鴻上 尚史(こうかみ しょうじ、1958年8月2日 - )は、日本の劇作家・演出家である。劇団 『第三舞台』主宰。日本劇作家協会会長(代表理事)、日本劇団協議会理事。桐朋学園芸術短期大学教授。株式会社サードステージ代表取締役。2001年(平成13年)より、劇団第三舞台の活動を10年間封印することを宣言。それ以降はプロデュースユニット『KOKAMI@network(コウカミ・ネットワーク)』を中心に活動している。2008年(平成20年)5月には『虚構の劇団』を旗揚げ。株式会社ホリプロのマネジメントにより、テレビ、ラジオなどへも出演している。愛媛県新居浜市生まれ。愛媛県立新居浜西高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。2011年1月4日、新居浜ふるさと観光大使に。大学では早稲田大学演劇研究会に所属しており、在学中の1981年(昭和56年)、岩谷真哉、大高洋夫らと劇団第三舞台を結成。旗揚げ公演として、ベケット作『ゴドーを待ちながら』と、当時流行していたルービックキューブをモチーフにした『朝日のような夕日をつれて』を作・演出し、大隈講堂裏の特設テントで上演した。その後、小劇場ブームと相まって、チケット即日完売、大入り満員の人気劇団へ成長させる。1994年(平成6年)に上演した『スナフキンの手紙』で、翌1995年(平成7年)に岸田國士戯曲賞を受賞。1997年(平成9年)に文化庁の芸術家在外派遣研修制度でロンドンに1年間留学して、俳優教育法を学んだ。帰国後活動を再開するが、2001年(平成13年)の『ファントム・ペイン』をもって第三舞台の活動を10年間封印(停止)。第三舞台は2011年(平成23年)から2012年(平成24年)にかけて復活及び解散公演を行い、2012年1月に正式に解散した。現在は1999年(平成11年)に立ち上げたユニット、KOKAMI@networkを中心に活動している。また、新劇団「虚構の劇団」も立ち上げ、2007年(平成19年)11月に旗揚げ準備公演を、2008年(平成20年)5月に旗揚げ公演を行った。『就職戦線異状なし』や『トリック』などの映画、ドラマに出演もしているが、2005年(平成17年)には蜷川幸雄演出の舞台『KITCHEN』に俳優として出演。KOKAMI@networkの旗揚げ公演『ものがたり降る夜』にも出演した。2009年『グローブ・ジャングル「虚構の劇団」旗揚げ3部作』が第61回読売文学賞戯曲・シナリオ賞を受賞。2016年3月1日付で、日本劇作家協会会長に就任。演劇活動のかたわら、1983年(昭和58年)10月15日から1985年(昭和60年)3月30日までニッポン放送のラジオ深夜番組「オールナイトニッポン(金曜深夜2部)」のパーソナリティを担当し、「日比谷公園でジェンカ」「裏コピーコーナー」など伝説とも言われる独創的なコーナーを生み出した。1987年(昭和62年)10月17日から1989年(平成元年)4月1日まで担当した「オールナイトニッポン(金曜深夜1部)」での「究極の選択・どっちを選ぶ」「10回クイズちがうね」といったコーナーは、他のテレビ・ラジオ番組などで取り上げられ、その遊びが流行した。ちなみに当時のギャラは1ヶ月7万円(金曜1部時代)だったと、東貴博の『ニッポン全国ラジベガス』で告白している。それでも金曜2部時代のギャラが1ヶ月3万円(金曜1部の最終回で本人が告白)だったことを考えればかなり上がっている(なおこれには異説がある。詳しくは鴻上尚史のオールナイトニッポンを参照)。金曜1部時代には、番組内で「ドラゴンクエストが好きで好きでしょうがない」と発言したことから話が進み、『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』のエンディングとフィールドの曲をアレンジし、自ら作詞とボーカルを担当し、シングルレコード/CD『ヴォーカル版 ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』(A面:そして伝説へ… "Into The Legend"、B面:冒険の旅 "Adventure")を発売した。このシングルはオリコンシングルチャートで初登場29位を記録した。またゲーム内でも鴻上がモデルの人物が登場する。同番組ではそれ以外にも、当時芸能界でいわゆる「二世ブーム」が起きていたことに対して「○○のジュニア」というパロディコーナーを仕掛けていたが、鴻上の「売れない演歌歌手の息子はつらいだろうな」の発言に、演歌歌手の鏡五郎の息子が反応し、これをきっかけに長らくヒットに恵まれなかった鏡五郎にスポットライトを浴びせさせ、息子も「鏡五郎の息子」という芸名でCDデビューさせたりもしている。なお、オールナイトニッポンでは2部時代・1部時代ともに「言いやすい・呼ばれやすい」という理由から自ら「こうかみ」でなく「こうがみ」と名乗っていた。1987年(昭和62年)秋のフジテレビキャンペーン「ウーヤーター、スーパーテレビ宣言」のイメージキャラクターとなり、一般的に顔を知られるようになる。またコラムニストとしても、「週刊朝日」連載の「鴻上夕日堂の逆上」「鴻上の知恵」、「週刊SPA!」連載の「ドンキホーテのピアス」など長期に渡り執筆活動を続けている。テレビゲーム制作にも関わり、「G・O・D〜目覚めよと呼ぶ声が聞こえ〜」(1996年)と同作の移植作「G.O.D pure」(1998年)の制作総指揮を行っている。だが、唐突すぎる展開や一部にひどくグロテスクな描写があることからクソゲーとの評価もある。なお、「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」のアッサラームの町には、東の国で劇場を開く夢を持っていた人物が存在するが、彼のモデルは鴻上である。映画「ジュリエット・ゲーム」(1989年)で初監督。その後オムニバス作品の監督を手がけた後、1994年(平成6年)にはサードステージが自ら制作した「青空に一番近い場所」を監督するが、興行的には成功したとは言いがたく、その後しばらく「借金返済のため」(本人談)に地元・あいテレビを初めとして多くのテレビ番組に出演する。2001年(平成13年)にテレビ朝日系の年末特番『M-1グランプリ』の審査員を務めたこともある(この年のみ)。大林宣彦監督の「青春デンデケデケデケ」(1992年)を見て、おおいに触発され、次回作「水の旅人」(1993年)のメイキングビデオを撮ることで大林監督に密着して撮影に同行(「水の旅人」の映画パンフレットにはインタビュー記事が掲載されている)。鴻上が撮影したメイキングビデオは「映画の旅人」と題して、ポニーキャニオンから発売された。後の同作のDVD化にあたって特典映像として収録されている。2001年(平成13年)、ドラマ『ウソコイ』に企画・脚本協力として参加した。2006年(平成18年)NHKで放映された『フランス・ジャパンエキスポ特集』においてフランス人に対して様々な問題発言を行い話題となった。タモリ倶楽部においては下ネタ系の回によくキャスティングされ、番組内においてはそのイメージがほぼ完全に定着しており、本人は半ば呆れ気味ながらも、それを認めている。2007年(平成19年)8月18日放送の「五円玉アイドルが教える! 深遠なる五円玉アートの世界」では異例とも言えるきれいな内容の回に呼ばれ、本人も意外と語っていたが、9月7日放送の「家康もビックリ!! 庶民はお盛んだった!! 江戸人の夜のしきたり」で、またも下ネタ系の回に呼ばれた。現在はケツメイシのRyoと共に、タモリ倶楽部の下ネタの双璧を担っている。2016年(平成28年)1月30日放送の「集めに集めて5,409枚! きのこ切手をコンプリートした男!」回においては、自身がキャスティングされていない「官能小説を1万冊読んだ男」を視聴した際の慨嘆を示し、エロ担当としての矜持を見せた。鴻上自身もWikipediaの自分のページを見るらしく、一時期、“少林寺拳法の達人”となぜか誤った説明が載せられることがあり、何度も修正を試みたがすぐに記載が復活してしまうと困惑していたことをテレビなどで明かした。※第三舞台、KOKAMI@network、虚構の劇団の公演についてはそれぞれの記事を参照のこと。
出典:wikipedia
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