『ゴジラの逆襲』(ゴジラのぎゃくしゅう)は、1955年(昭和30年)4月24日に公開された東宝制作の日本映画で、「ゴジラシリーズ」の第2作である。登場する怪獣は、ゴジラ、アンギラス。モノクロ、スタンダード、82分。観客動員数は834万人。前年11月3日に封切り公開された第1作『ゴジラ』(1954年、本多猪四郎監督)が空前の大ヒットを記録。プロデューサーの田中友幸は、「この大ヒットで我々は気負いたった」と語っており、製作本部長・森岩雄の命により直ちに続編の企画が起こされた。先に企画が進んでいた『獣人雪男』を先送りする形で急遽制作決定したため、撮影期間は3か月に満たなかった。田中は「準備期間が短く、成功作とは言い難かった」と振り返っている。東宝チャンピオンまつりで再上映された作品を除き、歴代シリーズで本作品のみ、完全な形での予告編が現存していない。田中の依頼で、前作で原作を担当した香山滋が本作でも原作を担当している。しかし、前作で殺してしまったゴジラをまた登場させるという話作りに苦労し、熱海の馴染みの旅館「緑風閣」に泊まり込んで草案を練るも行き詰まった香山は、「温泉に飛び込んだところ、一気にインスピレーションが湧いた。1954年12月20日、午後5時30分、ゴジラ第二世(1955年〜1975年)はかくして熱海の温泉内で誕生した」と語っている。香山はゴジラに対する愛着から再びゴジラを殺すのは忍びなく、氷の中に閉じ込めるという結末になった。なお、香山はこれ以降の続編を書くことを何度か依頼されるも、「ゴジラを殺すのがかわいそうだから、もうこれ以上は書きたくない」と、かたくなに拒み続けた。監督は『恋化粧』の演出中及び『獣人雪男』の準備中だった本多に代わり、『透明人間』の小田基義が担当している。前作に続いて脚本を担当した村田武雄は、極限状態での人間ドラマを盛り込もうとの意図で、脱走囚人のエピソードを織り込んだという。村田本人はもっとこういったものを盛り込みたかったが果たせなかったとして、本作について残念がっている。音楽を担当した佐藤勝は、ゴジラの不気味さを表現するため、録音したテープを逆回転させる技法を楽曲中に採り入れている。興行面では、宣伝部によってトラックに等身大のゴジラとアンギラスの作りものをジオラマ風に飾り付けた宣伝カーが用意され、撮影所でのイベントと併せて都心一円を巡回し、大いに話題となった。興行館側も劇場前に両怪獣の巨大な張りぼてを飾り、派手な宣伝が行われた様子が写真資料に残されている。また、前作同様のラジオドラマも制作・放送された(#ラジオドラマを参照)。劇中の「海洋漁業」関連の描写には、大洋漁業がタイアップ協力している。「海洋漁業KK」の魚群探査機パイロットの月岡は、岩戸島に不時着した同僚の小林の救助に向かい、島へ着陸。そこで2人は、頭上の断崖で激しく戦うゴジラと新たな巨大怪獣を目撃する。二大怪獣はもみ合いながら海に落ち、2人はからくも脱出することが出来た。数日後、大阪市警視庁では古生物学者山根恭平博士と、同僚の田所博士を招いての緊急会議が開かれた。月岡と小林の証言により、ゴジラと戦っていた新たな怪獣は、ゴジラと同時代に生息した凶暴な肉食恐竜のアンキロサウルス、通称「アンギラス」であることが判明する。両者は水爆実験の影響で現代に蘇ったのだ。早速、このゴジラの東京襲撃を知る山根博士にゴジラ対策の案が求められたが、山根博士は「ゴジラを防ぐ方法は残念ながら、一つもありません…」と答えるのみだった。ゴジラの猛威を伝える記録フィルムが上映され、今更ながらゴジラの脅威に息をのむ関係者たち。山根博士は、ゴジラを葬り去ることができる唯一の手段であるオキシジェン・デストロイヤーが芹沢博士の死によって使用できない以上、水爆実験の記憶から光を憎悪し向かって行くゴジラの性質に基づき、徹底した灯火管制を敷き、できる限り市街地から遠ざけるのが最良だと提言するのだった。ジェット戦闘機隊によるレーダー探査によって、紀伊水道のはるか南方に潜むゴジラの姿が捉えられた。海上警備隊のフリゲート艦が追撃に向かい、田所博士はゴジラが「紀州および紀伊水道沿岸に上陸する」と予想した。ゴジラのいる海域は海洋漁業にとって最重要漁区であり、気をもむ社長以下一同。しかしゴジラが進路を変えたことで阪神地区は安堵。月岡は婚約者である社長令嬢の秀美とダンスホールにでつかの間の逢瀬を楽しむ。ところが、そこにゴジラが突如として大阪湾内に転進したとの緊急警報が流れた。たちまちパニックとなるダンスホール。ゴジラ襲来を受け、大阪市内は厳重な灯火管制が敷かれる。その夜、大阪水上警察署を拠点に防衛隊が集結し、港区沿岸には特車部隊が砲門を揃えた。その眼前の海面に、上半身をもたげ現れる水爆大怪獣ゴジラ。そこへ飛来したジェット戦闘機隊の照明弾投下によって、ゴジラは巧みに外海へと誘導されていく。しかし同じ頃、護送車で移送中だった囚人たちが脱走。そのうちの3人が近くにあったタンクローリーに乗って逃走し、警官や月岡らの追跡を受ける。追跡される末、囚人たちの運転するタンクローリーはガソリン貯蔵所に迷い込み、そのまま石油タンクに突っ込んで大爆発を起こしてしまう。たちまち発生した大火災の光によって誘導作戦は失敗、ゴジラが大阪の此花区へ上陸し更にはその後を追うようにアンギラスまでもが上陸してしまう。再び戦い始めたゴジラとアンギラスによって海洋漁業の本社工場は壊滅し、市街地を舞台に二大怪獣の激しい地上戦が繰り広げられる。ゴジラはアンギラスの息の根を止め大阪市街を火の海に包んだ後に、再び大阪湾へと姿を消した。本社と本社工場を破壊された海洋漁業は、当分の間支社のある北海道を中心に活動することを余儀なくされ、小林は北海道へと飛んだ。北海道で小林は地元の女性と恋に落ち、「花婿」の愛称で親しまれていた。業務は順調であり、月岡と秀美の北海道訪問を受けた宴会が料亭で開かれた。月岡はこの料亭で、戦時中同じ旧日本海軍の飛行機隊にいた旧友の田島・池田両航空自衛隊員と再会する。ところがこれを喜ぶ彼らのもとに、ゴジラが海洋漁業の漁船を撃沈したとの報がもたらされる。月岡は田島らと共にゴジラの捜索に向かった。そして遂に月岡が千島列島の神子島の方へと泳ぐゴジラを発見する。これを受け、月岡に代わりを申し出て飛び立つ小林。事務所には、小林の恋人の写真が残されていた。小林の飛行機はゴジラの足止めを務めていたが、攻撃隊到着後に海へ逃れるゴジラを遮ろうとして逆に白熱光を浴びせられてしまい、そのまま飛行機は島の雪山に激突して小林が犠牲となってしまう。だが、小林の飛行機が激突したことでその雪山に雪崩が発生。これを見た月岡たちは小林が命と引き換えに残したゴジラ撃退のヒントを基に、爆撃で雪崩を起こしてゴジラを雪中に生き埋めにする作戦を考案する。そして月岡も含めた戦闘機隊が出撃し、決行されたその作戦は成功、ゴジラは雪崩に巻き込まれ雪の中へと埋もれていった。小林の無念を晴らした月岡は「小林、とうとうゴジラをやっつけたぞ」と呟くのだった。本作は、東宝特撮映画を支えてきた円谷英二の名に「特技監督」の称号が冠せられ、単独で「監督」記名された初の記念すべき作品である。それまで円谷のクレジットは「特殊技術」との名目のみだった。有川貞昌は『ゴジラ』での成功で、それまで本編の添え物的扱いだった「特撮班」が、ようやく正当な待遇を受けられるようになったと述懐しており、これはその一環である。また、前作『ゴジラ』では、東宝内に特撮用ステージが無く、狭いスタジオに工夫を重ねてセットを組んだ特撮美術スタッフだったが、本作ではこれも前作での成功を受け、特撮用に「第8ステージ」が新設されていて、このステージ一杯に、大阪市街のミニチュアセットが組まれた。大阪湾・大阪市役所・淀屋橋・北浜・大坂城と、各名所でロケハンが行われ、実景写真に合わせた精巧なミニチュアが作られた。本編班の実景ロケは朝日放送前でも行われ、特撮班もこれに立ち会っている。大坂城のミニチュアは50万円(当時)かけて作られた。丈夫に作り過ぎて、本番でゴジラが体当たりしてもうまく崩れてくれず、NGとなった。続いて改修し、裏からワイヤーで引っ張って壊れる算段としたが、スタッフがゴジラの襲撃前にタイミングを勘違いしてワイヤーを引いて壊してしまった。結局、2週間かけて半壊したミニチュアを修理し、再度撮影を行っている。だが、取材陣はこのアクシデントに大喜びして報道。怪我の功名で宣伝は大成功だった。撮影時期は真冬ではあるが、ラストの氷山のシーンのために、本物の氷が製氷業者から数トン分トラックで運び込まれ、借りてきたベルトコンベアーで細かく粉砕したものを敷き詰めて氷山のセットが組まれた。さらにゴジラが氷に埋まるシーンでは、後楽園遊園地のスケートリンクから借りた製氷器で作った氷雪が使われた。このシーンではセットの下にいた開米栄三が生き埋めになったが大した怪我はなかった。円谷英二の長男・一が前作に続き、撮影助手として特撮班に加わっている。学習院大学理学部物理科生という経歴から、父の英二から「特撮に使えるいい素材は無いか」とつねづね相談されていた一は、ガラスを特殊コーティングした「ハーフミラー」を創案。特技監督の英二によって、合成画面に使用されて効果をあげている。ゴジラとアンギラスとの格闘シーンは、当初4倍の高速度撮影(スローモーション)で撮る予定だったが、撮影助手の高野宏一が撮影速度のコマ数設定つまみを間違えて、微速度撮影(コマ落とし)にするミスをしてしまい、異様に素早い怪獣の動きとなったフィルムが編集で上がってきた。ところが円谷英二はこの素早さが野獣の格闘らしいと面白がり、以後コマ落としの手法のまま両怪獣の撮影が進められた。神子島のシーンで偵察機からの俯瞰のゴジラは30cmのゼンマイ人形が作られた。撮影中に中島春雄は同じ型から人形を作成・着色し現在も自宅に飾っている。前作が海外に配給され、大成功を収めたことから、本作も『The Volcano Monsters』の英語題名でアメリカのバイヤーに買い取られ、海外配給が決定した。しかし、前作とはバイヤーと配給会社が異なるために“"Godzilla"”をタイトルに使うことができず、便宜上“"GIGANTIS"”の名で別の怪獣として設定され、更にアメリカ・ハリウッドで新たに追加撮影を行うこととなった。その内容は、「大阪で激闘を繰り広げた二匹の巨大な怪獣が、アメリカに上陸して再戦する」というものであり、撮影用にアメリカ人俳優の体型に合わせた着ぐるみが東宝特美班によって新たに作られたが、慣れない着ぐるみによる演技がアメリカのスタッフにこなせず、予算の問題もあって撮影は中止となり、更にアメリカ側の出資者が一部交代したために、海外配給は一旦中止となった。このために新造されたジャイガンティスのスーツは、上記の海外版の名称から通称「ジャイガンティスゴジラ」(“ガイガンティス”表記もあり)と呼ばれ、遂に陽の目を見ることのない幻のスーツとなった。現在その姿を確認できる資料は1957年頃に、造型師の利光貞三らと共に撮影された1枚のスナップ写真のみである。ジャイガンティスゴジラのスーツは下半身が太く手が大きいデザインで、それまでのゴジラに比べて耳が無く、後足が3本指である。このスーツの造形は、全体的に丸みが強いこと、頭部がやや大きいなどの点が異なるものの、『キングコング対ゴジラ』(1962年、本多猪四郎監督)のゴジラ(通称「キンゴジ」)に近似しており、特撮ライターのヤマダマサミは、頭の形状からこの着ぐるみが『キングコング対ゴジラ』のゴジラの原型となったのではないかと推定している。この後、出資者の交代に伴って計画は変更され、最終的には追加撮影分のないままアメリカ側で再編集されて1959年5月に公開された。再編集版は『Godzilla Raids Again』という『ゴジラの逆襲』を直訳した仮タイトルで製作されており、東宝は計画を変更するならば予定されていたタイトルを変更してこちらのタイトルを使用し、“"Godzilla"”の名を冠することを希望したが、前述の権利問題と、アメリカの配給会社が「前作で死んだゴジラが生きていた、というのは観客が納得しない」「観客に安易な続編と思われる」と難色を示したために叶わず、結局“ゴジラ”の名前は使用されずに『"GIGANTIS, THE FIRE MONSTER"』として公開された。海外版ではゴジラは前述の通り「GIGANTIS」、アンギラスは「ANGILAS」の名称になっている。また、アメリカ映画界の慣習に従い、台詞はすべて英語で吹き替えられた。出演者は以下の通り。吹き替え用原稿を作るために翻訳する際、「バカな」という日本語の台詞の口に合う英単語が直訳では見つからず、口の動きが似ている「バナナオイル("banana oil")」という単語が使われたが、該当シーンにおける日本語の「バカな」とは意味するニュアンスの異なる単語であった上に「バナナオイル」の響きがシーンと合致しておらず、更に“バナナ”という単語の持つスラング的な意味もあって、「不適切な訳」として不評であった。なお、出資者が複雑に交代したことと、1959年のアメリカ版公開後に最終的に権利を所有した出資者がリバイバル上映、及びテレビ放映に興味を示さなかったため、アメリカ版はその後長らく劇場公開・テレビ放映ともに行われない幻の作品となっていた。1980年代になり、東宝が権利を買い戻してアメリカで発売された映像ソフト版では、タイトルは東宝の要望により『"Godzilla Raids Again"』に変更されており、以後は海外版はこの名称で流通されている。香山滋によって執筆された「原作」は、小説としても出版された。公開前後に漫画化され、各社から発行された。同年6月の『三年ブック』(学研)に、「秀文社が『ゴジラの逆襲』の漫画版を発売」との予告があったが、実際に発行されたかは不明。第1作同様、公開前に宣伝部によってラジオドラマが企画され、ニッポン放送で放送されている。出演者は映画とほぼ同じだが、千秋実の演じた小林弘治役は、藤木悠が務めている。現在確認できるその他の出演者は以下の通り。『弥次喜多漫才道中 化け姫騒動の巻』
出典:wikipedia
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