなった。残った1往復は6050系による運用(南栗橋車両管区新栃木出張所への入出庫を兼ねた運用で、早朝の新栃木発・夜の新栃木行き)となっており、10000系列や30000系による運用が廃止された。この他、平日の16時台の南栗橋発1本、平日深夜の北春日部行き(本来は通過駅)1本が廃止され、土休日早朝の春日部発1本は平日夜間に変更された。平日朝の上りには地下鉄半蔵門線直通車両(30000系の直通対応車または50050系)が使用される列車が1本存在したが、2013年3月16日より当該列車は急行となりこの運用は廃止された。準急は久喜駅・日光線南栗橋駅(一部北越谷駅・東武動物公園駅)発着で、押上駅より東京メトロ半蔵門線に乗り入れ、渋谷駅を経由して東急田園都市線の中央林間駅(一部二子玉川駅・鷺沼駅・長津田駅)まで運行される列車である。その他に半蔵門線内発として清澄白河発の列車が早朝に設定されている。東急田園都市線内では急行または各駅停車として運転され、逆に田園都市線において2013年3月現在平日朝に3本運行されている準急久喜行はいずれも伊勢崎線内急行として運転されている。シンボルカラーは緑で、英文表記はSEMI EXPRESSもしくはSEMI EXP.である。東急5000系のフルカラーLED搭載車及び字幕車は緑色地に白文字で、東京メトロ8000系・08系は緑枠の無点灯地に緑文字で準急、東急8500系・東武30000系及び50050系の3色LED表示は緑地に黒抜き文字でと表記される。押上駅 - 新越谷駅間の停車駅は急行と同じで、新越谷駅 - 久喜駅・南栗橋駅間は各駅に停車する。通常10両編成で朝のラッシュ時と深夜に運行される。なお、平日上りの最終準急は半蔵門線に直通せず押上終着となる(押上駅では押上発の半蔵門線列車である各停鷺沼行き最終に接続)。2003年3月19日の半蔵門線直通開始当初は区間準急として平日ラッシュ時以外に運行されていたが、2006年3月18日のダイヤ改正から、現行の準急に名称が変更された上で朝と深夜のみの運行となった。かつては長津田駅 - 北越谷駅間で準急運転を行う下り列車があったが廃止となる。この当時、東急線内は上り(渋谷方面)かつ平日しか設定されなかった。その後、2014年6月21日のダイヤ改正で東急線の下り(中央林間方面)かつ土休日にも設定されたため、平日朝の東武動物公園駅発長津田行きの1本は全区間準急として運転される。車両は東京メトロ車で運転される。急行同様、曳舟駅で浅草方面発着列車との接続が考慮されている。越谷駅 - 東武動物公園駅間では準急は各駅に停車するが、区間急行はせんげん台駅と春日部駅のみに停車する。一方で区間急行が各駅に停車する曳舟駅 - 北千住駅間では準急がノンストップとなっている。そのため、下り列車の場合、曳舟駅で準急に抜かれた区間急行が、せんげん台駅または春日部駅で準急を抜き返し、東武動物公園駅から先、久喜駅・南栗橋駅には区間急行が先に到着するというダイヤになっている。したがって、区間急行と準急はその緩急順位が全区間で一定しないが、列車種別案内などでは「区間急行」が「準急」より上位側に記されている。以前の朝夕のラッシュ時の一部の上り準急列車は、せんげん台駅で抜かれた区間急行を鐘ヶ淵駅で抜き返し、曳舟駅以南には準急のほうが先に到着するというダイヤが組まれていたが、煩雑さの解消と利便性の確保のため、曳舟駅まで区間急行を先行させるように改めた。区間準急は、主に浅草駅 - 東武動物公園駅・久喜駅間で運行され、一部は南栗橋駅発着・館林行き・太田発が運行される。急行線としての機能を持つ北千住駅 - 新越谷駅間は急行と同じ停車駅に停車するが、それ以外の区間では各駅に停車する。朝夕ラッシュ時に運転されている北越谷発着の普通を補完する形で、該当する時間帯は約20分間隔で運行されている。また、ほとんどの上りの区間準急は東武動物公園駅で日光線南栗橋駅発着急行と接続する。平日は北越谷行きの区間準急も存在する。基本的に6両編成であるが8両編成で運転される場合もある。なお2013年3月15日までは平日朝の区間急行の折り返しと夜間の北千住発北春日部行きの1本のみは10両編成で運転されていた。路線図上のシンボルカラーは黄緑で、英文表記は「SECTION SEMI EXPRESS」もしくは「SECTION SEMI EXP.」。フルカラーLED搭載車(東急5000系含む)は無点灯地に緑文字で、字幕車は緑地に白文字でと表記される。現在は運用に入らないが、東急5000系の字幕車は白地に緑文字でと表記されていた。区間準急は1997年3月25日より運行開始。北千住駅 - 南栗橋駅間で30分おきに運転され、浅草発北春日部行き(北千住駅までは各駅に停車)の列車も深夜に1本のみ設定された。2003年3月19日から日中の北千住駅発着列車を延長・増発して曳舟駅 - 北千住駅間ノンストップの押上・半蔵門線方面直通列車(現在の準急)が設定されたが、朝夕を中心に北千住駅発着と浅草発北春日部行きも残存した。準急の節で述べた停車駅の違いによる問題から、2006年3月18日のダイヤ改正から、押上・半蔵門線方面への区間準急が準急に名称変更され、浅草駅・北千住駅発着専用の種別となった。同時に浅草駅発着が主となり北千住駅発着は朝夕に限定され、北千住終着も2009年6月6日に廃止されたが2013年3月16日より平日の朝に2本(南栗橋・北春日部発)再設定された。しかし朝夕の北千住発が廃止され、夕方以降に関しては新栃木駅発着の区間急行を東武動物公園駅発着の区間準急に格下げ・系統統合、区間短縮されている。また、昼間時間帯の浅草駅 - 久喜駅間も廃止となり浅草駅 - 竹ノ塚駅間の普通列車に格下げされた。区間急行同様に北千住駅発着も「区間準急」であり「準急」とはならない。平日朝の下りに、前記の区間急行の折り返しとして地下鉄半蔵門線直通車両(30000系の直通対応車または50050系)が使用される列車が1本存在したが、2013年3月16日改正で当該列車は急行となりこの運用は廃止された。普通列車は主に以下の区間で運行される(送り込み運用などで例外あり)。車内や駅でのアナウンスでは、各駅停車と称される(ごく一部の駅アナウンスでは「普通」を使用)。路線図上のシンボルカラーはグレーで、英文表記は「LOCAL」。フルカラーLED搭載車及び字幕車では白地に黒抜き文字で、3色LED搭載車は無点灯地にオレンジ文字でと表記される。ただし日比谷線直通車両に関しては、東武鉄道・東京メトロの車両ともに列車種別の表記はない。20m車は基本的に6両編成であるが8両編成で運転される場合もある。前記の区間に含まれていない東武動物公園駅 - 久喜駅間(途中駅は和戸駅のみ)では特急を除く全列車が終日各駅に停車するため、普通列車の設定はごくわずかとなっている。種別名変更された旧準急は「区間急行」、旧通勤準急は「急行」を参照。また、この節で単に『準急』と記したものは、2006年3月17日以前に設定されていた準急(2006年3月18日以降の区間急行)を示すこととする。1987年7月のダイヤ改正で準急に格下げされ消滅した種別である。北千住 - 太田・新大平下間で快速運転を行う種別で、休日にも運転されていた。廃止時は東武日光・東武宇都宮(新栃木で東武宇都宮発着2両を分割併合)発着の上下1往復のみ設定されていたが、所要時間は北千住 - 春日部間で上り35分(休日は31分)、下り31分であり、準急を追い抜かすことはなかった。この影響で北千住 - 春日部間の休日上りダイヤでは、前後の準急が14分開いた。当種別が廃止された後、伊勢崎線では1往復だけ設定される準急A(後述)としてしばらく名残が見られ、日光線では東武日光・東武宇都宮発着の準急として2006年3月17日まで名残が見られた。車両は、日光線方面発着列車であっても4扉通勤車が用いられ、種別表示に『通勤快速』がないため単に『快速』と表示されていた。かつて5000系が登場直後に充当された種別でもある。2003年3月18日までは、浅草 - 伊勢崎間で運行されていた準急の一部(廃止時は日中のみに上下6本ずつ・1時間ごと)が北千住 - 太田間を速達運転する「準急A」として設定されており、北千住 - 東武動物公園間のみを速達運転する「準急B」と区別していた。ただし、種別表示では単に『準急』と書かれ、東武時刻表の当該路線のページや放送などの旅客案内上もAやBという呼称は用いず、「東武動物公園 - 北千住間準急」「太田まで準急」などと、準急運転区間の駅名を用いて案内がなされていた。また、準急Aについては停車駅こそ優等であるものの、当時の通勤型車両の営業最高速度は95km/hであったため、実際の運転速度は停車駅間距離の比較的長いところでは100km/h運転が可能な現在の東武動物公園以北の各駅停車(区間急行の郊外区間や久喜以北でピストン運転している普通など)列車より必ずしも速かったとは限らなかった。準急Aの廃止により準急の速達運転区間が北千住 - 東武動物公園間に統一された。以下の路線との相互直通運転が実施されている。鬼怒川線新藤原駅を経由して快速・区間快速列車が浅草駅から野岩鉄道会津鬼怒川線経由会津鉄道会津線会津田島駅まで運行されている。おおむね1-2時間に1本の運転で、6050系が充当される。観光シーズンには夜行列車(尾瀬夜行・スノーパル)も運行され、300・350系が充当される。北千住駅を介して、普通列車が竹ノ塚駅・北越谷駅・北春日部駅・東武動物公園駅および日光線南栗橋駅から東京メトロ日比谷線中目黒駅まで運行されている。日比谷線は2013年3月15日まで東急東横線とも相互直通運転を行っていたが、当時から3社を直通する列車はなく、伊勢崎線方面からの列車は中目黒止まり(一部は南千住駅・霞ケ関駅・六本木駅折り返し)となっていた。日中の北千住駅 - 東武動物公園駅間の各駅停車は浅草駅 - 竹ノ塚駅間の普通列車をのぞきすべて日比谷線直通列車であるが、2013年3月16日のダイヤ改正までは、新越谷駅 - 東武動物公園駅間の各駅に停車する区間準急が運行されており、日比谷線直通列車の半数が北越谷駅発着となっていた。戦前より、東武鉄道は独力で都心までの路線延伸を企図していた。戦前期には筑波高速度電気鉄道の免許を使って北千住駅 - 上野駅間の延伸を果たそうとしたが、買収価格を引き下げようとした結果京成電鉄に購入されてしまい失敗した。高度成長期には北千住駅から上野・新橋方面までの延伸を計画したが、「都心乗り入れは地下鉄との相互直通運転で」という都市政策上計画を断念し、1962年5月31日の北越谷駅から営団地下鉄日比谷線人形町駅まで相互直通運転開始により都心直結を実現した。相互直通運転開始後、草加市や越谷市などは東京近郊のベッドタウンとして人口が急増した。翌1963年2月28日には相互直通運転区間を東銀座駅まで延長し、1964年8月29日の日比谷線全通により中目黒駅までの乗り入れを開始した。1966年9月1日には北春日部駅まで相互直通運転区間が延長され、同年の武里団地開設もあって春日部市の人口が急増した。さらに1981年3月16日からは、その日に杉戸駅から改称された東武動物公園駅まで相互直通運転区間を延伸した。これにより、日比谷線区間内でも「東武動物公園行きが参ります」と駅名が連呼され、日比谷線各駅の案内でも「北千住・東武動物公園方面」と表示されるようになり、3月28日に開業した東武動物公園の宣伝にも一役買った。2013年3月16日には東武日光線南栗橋駅まで相互直通運転区間が延長された。この日に行われたダイヤ改正では、南栗橋駅発着の日比谷線直通列車が大幅に新設され、昼間時は1時間に2本が設定されている(残りの4本は東武動物公園駅発着)。この時から東武鉄道の車両だけでなく東京メトロの車両も使用されるようになり、東京メトロの車両は行き先表示に「南栗橋」が用意された。ただし、それ以前にも例外として、2003年3月19日改正より朝に1本のみ南栗橋発中目黒行きの普通列車が設定されていた。この列車は東武鉄道の車両での運行であった。このほか、南栗橋車両管区への入庫のための間合い運用として、東武鉄道の日比谷線直通用車両による東武動物公園発南栗橋行きの普通列車が運行されていた。日比谷線では2社(2013年3月15日までは3社)の車両が使用されており、列車番号末尾アルファベットの「T」は東武所有車両(20000系列・運用番号は01T - 41Tの奇数)、「S」は東京メトロ所有車両(03系・運用番号は02S - 74Sの偶数と61S - 69Sの奇数)、「K」は東急所有車両(1000系・運用番号は81K - 87Kの奇数、偶数の両方)を示しているが、東武鉄道の車両は東急東横線に乗り入れることができず、東急の車両も伊勢崎線に乗り入れることができなかった。また東京メトロの車両は東武・東急への乗り入れが可能であるが、結局は日比谷線経由で3社を直通する列車は設定されなかった。なお、各社間の走行距離調整の関係上、東武鉄道の車両(2013年3月15日までは東急の車両も)は日比谷線内のみで運転される列車にも使用されている。また2013年3月16日改正ダイヤでは、東武車2本が日比谷線内の千住検車区で、メトロ車2本が南栗橋車両管区春日部支所でそれぞれ夜間留置となる「外泊運用」が組まれている。どの列車がどの会社の車両で運転されるかは、『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)の列車番号欄などでわかる。東急東横線は2013年3月16日より東京メトロ副都心線を介して東上線とも相互直通運転を行っていることから、中目黒駅では20000系列が東上線からの乗り入れ用車両(9000系・9050系・50070系)と顔を合わせるシーンも見られるようになった。押上駅を経由して、急行・準急列車が久喜駅・日光線南栗橋駅から東京メトロ半蔵門線経由東急田園都市線中央林間駅まで運行されている。日比谷線との直通運転開始後、沿線の人口が急増するとともに伊勢崎線も乗客が急増した。東武鉄道は北千住駅以北の複々線化で輸送力増強・混雑緩和を図ってきたが、北千住駅での日比谷線との乗り換えに伴う混雑が非常に激しくなり、抜本的な改良が求められた。同一ホームでの乗り換えから伊勢崎線(1階)と日比谷線(3階)に乗り場を分離する北千住駅重層化が1996年7月に完成し、ホームに乗客があふれる状況は軽減された。北千住駅の重層化と並行して、さらなる混雑緩和対策として「もう1つの都心直通ルート」を検討した結果、当時東京北東部への延伸計画のあった半蔵門線との直通運転を行うこととなった。当時の帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が水天宮前駅から押上駅まで延伸、東武鉄道が曳舟駅から押上駅までの連絡線(正式には業平橋駅(現・とうきょうスカイツリー駅) - 曳舟駅間の線増扱い)建設を行い、2003年3月19日より直通運転が始まった。半蔵門線直通列車はさらに東急田園都市線まで乗り入れ、久喜駅・南栗橋駅 - 押上駅 - 渋谷駅 - 中央林間駅という運用がなされる。これにより、東武の車両が営業運転としては初めて神奈川県内でも見られるようになった。一部に北越谷駅・東武動物公園駅や田園都市線の鷺沼駅・長津田駅発着列車が運行されるほか、平日の上り最終列車は押上止まり(押上駅で半蔵門線の押上発の列車に接続)となる。走行距離は南栗橋駅 - 中央林間駅間98.5km、久喜駅 - 中央林間駅間94.8kmとなり、伊勢崎線内準急、半蔵門線・東急田園都市線内各駅停車となる列車では所要時間171分に及ぶ運用もある。車両は3社の車両が使用され、列車番号末尾アルファベットの「T」は東武車両(30000系・50050系・運用番号は50T - 82Tの偶数)、「S」は東京メトロ車両(8000系・08系・運用番号は51S - 93Sの奇数)、「K」は東急車両(8500系、5000系・運用番号は01K - 33Kの奇数、偶数の両方)を表している。日比谷線・東横線と異なり、東急車の一部(前面に円形の「K」シールが貼られている東急⇔メトロ専用車)をのぞいて3社への乗り入れが可能であり、上述のような3社直通電車が運行される。ダイヤの乱れが生じた場合は、この限りではない。なお2009年7月11日現在、走行距離調整の関係などから東武車両は田園都市線から半蔵門線内(半蔵門・清澄白河・押上)で折り返す列車、および長津田 - 中央林間間の区間運転列車にも使用されているほか(後者は東京メトロの車両も使用)、東武車両の2本が長津田車庫で、東急車両の2本が南栗橋車庫でそれぞれ運用終了・夜間留置となる「外泊運用」が組まれている。前述の日比谷線直通列車と同様、どの列車がどの会社の車両で運転されるかは、『MY LINE 東京時刻表』(交通新聞社)の列車番号欄などで判る。事故などのトラブルで直通運転が不可能となった場合、伊勢崎線から半蔵門線に直通する列車はすべて北千住駅にて折り返す。また、半蔵門線側から伊勢崎線に直通する列車は、終着駅である押上にて折り返し運転を行う。このため、3社の車両には通常は使用しない「北千住」の行き先表示が用意されている。しかし、直通運転が中止された場合の東武線内での運用は、原則として東武の車両となっている。行き先が「北千住」となった場合、電車は北千住駅で折り返し運転を行うのではなく、一度曳舟駅に回送される。一定時間待避した後折り返し、北千住駅へ向かう。この時、曳舟駅 - 押上駅間は不通となり両駅を結ぶ列車が運行されなくなるので、押上駅へ行くときはとうきょうスカイツリー駅からの徒歩連絡という形になる。それにあわせて大手町駅 - 北千住駅間では東京メトロ千代田線に乗るよう案内される。そのため、運行トラブルが発生すると北千住駅 - 押上駅 - 大手町駅間で通常時よりも所要時間が掛かってしまう。東京メトロ半蔵門線直通列車の運転再開までに要する時間は東京メトロ日比谷線直通列車の運転再開までに要する時間よりも長くなる傾向にあり、夜間にダイヤの乱れが生じた場合は東武・東京メトロ・東急の車両が各自の車両基地(南栗橋・鷺沼・長津田)に戻れないことがある。前述の不通による影響を考慮し、2013年度より東武線の折り返し運転の設備が整備されることになった。具体的には曳舟駅2番線と押上駅1番線を繋ぐもので、整備は2013年10月末に完了し北千住方面からの折り返しが可能になった。しかし、実際に使用されたことは2015年現在ない。※昭和30年代以降。創業時から戦前までの車両および機関車、貨車については割愛。2005年5月9日、半蔵門線・東急田園都市線での導入にあわせて、平日早朝のラッシュ時間帯に女性専用車が設置された。いずれも最後尾の車両。対象列車は、東武鉄道の公式サイトに掲載されているほか、駅構内へ掲出されている時刻表に記述されている。女性専用車は、女性のほか、小学生以下の男性、身体の不自由な人とその介助者も乗車できる。なお、日比谷線直通の普通のみ2006年3月27日から導入された。ただし、浅草駅発着の普通には設定されていない。また、8両編成と10両編成で停車位置が異なるため、準急・区間準急停車駅には緑地のステッカーに「8両編成乗車口」が追加で掲出されている。当路線において専用ステッカーが貼付されているのは、10000系の8両固定編成・20000系列・30000系の半蔵門線直通対応車・50050系である。2015年度の朝ラッシュ時最混雑区間(小菅 → 北千住間)の混雑率は150%である。混雑率は1995年度まで180%を越えていたが、北千住駅の改良工事が完了した1996年度に170%を下回った。その後も輸送力の増強と輸送人員の減少により混雑率は緩和傾向が続き、半蔵門線との直通運転を開始した2002年度のダイヤ改正では、ピーク1時間あたりの輸送力が私鉄最大の51,540人となり、混雑率が150%を下回った。その後のダイヤ改正は、輸送人員の減少に合わせて輸送力を削減したことで、混雑率は2012年度まで140%程度で推移していた。2013年度のダイヤ改正では、朝ラッシュ時に運転されていた10両編成の区間急行がすべて8両編成になったことで、輸送力が大幅に削減された。その一方で、輸送人員の減少に歯止めがかかったことにより、混雑率は150%程度で推移している。近年の輸送実績を下表に記す。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。特に記述の無い駅は両方向の列車の待避が可能である。また、回送列車のみ使用する待避線が西新井駅(下りのみ)、春日部駅(両方向の待避が可能)、東武動物公園駅(下りのみ。両方向の待避が可能)に存在する。かつては大袋駅、鷲宮駅、川俣駅(上りのみ)にも待避線が存在したが、せんげん台駅、久喜駅、羽生駅に待避機能が集約されたため、現在は架線や線路が撤去され2面2線構造となっている。特に記述の無い駅は伊勢崎方面のみに設置。また、複々線化工事の進捗にあわせ暫定的に越谷駅・大袋駅に留置線が設置されていた。かつては新伊勢崎駅にも留置線が存在したが、高架化により廃止された。復活・営業再開したものを除く。休止・廃止日は最終営業日の翌日。伊勢崎線は1899年(明治32年)、東武鉄道で最初に開業した路線であり、東武鉄道の社名はこの時に開業した北千住駅 - 久喜駅間(以下発祥区間とする)の地域を指す「武蔵国東部」に由来する。このことから現在でも発祥区間を中心として俗に「東武線」と呼ばれることがある。これは東武鉄道が複数の路線を有する大手事業者になる前の名残でもある。また、会社自体にも発祥路線意識が滲み出ており、1990年代までは駅表札に冠する社名表記では路線によって「東武線」・「東武野田線」・「東武東上線」と統一されず、発祥区間を持つ伊勢崎線を中心とする路線に絞って「東武線」が使われていた。2012年の愛称導入以降は、「東武スカイツリーライン」と呼称されるようになった。他社線(日比谷線・千代田線・半蔵門線・常磐線・つくばエクスプレス線)でも当路線への旅客案内においては同様に「東武スカイツリーライン」と呼称されている。不動産関係の広告では、伊勢崎線の東京都足立区 - 埼玉県までの主に日比谷線直通の普通列車が走る区間の場合は、意図的に「東武日比谷線」と呼んだり(記載したり)していた時期があった。これは「東武伊勢崎線」という名称よりも都心直通をアピールできる「日比谷線」の名前を利用したことによるものだった。それゆえ、昔の不動産広告には「日比谷線谷塚駅徒歩4分」「地下鉄日比谷線草加駅徒歩7分」「東武日比谷線竹ノ塚駅からバスで10分」などの表記が見受けられた。現在見受けられなくなったのは、伊勢崎線からの半蔵門線直通系統が新設されたことにより、日比谷線直通のみをアピールする必要がなくなったことも一因であった。また、新聞折り込みの求人広告紙「求人ガイド」(廃刊)に「東武日比谷沿線版」があった。一方、押上駅 - 曳舟駅間は東武伊勢崎線の一部であるにもかかわらず(前述の通りとうきょうスカイツリー駅 - 曳舟駅の別線)、都営バスの自動放送や車内LEDによる押上・押上駅前の両停留所での乗り換え案内で東武線は案内されていない(都営地下鉄浅草線・地下鉄半蔵門線・京成線が案内される)。館林駅以北は、足利市駅・太田駅・伊勢崎駅以外自動改札機設置駅がないが、2007年3月18日にICカード「PASMO」サービス開始により自動改札非設置駅には簡易型PASMO読取機が設置された。
出典:wikipedia
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