牛タン(ぎゅうタン)は、牛の舌部を指す。主に、食用にする場合に用いる語。数十センチの長さがあり、薄切りないし細切れで食用にされる。タンは、英語で舌を意味する"tongue"の音に由来する。牛タン部位の人類による摂取は、旧石器時代にまで遡る。牛タンは脂肪含量が非常に高く、カロリーのほぼ75%が脂肪に由来している。カナダ(特に食肉産業が盛んなアルバータ州)といった一部の国では、多くの牛タンを輸出している。牛タンは玉ネギやその他の香辛料によって味付けされることが多く、その後茹でられる。調理後、皮が剥がされ、残りの部位が出される。牛タンを調理するもう一つの方法は熱水中で煮沸した後、皮を剥ぐ方法である。その後、ローストビーフと同様にローストし、肉汁はグレイビーを作るために使われる。ベルギーでは、牛タンはマデラソース中でキノコと共に調理されることが多い。ポーランドやドイツ、オーストリアでは、ホースラディッシュソースと共に出される。実際の栄養価は、飼育条件、品種などで異なるため記載されている値は代表値である。牛タンはメキシコ料理で広く使われ、タコスやブリートの具材として目にすることが多い。また、ブルガリア料理、ルーマニア料理、ドイツ料理、ポルトガル料理、ブラジル料理、ペルシャ料理、インドネシア料理(スムール・リダー〈タンシチュー〉)、ニカラグア料理、フィリピン料理、アルバニア料理、イギリス料理、ロシア料理、朝鮮料理(牛タンスライス)、日本料理(後述)、イタリア料理(ピエモンテ州やジェノヴァでは一般的)で使われる。北米においても、牛タンはタントースト(オープンサンドイッチ)の主要な具材である。牛肉食文化が近代になって普及した日本だが、もとは畜産副産物として、牛解体時に生じる正肉以外の部分、モツ(内臓)をも食べる習慣の広がりとも相まって、牛タンは既に広く親しまれた食材である。焼肉店でも提供されることが多く、塩味のタンは一般に「タン塩」と呼ばれる。現在、焼肉店では自分で焼いた牛タンをレモン汁に浸けて食べるのが一般的である。「仙台牛タン焼き」 の場合は、店員が塩味やタレをつけた牛タンを炭火等で焼いて出し、そのまま食べる。レモン汁はつけない。また、塩味とタレでは圧倒的に塩味が多い。宮城県仙台市の牛タン料理は、「仙台牛タン」の名称で名物として知られている。庶民の料理から始まっているため、日本で最も格付け基準が高い超高級ブランド牛肉の仙台牛が庶民の口に入ることはほとんどない。ただし、仙台牛を用いた高級メニューが一部に存在する。また、仙台市内のほとんどの牛タンを提供する飲食店では米国産(一部オーストラリア産)の物を使用している。牛タン専門店では、牛タン焼きに麦飯やテールスープをつけた「牛タン定食」が供される。白菜キャベツ胡瓜などの浅漬けと「みそ南蛮」という青唐辛子(正調では山形産唐辛子を用いる)の味噌漬けがつく場合が多いが、各店により差異がある。仙台の牛タン焼き自体の特徴としては、店により薄切りから厚切りまで様々であり。スーパーの精肉棚や家族向け焼肉屋の牛タンと比べると総じて厚切りにスライスされており、個人商店や専門店など調理の際はスライスした両面に浅く切り込みを入れてから塩コショウなどで下味を付けた後、冷蔵庫で数日間程取り置いてから炭火やフライパンなどで加熱処理され、この下処理により厚みがあって焼いてもある程度食しやすい歯ごたえで供される。また、牛の舌の付け根付近は、生育法によっては霜降り状になるので、その部分を「芯タン」・「トロタン」などと呼び、一般の牛タンとは別メニューで供する店もある。また、味付けは「タン塩」「タレ焼き」のほか、「味噌」「からし味噌」といったタン肉自体の味噌漬けの焼肉も定番である。牛タン焼き以外のメニューとして、タンシチューや牛タンしゃぶしゃぶ(冬季限定)、または、生のままのタン刺しや牛タン寿司などを取り揃える店もあったが現在は生食の規制があるためほとんど姿を消した。(しゃぶしゃぶや生食メニューなどでは、仙台牛や仙台黒毛和牛を用いる例が見られる)。お土産物用として、燻製や佃煮などもある他、駅弁としても販売されている。第二次世界大戦後、仙台にもGHQが進駐した。その際、大量に牛肉を消費する駐留米軍が残したタンとテールを有効に活用するために、1948年(昭和23年)、仙台の焼き鳥店「太助」初代店主・佐野啓四郎が、牛タン焼きの専門店を開業したことが 「仙台牛タン」 の始まりである。佐野は、1930年代に師事していたフランス人シェフより牛タンの旨さを説かれ、自ら研究を重ねていたことから、タンシチューから着想して、タンを薄い切り身にして塩焼きするという調理法を考案した(米軍の残り物説について仙台牛たん振興会は全面否定しているが、佐野はむしろ公式見解として認めており、自信のある元祖とイメージダウンを嫌う新規参入業者との間で見解の相違が生じている)。佐野の牛タン焼きの発明から長らくは、牛タン料理はそれほど市民に人気があるわけではなかった。もともとが外食から生まれた料理であり、家庭で食べられることは殆どない。むしろ珍味の扱いで、一部の愛好者や酔客が「締め」に食べる程度だった。やがて高度経済成長期になって、他都市から仙台への転勤族や単身赴任者(仙チョン族)が増えると、昼食時や夜の街で仙台牛タン焼きの味を知り、仙台赴任からとりわけ東京に戻ったサラリーマンの間で仙台牛タン焼きは評判になった。また、牛タンの高蛋白質の割に脂肪が少ないことがマスメディア等で紹介され、ヘルシー志向の人たちのみならず国民全体に牛タンが受け入れられていった。このような流れに乗って仙台牛タン焼きも有名になっていった。仙台牛タン焼きは、旅行の一般化によって観光客たちの食べるところとなり、また、外食の一般化によって仙台市民も食べるところとなったが、最大の転機は、1980年代半ばに広まった米国産牛タンやそのムキタンの利用である。以前は老舗タン焼き店の利用していた豪州産の骨付き皮付き牛タン(Short cut tongue)が主流であったが、霜降りかつ歩留まりがよい米国産の骨なしタン(Swiss cut tongue)や既に皮を剥いてカットするだけのムキタン(Peeled tongue)が主流になり、これ以後暖簾分けや新規参入がし易くなったため牛タン焼き店が増えた。また、同時期に仙台駅内のお土産販売や新幹線車内での販売が始まった事から一気に仙台名産となった。ところで、誕生の経緯からも、庶民の味として安価に供するためにも、仙台牛タン焼きは、脂肪の付き具合いが良い米国産でなくてはならないという考え方がある。実際、材料の牛タンは、その殆どが輸入品である。しかし、農畜産物・水産物の地元での生産と消費(地産地消)を目指している宮城県で、輸入物の牛タンを名物と称するには疑問の声もある。そういう指摘もあってか、地元の高級和牛牛肉である仙台牛を使った牛タン焼きの店も出てきた。一方、頑なに伝統を守ってアメリカ産牛肉を使っている店の中には、「仙台名物」 という代わりに、料理法および食べ方が仙台での発祥なのだとして「仙台発祥」と表現している店もある。しかし、牛タンの原料供給の9割を米国からの輸入に頼っていたため、2004年、大手牛丼チェーンと同様、牛海綿状脳症(BSE)発生によるアメリカ産牛肉輸入停止の影響を大いに受けてしまった。アメリカ産に替えてオーストラリア産牛肉にシフトする店もあるが、頑なにアメリカ産に拘った店は、在庫不足に陥って、牛タン料理の提供を取り止めている店舗が生じている。中には支店を撤退させたり、廃業した業者もある。米国産牛肉の輸入が停止して以降、焼肉店(チェーン)や輸入商社、精肉卸業者、加工業者など業界でつくる団体、米国産牛肉全面的早期輸入再開を求める会が輸入再開を求めて署名運動するなどの動きがあり、それに協調して仙台市内の牛タン専門店でつくる団体仙台牛たん振興会も、米国産牛肉の輸入再開を求めて署名運動を行った。その団体の見解としては、「米国産が禁輸になって以降、他国産(豪州産など)の価格が高騰している」、「仙台牛タンは脂肪の付き具合で米国産でなくてはならない」、「牛タンは危険部位ではない」というのがその理由とする。
出典:wikipedia
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