伊豆国(いずのくに)は、かつて日本の地方行政区分だった令制国の一つ。東海道に属する。伊豆国の記載は「記紀」や「六国史」には見られず、『扶桑略記』に「天武天皇9年(680年)7月に、駿河国から田方郡と賀茂郡の二郡を分割して設けられた」とある。現在のような伊豆国の成立は、大宝元年(701年)から和銅3年(710年)にかけて、仲郡(後の那賀郡)と、八邦郡(『和名類聚抄』、不詳)が加えられて以降のことである。律令法においては遠流の対象地となった。これは伊豆諸島が隠岐・佐渡と並んで辺境の島であると考えられ、伊豆半島はその入り口とされた事が背景にあると言われている。戦国時代には堀越公方の足利茶々丸を攻め滅ぼし、伊勢盛時(北条早雲)が伊豆の国主となる。江戸時代(文禄から元禄の間)に君沢郡が分けられ、四郡となった。中世、金の産出では東北地方と並んでいた。国司が政務を執る国庁が置かれた国府は、田方郡にあり、現在の三島市の三嶋大社の近くにあったとされるが、国府跡はまだ発掘されていない。仁治3年(1242年)以後に成立した『東関紀行』には、「伊豆の國府(こふ)に到りぬれば、三島の社の…」とある延喜式内社総社・一宮以下そのほか、三島市北田町の楊原神社を三宮とする説、三島市大社町の日隅神社を五宮とする説がある。国府に重なるか近隣にあったと推定されるが未詳。※官位相当:従六位下※定員:1名 ※日付は旧暦のもの ※在任期間中、「」内は、史書で在任が確認できる最後の年月日を指す。
出典:wikipedia
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