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サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路

サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路(サンティアゴ・デ・コンポステーラのじゅんれいろ)は、キリスト教の聖地であるスペイン、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路。おもにフランス各地からピレネー山脈を経由しスペイン北部を通る道を指す。サンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並んでキリスト教の三大巡礼地に数えられている。フランスでは、「トゥールの道」、「リモージュの道」、「ル・ピュイの道」、「トゥールーズの道」の主要な4つの道がスペインに向かっている。スペインでは、ナバラ州からカスティーリャ・イ・レオン州の北部を西に横切り、ガリシア州のサンティアゴ・デ・コンポステーラへ向かう「フランスの道」が主要である。スペイン語では、(サンティアゴの道)と呼ばれ、また、定冠詞を付けた大文字で始まる(その道)はサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路を表す。フランス語では(サン・ジャックの道)と呼ばれる。1000年以上の歴史を持つ聖地への道は、今も年間およそ10万人がフランスからピレネー山脈を越えてゆく。スペインに入ると、巡礼の拠点の街が見えてくる。そこには巡礼事務所があり、名前を登録し、巡礼者の証明となる手帳を受け取る。巡礼者の数が増えると共に、道沿いには無料の宿泊所が整備されてきた。11世紀の礼拝堂を修復した宿泊所などもあり、こちらの宿では中世さながらの「洗足の儀式」が行われる。巡礼者の足を水で清め、旅の無事を祈る。食事も用意される。これらは巡礼を支える人々の無償の奉仕で成り立っている。徒歩によるスペイン横断は、イベリア半島内でもおよそ 800kmの道程である。長い巡礼を続けることは、人々にとって信仰と向き合う貴重な時間となる。大聖堂の5km手前にある「モンテ・デル・ゴソ(歓喜の丘)」。巡礼者はここで初めて美しい聖地の姿を眼にする。徒歩でおよそ一月の道程。大聖堂に到着した巡礼者は、「栄光の門」と呼ばれた入り口に向かう。そこには幾千万もの巡礼者がもたれるように祈りを捧げてきた柱がある。手のくぼみのあとが歴史を物語っている。巡礼路のうちスペイン国内の道は、1993年に「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」としてユネスコの世界遺産に登録された。紀伊山地の霊場と参詣道と並び、世界でも珍しい道の世界遺産としても知られており、和歌山県とガリシア州とは永続的な友好関係を確立するため、正式に両古道の姉妹道提携を1998年に締結した。登録された道は、後述の「フランスの道」と「アラゴンの道」に相当する。2015年に拡大登録されるとともに、登録名称が変更された。フランスの巡礼路の一部と途上の主要建築物群については、「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」として1998年に別途登録された。伝説によれば、イエスの十二使徒の一人聖ヤコブがエルサレムで殉教したあと、その遺骸はガリシアまで運ばれて埋葬されたとされる。813年、現在のサンティアゴ・デ・コンポステーラで、隠者ペラギウスは天使のお告げによりヤコブの墓があることを知らされ、星の光に導かれて司教と信者がヤコブの墓を発見したとされる。これを記念して墓の上に大聖堂が建てられた。サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の記録は、951年のものが最古である。11世紀にはヨーロッパ中から多くの巡礼者が集まり、最盛期の12世紀には年間50万人を数えた。こうした巡礼の広がりは、中世ヨーロッパで盛んだった聖遺物崇拝によるところが大きい。また、巡礼は当時イベリア半島を支配していたイスラム教国へのレコンキスタとも連動した。ヤコブはレオン王国などキリスト教国の守護聖人と見なされ、「Santiago matamoros」(ムーア人殺しのヤコブ)と呼ばれるようになった。キリスト教国の兵士は戦場で「サンティアゴ!」と叫びながら突撃したという。キリスト教国の諸王は巡礼路の整備や巡礼者の保護に努めた。巡礼は、スペインとスペイン外のヨーロッパの文化をつなぐことにもなった。巡礼者の中には建築家もおり、彼らはヤコブに捧げるために、巡礼路に沿った都市にロマネスク建築による多くの教会や修道院を建てた。レコンキスタの完了や、百年戦争、三十年戦争による混乱によって衰えた時期もあったが、巡礼は現在まで続いている。現在の巡礼者のスタイルは、徒歩、自転車、車などさまざまである。また、ガリシア州政府は観光の目玉として巡礼路をアピールしている。フランスからは、巡礼の中心地であった都市を拠点として4つの道がピレネー山脈に向かっている。トゥールの道、リモージュの道、ル・ピュイの道の3つは、オスタバ=アスムで合流し、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルを通ってピレネー山脈のイバニェタ峠()に向かう。トゥルーズの道は、オロロン=サント=マリー(オロロン)からソンポルト峠に向かう。巡礼路はピレネー山脈の峠でスペインに入る。サン=ジャン=ピエ=ド=ポルからイバニェタ峠の道はスペインのナバーラ州、オロロンからソンポルト峠の道はアラゴン州に入り、プエンテ・ラ・レイナで合流する。サン=ジャン=ピエ=ド=ポルからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでは「フランスの道」(参照)と呼ばれ、巡礼路でもっとも重要な道である。ソンポルト峠からプエンテ・ラ・レイナまでは、「アラゴンの道」(参照)と呼ばれる。また、サン=ジャン=ピエ=ド=ポルからプエンテ・ラ・レイナまでを「ナバーラの道」(参照)と呼ぶこともある。プエンテ・ラ・レイナからサンティアゴ・デ・コンポステーラまでの道は次のとおり。このほかに、イベリア半島には次の巡礼路もある。現在、サンティアゴ・デ・コンポステーラを目指す巡礼者は毎年数万人に上る。その多くは徒歩で、自転車を使う人もいる。少数ながら中世のように馬やロバを使う人もいる。信仰のためだけでなく、観光やスポーツ、単なる目標達成のために歩く人もいる。車や鉄道、バスで移動することもできるが、巡礼路は線路や国道に沿っていない道も多い。また、サンティアゴ・デ・コンポステーラで証明書がもらえる人は、徒歩で100km以上、自転車で200km以上という条件がある。なお、巡礼証明書(コンポステラーノ)もしくは、巡礼手帳を持っていればサンティアゴ・デ・コンポステーラからの帰りの飛行機及び鉄道料金が割引となる。聖ヤコブ(フランス語でSaint-Jacques)のシンボルであるヨーロッパホタテガイ(フランス語でcoquille Saint-Jacques)は、巡礼のシンボルともなっている。巡礼者は巡礼の証としてヨーロッパホタテガイをぶら下げて歩く。また、水筒代わりのひょうたんを持つ。巡礼者はさまざまな道をたどるが、人気があるのは「フランスの道」である。出発地としては、フランス側のサン=ジャン=ピエ=ド=ポルとスペイン側のロンセスバージェスを選ぶ人が多い。伝統的なフランスの町(ル・ピュイ、アルル、トゥールなど)から出発する人や、さらに遠くからフランス内の道を目指す人、中世にならって自分の玄関から出発する人もいる。ピレネー山脈からすべて歩くと780~900kmの距離で、1日平均30km(早めの人)歩くと約1か月かかる。スペインと南フランスには、巡礼者に一夜の宿を与える救護施設(albergueまたはrefugio)が点在し、巡礼手帳(credencial)を持つ人は誰でも泊めてくれる。宿の設備はユースホステルのようなもので、3ユーロから7ユーロ、または寄付のみで泊まれる。たいていは1泊に限られる。救護施設に泊まると、巡礼手帳(有料)に公式のスタンプ(無料)が押され、集めたスタンプが巡礼の証明となる。手帳は救護施設や観光案内所、教区教会で入手でき、3ユーロ程度。サンティアゴ・デ・コンポステーラに到着すると、「コンポステーラ」と呼ばれる証明書(無料)がもらえる。中世のカトリック教会では「コンポステーラ」は贖宥状の一種であった。大聖堂では毎日正午に巡礼者のためのミサが開かれ、巡礼者の祖国と出発地が唱えられる。

出典:wikipedia

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