起亜タイガース(キア・タイガース、、Kia Tigers)は、韓国のプロ野球チームである。縁故地(ホームタウン)は光州広域市。本拠地は同市内の光州起亜チャンピオンズフィールド(2014年シーズンより。2013年までは光州無等総合競技場野球場を使用)。この他、全羅北道群山市にある群山月明総合運動場野球場でも主催試合を行っている。チーム表記を「KIAタイガース」としているメディアもある。もともとはヘテ製菓が所有していたが、2001年に起亜自動車に買収され現チーム名になった。1982年プロ野球発足の時、オーナーの出身地である当時の全羅南道光州市を本拠地に創設。初年度は選手構成にも苦しむほど貧しい戦力で苦戦を強いられた。結局1982年は4位に終わったものの、翌年の1983年、強打を前面にだしてMBC青龍を下して初優勝を飾った。1985年までは打線に比べて投手力が劣り、再び優勝争いから遠ざかっていた。1985年後半宣銅烈の入団とともにチームの常勝球団に変貌し始めた。その後も、当時のルールだった地域優先ドラフトのおかげでフランチャイズの全羅南北道地域出身の優秀な選手たちを独占的に確保して、王者の戦力を保つことができた。それで、1986年から1989年にかけて韓国シリーズ4連覇と韓国初の連覇を達成。1996年から1997年にかけても韓国シリーズを連覇、2度目の連覇も韓国初だった。1983年から1997年の15年間、韓国シリーズに9回出場して、全部勝利している。しかし、1997年シーズンオフに訪れたアジア通貨危機は一時代を築いた名門チームの運命を変えることになった。親会社のヘテグループはもともと食品事業を軸にしていて規模も小さく、ほかの球団の親会社と比べてチームへの支援は貧しい方だった。FA制度など存在しなかった当時の制度の下で、幾度も優勝を重ねた優秀な選手たちの年俸を極力押さえてチームを維持してきたが、この経済危機の影響で経営難に陥り、普段でも物足りなかったチームへの支援が断たれてしまった。それで、チームは主軸選手のトレードで得たトレードマネーで運営費に充てる事態にはまり、それまで築いてきた戦力はあっという間に解体されて弱体化の道を進むようになった。チームを支えた選手たちがトレードやFAなどでチームを去り形骸化。最後の優勝からたった2年間で最下位候補の一角に成り下がった。そして、ついに18年間チームを指揮した金応龍(キム・ウンヨン)監督まで2000年シーズンの後三星ライオンズに移籍。戦える戦力を備える事のできなかったチームは、18年間チームを指揮して9度優勝に導いた名将に残留を嘆願することすらできないほどだった。金応龍が去った後は、かつてのチームの中心打者で当時コーチを務めていた金城漢(キム・ソンハン)が監督に就任。金城漢はチーム最初の生え抜き監督になる栄光を手にしたが、チームの前途は依然として暗いままだった。2001年シーズンまでタイガースの売却先を見つけ出せないまま、主力選手の金銭トレードで当てた運営資金も底をつき、9度優勝を誇る名門球団の存続すら危うくなっていた。同年7月、各方面の努力の結果、本拠地光州に組み立て工場を持っている現代-起亜自動車グループが球団の買収に合意。シーズン途中の8月にチーム名を起亜タイガースへと変更した。タイガースのニックネームは、その名に9度優勝の歴史が重く圧し掛かっていて、その歴史に誇りを持っている地元ファンを配慮して、そのまま引き受けることにした。韓国プロ野球では球団買収と同時にニックネームまで変えるのが一般的であるが、タイガースだけは他のチームとは違って、名称が継承された。2001年シーズン途中タイガースを買収した起亜自動車は、中日から退団した李鍾範(イ・ジョンボム)を復帰させる他、翌年から現代-起亜自動車グループの資金力を基に戦力補強の着手。ヘテ時代末期の弱体化された戦力を強化して昔の栄光を取り戻そうとした。その甲斐もあって、2002年、2003年は2年連続で公式戦2位でポストシーズンに帰り咲いた。しかし、両年ともプレーオフで敗退。2004年は公式戦4位で準プレーオフ出場もまた敗退。2005年は序盤から不振で、ヘテ時代から数えても球団史上初のシーズン最下位に転落した。2006年は投打ともに建て直しに成功し、斗山ベアーズとの激しい4位争いを制し準プレーオフへ出場したがハンファ・イーグルスに敗退した。ヘテ時代は韓国シリーズ9度出場で全部勝利、一見ポストシーズンに強そうな印象を与える同チームだが、意外にも韓国シリーズ以外のステージでは弱く、ヘテ時代から通算するとプレーオフ・準プレーオフ・ワイルドカード決定戦(2015年より導入)のステージでは2勝9敗である。特に、2002年プレーオフ第5戦から2006年準プレーオフ第1戦までプレーオフ、準プレーオフの試合で7連敗を記録した(2002年のプレーオフ第5戦、2003年のプレーオフで3連敗で敗退、2004年の準プレーオフで2連敗で敗退、2006年の準プレーオフ第1戦)。ヘテ時代の偉業が余りにも強く影響をしていて、ファンからはAクラス入りやプレーオフ出場では満足されることなく、韓国シリーズ出場すら出来ない状態に不満を持った過激派のファンたちが球団の公式ホームページの掲示板などを通じて「いつからこんな弱いチームになったんだ」、「起亜になってからは何もよいことがない」、「ヘテと起亜は別のチームだ」、「起亜に栄光なるタイガースを名乗る資格はない」などと苛立ちを募らせたりしていた。2007年においても、前年のBクラスチームがそろって巻き返して順位争いをしていた最中で5月の頃から最下位に低迷したことで、ファンの間で球団のチーム復興への意地を疑う動きが極まれ、団長や監督など球団首脳部が球団の公式ホームページの掲示板や球場外野席の横断幕で激しい非難の声に叩かれた。これに対して、球団側からホームページの掲示板の一時閉鎖および、名誉毀損の疑いで数人のファンに対して訴訟を起こすなどの事態にまで発展した。こういう不満に加えて、老朽化した本拠地の無等球場に代わる新球場の建設を求める声も大きくなっているが光州市側は予算の問題を挙げて新球場の建設を渋っていた。2007年は2年ぶり2度目の最下位に終わり、契約が1年残っている徐定煥(ソ・ジョンファン)監督を解任。SKワイバーンズを韓国シリーズまで押し上げた実績のある曺汎鉉(チョ・ボムヒョン)ヘッドコーチを監督に昇格させてデータ重視の野球でチームカラーの刷新を狙い、また崔煕渉(チェ・ヒソプ)、徐在応(ソ・ジェウン)、ホセ・リマと言ったメジャー・リーグ出身選手の思い切った補強を行った。それで、シーズン開幕直前予想ではAクラスは安泰、前年優勝のSKワイバーンズに対抗する強力な優勝候補の一角とまで評された。しかし、これらのメジャーリーグ出身選手たちが揃って故障および不振に陥り、崔煕渉、徐在応は戦線離脱と2軍落ちを繰り返し、リマはシーズン途中解雇されるなど、期待を大きく裏切った。結果、夏場は若手の活躍で一時Aクラス入りを匂わせる追い上げを見せながら、終わってみれば公式戦6位。念願だった上位進出はならなかった。2009年は開幕前さして下馬評は高くなかったが、中盤まで上位につけると、夏場になり7月末から8月中旬までの11連勝で波に乗り、首位に立ちそのまま12年ぶりの公式戦優勝を飾った。その背景としてはガトームソン、ロペスの両外国人投手の活躍で最強の先発投手陣ができあがったこと、LGから4月後半トレードで移籍した金相賢(キム・サンヒョン)、元メジャーリーガーの崔煕渉が本塁打を量産したことなどがある。またチームの快進撃により本拠地の光州・無等野球場は何度も入場券が完売する満員御礼となり、ビジターのソウル・蚕室野球場などにも大勢の起亜ファンが押しかけ、かつてないプロ野球人気の向上に大きく貢献した。韓国シリーズではSKワイバーンズを4勝3敗で破り、ヘテ時代以来12年ぶりの韓国チャンピオンとなった。同年11月14日、読売ジャイアンツとの日韓クラブチャンピオンシップにも出場したが4-9で敗れた。2010年は金相賢など主力選手の故障、ロペスの不振、また2009年限りで退団したガトームソンの穴を埋める外国人投手に恵まれなかったことや、6月から7月にかけての球団ワースト記録となる16連敗もあり、5位にとどまりポストシーズン進出に失敗し、韓国シリーズ連覇はならなかった。2011年は公式戦4位となり、2年ぶりにポストシーズンへ進出したが、準プレーオフでSKに敗れた。同年10月18日、曺凡鉉監督が契約期間を1年残して辞任し、宣銅烈が2012年より17年ぶりに古巣へ復帰し監督に就任することが発表された。2012年3月末、4月7日の公式戦開幕を前に長年チームの顔だった李鍾範の現役引退が発表された(同年5月26日、李鍾範の盛大な引退式が行われた)。同年は5位で2年連続ポストシーズン進出に失敗した。9球団制となった2013年は8位、2014年も2年連続8位と下位に低迷し、同年で宣銅烈監督は辞任した。2014年10月、金杞泰監督が就任した。2015年は10球団制にプロ野球が拡大する中、7位だった。2016年は公式戦5位で5年ぶりにポストシーズンへ進出するも、ワイルドカード決定戦でLGに敗れた。2007年から2011年まで、春季キャンプは1月後半から2月末にかけて、日本・宮崎県の日向市お倉ヶ浜総合公園野球場で実施し、2014年の秋季キャンプは3年ぶりに同野球場で行われている。なお、2012年の春季キャンプはアメリカアリゾナ州サプライズと金武町ベースボールスタジアムなど沖縄県の野球場で実施された(2013年・2014年春季キャンプも同様)。1982年の球団創設以来の光州無等総合競技場野球場の横で新球場・光州起亜チャンピオンズフィールドが2013年末に完成し、2014年シーズンから使用している。기아(キア)の漢字表記は「起亜」だが、発音とハングル表記が同じ「飢餓」との混同を避けるため、韓国での公式表記は「KIA타이거즈(タイガース)」である。 これは親会社である起亜自動車が生産する自動車にも英語表記を用いている。しかしKIAはKilled In Action(任務遂行中の死者)の略語でもあるため、KIAという表記は不適切であるという一部指摘もある。:元日本ハムファイターズ。コーチとして在籍。
出典:wikipedia
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